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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

よき言葉をこそ

2010-04-04 | 言葉
 宙に浮く、主を失った言葉は、やはり――恐ろしい。  (北村薫「街の灯」)

 何も手につかないまま、気晴らしに読む、と言えばミステリーに如くものはないだろう。といっても私は別にミステリー・マニアでも何でもないのだけれど、北村薫は「空飛ぶ馬」以来のファンである。
 最近、気持ちの萎えた時のカンフル剤にと、直木賞を受賞した「鷺と雪」のシリーズ第1作にあたる「街の灯」を文庫本で読んでいて冒頭の一節に出くわした。
 これだから軽い読み物などと侮ってはいけない。彼の小説は多少衒学的なくさみがないとは言えないのだが、多くの書物や芸術など人類の知的財産の豊かさを源泉としていて、むしろそれこそが堪らない魅力とも言える。
 で、その一節である。正直、ドキリとする。あまりにその時の気分にぴったりだったから。幾度か反芻しつつ、言葉を胸に飲み込んだ。

 2日ほど前だったか、テレビでウーピー・ゴールドバーク主演の映画「天使にラブソングを2」を放映していた。
 すでに何度も観たウェルメイドな他愛のない娯楽作品なのだが、私は結構好きだ。
 シドニー・ポアチエが出演した「暴力教室」や「いつも心に太陽を」といった映画作品のほか、ジェイムス・ブラウンの有名なパフォーマンス、さらにはいくつかのミュージカル作品等々へのオマージュに溢れ、これもまたアメリカにおけるエンターテインメント芸術の豊かさや厚みを土壌とした作品なのだと感じさせられる。
 そのなかで、ローリン・ヒル演じるツッパリ女子高生にウーピー演じる修道女(実はクラブの歌手)が語りかけるシーンがある。
 その女子高生は仲間たちとともに聖歌隊で歌を唄いたいのだが、かつて歌手を夢見て破れた夫を持つ母親に強く反対されて悩んでいる。

 そこでウーピーの持ち出したのがリルケの「若き詩人への手紙」の一節なのだ。
 たしか、自分は詩人に向いているのだろうかと悩める若者に対し、リルケは、詩を書かなければ生きてはいけないのかどうかを自分の心に深く問いかけよと語りかけるのである。
 もし、本当に詩がなければ、それを書かなければ生きてはいけないと心から思えるのなら、あなたはもう詩人なのだ。
 「だから、アンタが本当に歌が好きなのなら、歌わなくっちゃいけないのよ」とウーピーは言うのである。
 思わずにやりとしながらも、胸が熱くなってしまった。

 敢えてここでは引用しない。一人ページをめくりながら、静かに味わうことにしたい。
 よき言葉は人を勇気づけ、鼓舞するものだ。