いいたい放題

 右でも左でもない風来坊が、社会・経済・政治などの問題について、
好き勝手に、支離滅裂に、傍若無人に書き込むブログ

これで日本聖公会はサヨク離脱だな

2006-12-12 | Weblog

 H司祭の児童に対する性的虐待事件と、それをH司祭の「事実無根」発言によって事実無根と判断した主教たちの判断ミス及びその後の責任回避、沖縄であった土地売買に関する不明朗会計事件、京都教区の使途不明金事件とそれに対する刑事訴追回避をし続ける主教会の責任、北関東教区での使途不明金事件。
 これだけあったら十分だ。
 とりあえず聖公会の司祭や主教、あるいは聖公会系の大学の教授や助教授が「靖国神社問題」に口を出してきたら、「自分たちの中にある犯罪をきちんと整理してから発言しろよ」と言えるな。ラッキーだ。俺の周りにいる、2月11日と8月15日には必ず靖国神社へ行くという連中が喜ぶぞ。他にも、同じような事件を犯しているキリスト教会があるからな。こっちも、いくらでも反論できるぞ。

 「キリスト教カルトを斬る」というブログに書かれていたが、日本の教会の牧師さんたちは、日本の宗教に関してはまったくご存知ないそうだな。曹洞宗と臨済宗の異いはもちろん、浄土宗系の宗派と禅宗では、その教えがかなり異なっているということをご存知ないんだろう。しかし、真言宗にはかなりキリスト教の影響を受けている部分があるんだが、それも意に介していないらしいからな。「景教は異端だ」と言っているプロテスタントの牧師もいるそうだが、どこからが異端で、どこからが正統なのかよく判っているのか?そもそも、正統とか異端というのは人間が勝手に判断していることだろ?

 聖公会の司祭に、ユダヤ教とイスラム教の異いが判っていないのがいたり、インドの習慣とキリスト教を混同したりしているのがいるそうだな。おまけにそういう司祭が聖職試験委員だったそうだが、猫に笑われるぞ。右手は清浄で左手は不浄だと言ったそうだ。俺でも知ってるが、パウロはそうした考え方を徹底的に否定しているだろ。高校の時に通ってた教会の教会学校で聞いた覚えがあるぞ。

 H司祭の性的虐待事件に対する主教さんたちの判断は、本当に笑えるな。
 好々爺の集まりか?しかし、人の良い老人にしちゃぁやることがなってないか?
 「祈りで解決しましょう」って言われても、目の前に被害者とその家族がいるからな、加害者とそれをかばった人たちの真摯で徹底的な謝罪がなきゃ、ことは収まらないだろうし、被害者のPTSDが軽減されることはないだろう。それを理解できない好々爺は、自分たちの権威を認めて逆らわない人たちに対してだけ好々爺でい続けるのか?そのうち、トンビに油揚げをさらわれるぞ。虎視眈々と首座主教の地位を狙っているのがいるからな。大学の院長とか。
 そう言えば、聖公会系の大学だったよな。私立大学で唯一、実験用原子炉を持っていたのは。最近になって停止させたそうだが、教授の中に原発反対のがいるだろ。基本的人権としての思想の自由があるんだろうな。
 だったら、被害者の人権を無視するなよな。黙ってるってことは、無視してるってことだろ。これで一人、サヨクの大学教授が潰れたな。右翼と議論したら、徹底的に人権問題でつつかれて終わりだ。まぁ、おとなしいクリスチャンの集まりにしか出ないだろうがな。障害者問題にも口を出せないよな。障害者を無視してきたのを俺は知ってるしな。根性を入れ替えろよ。どこか田舎の小さな教会に赴任させてもらって、徹底的にそこに土着してみろよ。そうか、聖公会には町村部にはほとんど教会はないからな。都市部だろ?あるのは。早起きして、牛の乳を搾ってからじゃなきゃミサに来られない人たちと一緒に暮らしてみろよ。台風の豪雨や冬の大雪と闘って来た人たちや、米の増産政策で汗水流して、両手の掌がカチカチになって、いつの間にか腰の骨がすり減ってしまった人たちと一緒に暮らしてみろよ。
 書斎で本を読んで、講演会で話をして、授業で学生相手に話をしてるだけじゃ、社会の現実は見えないだろ?海外で会議だと言って外国を廻っていたって、猫の額ほどの小さな田圃を長い斜面に作ってきた人たちの苦労がどうなったかを見ることは出来ないだろ?そうした意味じゃ、一番現実を無視しているのは、大学の先生たちかもしれないな。

 そう言えば、新古典派経済学で規制緩和をし続けた「学者」さんがいたよな。
 日本聖公会の学者さんは、あの程度の社会認識しかないんだろうな。一番大事なのは、社会と密着した神学をするとことだって言ってたんじゃないのか?日本には、一世帯当たりの家族数が3人足らずの村がたくさんあるんだよ。高齢者の一人暮らしが多いってことだろ。大都会の大学の先生たちの眼には、そうした人々の暮らしは見えてこないだろ。それが見えてこないのに、都会人が勝手に国の政策を決定してるんだよな。聖公会の司祭は、そうした村で一年でも二年でも住んでみろよ。高速インターネットはおろか、一番近い本屋さんまで山道を車で1時間なんてのはざらだぞ。それも雪のない時にな。そんな村の坊さんと話をすると、本当に頭が下がるぞ。70歳を越えた坊さんが、大雪の中を檀家まで自分で車を運転して行ってるんだ。奥さんは、住職が帰って来る前に、車庫の前の雪かきをしておかなきゃならん。
 ある寺の本堂には、檀家さんからの捧げものが墨で書かれていたが、米や野菜まで書いてあったな。精米したてのもち米で餅を搗くと最高にうまいぞ。農家の婆ちゃんが漬けた大根をおかずにしてな。
 俺も仕事の合間に、出来るだけそうしたところへ行ってるんだ。普段の生活じゃ見えないからな。村の氏神様の境内に腰を下ろして、昼間は一人暮らしの婆ちゃんとデートしてこいよ。爺ちゃんの墓守して、孫の嫁入り道具を準備して、鎮守の神様の掃除して暮らしてるんだぜ。そう言えば、あの婆ちゃん、元気かなぁ。俺のお袋と同じ歳だって言ってたからな。
 あの婆ちゃんたちも、東京の大学の先生も、同じように一票ずつ持ってるんだが、そのことの意味を考えたことがあるか?まさか「一票の格差」なんてことは言ってないだろうな。

 まぁ、これで日本聖公会のサヨク司祭たちは終わりだな。
 彼奴らには、人権なんか語る資格はないからな。

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