seishiroめもらんど

流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

オバマとジョンソン

2008-11-12 | 映画
 すでに10日近くも日が経ってしまったが、アメリカの大統領選挙は、「変革」を謳った民主党の若きバラク・オバマ候補が圧倒的な差で共和党のマケイン候補を破り、次期大統領に選ばれた。
 8年間のブッシュ政権に対する嫌悪感がピークに達していたことや、折からの金融危機が選挙戦の行方を左右した感はあるが、それにも増して「変革」を求めるアメリカ国民の願いが強かったということなのだろう。
 それにしても、国政に出てまだ4年ほどに過ぎないオバマ氏が、予備選や本選を勝ち抜き、そしてそれを多くの国民が支持して黒人初の大統領になるという、わが国では到底考えられないような「変革」を成し遂げようとする米国民のパワーには、まだまだあなどれない底力を感じる。
 それを推し進めたのが言葉の持つ力であることは言うまでもない。オバマ氏の演説力を宮崎の東国原知事は「技術論的には普通」と評したそうだが、そうだろうか。役者の目から見て、オバマ氏の演説にあってわが国の政治家にないのは、言葉のリズムであり、ボキャブラリーであり、腹式呼吸による発声であると思えるのだが、この違いは雲泥の差だと思うのだけれどいかが?
 だって、誰とは言わないけれど、日本の政治家の演説は喉発声でどうしても浪花節語りのようになってしまうためか、耳に心地よくないことこのうえないのである。
 母音が先に立つ日本語と違い、英語の発声は喉に負担がないようである。また、「チェンジ!」と言い切ってしまえる単語の簡潔な表現力や韻の踏みやすさなど、英語の特質が演説に活かされているのを見るにつけ、日本語による演説の研究を本気でやるべきではないかと思う今日この頃である。
たとえば、福田恒存訳によるシェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」で有名なアントニーの演説など、政治家を志す方は必須のものとして暗誦することにしたらどうだろう、と半ば本気で思っているのだが。
 ・・・話がそれてしまったけれど、次期大統領への期待感がかつてないほど高まっていることは間違いない。そしてこの期待値の高さは、その反動の大きさをも予感させるだけに、次期政権にとっては両刃の剣とも、重荷とも映るに違いない。オバマ演説に希望をもったマイノリティや低所得層の人々をはじめとする国民の期待をいかにつなぎとめることができるのか、困難な道のりはすでに始まっている。
 さらに言えば、米国における保守主義の根深さを指摘する声も一方にはあり、それはそれで確かにそうだと思わせられる。金融危機が顕在化するまで、マケイン陣営が優勢に立った時期もあったのであり、いまだに低所得の白人層はオバマ氏への警戒感を緩めていないと言われているし、黒人層の多くが抱える貧困な状況がすぐに改善するとも思えない。経済政策に明らかな成果を上げられなかった場合、オバマ大統領への期待はすぐさま極端な失望へと塗り替えられてしまう可能性は高いといわざるを得ない。
 「チェンジ!」を掲げたオバマ候補の色褪せたポスターを前に「結局、何も変わらなかったのさ」と若者が気力をなくした声で呟く、といった映画のワンシーンのような光景だけは見たくないものである。

 映画といえば、先日、たまたまCATVの番組で「ジョンソン大統領/ヴェトナム戦争の真実」という映画を観る機会があった。
 これはジョン・フランケンハイマー監督の遺作で、ハリー・ポッターの映画でダンブルドア役のマイケル・ガンボンがジョンソン大統領を演じている。
映画は、37代副大統領だったリンドン・ジョンソンが、ケネディ大統領の暗殺後、かつてない高い支持率のもと第36代米国大統領になった直後のパーティのシーンから始まる。
 ここで描かれるのは、映画「JFK」でケネディ暗殺の黒幕のようだった彼ではなく、理想に燃え、公民権運動にも深い理解を示し、黒人差別解消に情熱を燃やす一人の政治家である。
 その彼が、軍部や国務長官の進言に従い、ヴェトナムへの兵士の増派を続けるなかで次第に泥沼に入り込んでしまう。それは抗し難い時代の空気のようなものであったのかも知れないが、現実は彼の理想を裏切り続ける。
 「福祉や教育に力を注ぎたいのに、18時間の執務時間のうち、12時間がヴェトナムへの対応に費えてしまう」と嘆き、戦争からの撤退を訴えるロバート・ケネディのテレビ画像に向かって「お前たち兄弟が始めた戦争の尻拭いをしているのが誰だと思ってるんだ」と怒りを露わにするジョンソン。その彼のもとから、側近達も次々に去っていく。
 ここで描かれているのは、ある特殊な政治状況下でのた打ち回る人間の姿であり、孤独に苛まれる普遍的な指導者の姿である。
 こうした状況にオバマも呑み込まれるのか、それとも「不屈の希望」によって乗り越えるのか。世界が注視している。