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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

スパイ/寡黙な

2012-06-13 | 映画
 映画「アーティスト」は、最先端の技術を活用しながら「無声映画」という新たなジャンルを現代において切り開いたのだ、という言い方が出来るかも知れない。本作では、当然ながら、俳優が発するはずの「声=台詞」は周到に無音化されているのだが、むしろそれ以外の音は巧みにデザインされ、作品が持つ意図を十全に発現しようとする。

 それはある種のスタイルなのであるが、スタイリッシュと言うならば、ジョン・ル・カレの原作・製作総指揮により映画化された「裏切りのサーカス」はまさにその極致と言えるだろう。
 監督のトーマス・アルフレッドソンは、前作「ぼくのエリ 200歳の少女」で世界中を震撼させたのちの本作が英語による長編映画の監督デビューとなる。
 原作の「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」は文庫版で550ページに及ぶ大長編なのだが、その饒舌な文体を極限にまでそぎ落として昇華し、結晶化させたうえでさらに削りに削ったと言えるような省略と飛躍、その反面、極度に拡大凝視される老スパイ、ジョージ・スマイリーの表情、腹の中を探り合うスパイたちの内面の葛藤など、全体を貫くデザインの粋は映画という表現ならではのものだ。

 ゲイリー・オールドマンは私も昔からあこがれる俳優の一人なのだけれど、本作のスマイリー役は、寡黙かつ緩慢な動きに制御されながら、ただそこに佇むだけでまるで一流のダンサーの踊りを見るようなスリルに満ちていると感じさせられる。彼自身はポール・スミスのスーツに身を包み、ただ立ってこちらを見やっているだけなのだけれど……。
 原作者も「ただメガネを拭くだけで殴り合いのシーンと同じくらい観客をぞくぞくさせる俳優」と評して絶賛したそうだが、まさに同感である。

 未見の方にはぜひ映画館で観ることをお薦めするけれど、鑑賞前にパンフレットの2、3ページ目に載っている梗概と人間関係図をある程度頭に入れておくことは必須だと申し上げておきたい。私の知人は予備知識なしにこの映画を観て、何が何だか分からなかったと言っていた。本作に限ってはネタバレ歓迎なのだ。
 それにしても、アカデミー会員のオジサンたちには、この映画、面白かったのかなあ。