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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

「ハコブネ」に乗る

2010-03-08 | 演劇
 5日、北九州芸術劇場プロデュース公演「ハコブネ」を観た。
 作・演出:松井周(サンプル)、企画・製作:北九州芸術劇場、東池袋の劇場「あうるすぽっと」のタイアップ公演。
 北九州市を中心とする俳優とスタッフを総動員して「(仮)祭り」、あるいは「(仮)地獄巡り」をして作り上げた作品、と演出家のノートにはある。
 プロデューサー能祖将夫によれば、「オーディションで選ばれた地域の役者へのインタビューからモチーフを得たり、エチュードを繰り返しながらシーンを築いていったり、つまり<今><ここ>で生きている出演者一人一人の生の感覚と息づかいを反映させる創り方」が今回の作品の大きな特徴の一つとのことだ。

 プロセニアムを取り払った舞台上に仮設のステージをしつらえ、さらに左右に客席を配置し、三方からステージ上の俳優たちを見る仕掛けだ。この劇場の使い方として新たな可能性を示していたと思える。

 舞台奥全面には、木製の大小さまざまなハコが積み上げられ、それらは巨大な工場の倉庫のようでもあり、出演者たちの「家」のようでもあり、「棺桶」のようでもある。
 工場において、主役はあくまでも製品であり、すべては製品を作り、流通させることに奉仕させられる。そうして人間はいつの間にか個性を奪われ、搾取され、磨耗しながら、積みあがる製品や時間のなかに取り残され、忘れられていく存在に過ぎない、のかも知れない。

 いささか疲れて帰りの電車に乗った。ギュ―ギュ―詰めになって皆気分が尖っていて、そんな乗客の醸し出す不機嫌に沈みがちな空気のなかを集団をなしたオバカな高校生たちが傍若無人に言葉を撒き散らす。
 まさに自分はいま、つい先ほど劇場で出会った「見知らぬ人々」とともに「ハコブネ」に乗り合わせているのだと実感しながら、その行き着く先を想像できないでいる・・・。