いいたい放題

 右でも左でもない風来坊が、社会・経済・政治などの問題について、
好き勝手に、支離滅裂に、傍若無人に書き込むブログ

靖国神社の国家護持

2006-12-14 | Weblog

 仕事の合間に

 今朝起きたら、メールが2通来てた。1通は友人からで、例の日本聖公会の司祭による幼児への性的虐待事件に関して、「考える会」の世話人の方からよろしくとの伝言だったが、もう1通は「靖国神社を国家護持するな」という匿名のメールだった。

 「こいつ、判ってないな」と思わず呟いてしまった。
 靖国神社を国家護持できるわけがないだろ。国家が一宗教法人に対して、その活動に関して宗教法人法を越えて口を出すことは出来ないし、経済的に援助することもできない。こんなことは近代市民社会にとって当然のことだ。イギリス・ドイツ・オランダ撫でには国教があって、そこの牧師さんたちは国家公務員だろうが、日本は明治政府がでっち上げた「国家神道」なるものを既に破棄しているんだ。中にはそれを復活させたいと思っている人々がいることは事実で、それは彼らの信教の自由なのだろうが、現行憲法においては不可能なことだ。
 そもそも、「神道」という実に身勝手な枠組みで日本の神々を十把一絡げにしたことが間違っているんだ。村の鎮守の神様と天照大神をどうして融合させることが出来るんだ。歴史的経緯が全然違うだろ。
 鎮守の神様は鎮守の神様であって、それ以上のものでも、それ以外のものでもなかった。欧米のキリスト教を見てきて、何とか日本全体の宗教を一つにまとめ上げて、それを国家宗教にすることによって、民衆を支配する一つの手段にしようとしたんだろう。武士階級の考えそうなことだ。
 江戸時代までの村の鎮守は、「村の」鎮守でしかなかった。隣の村に関わることはなかった。隣の村に嫁いだ娘が孫を連れて帰ってくることはあっただろうが、何の関係もない隣の村人が来ることもなかった。ただ、鎮守の祭りが賑やかに行われるようになって、若者が遊びに来ることはあったらしいな。それも、嫁さん探しにだ。昔はおおらかだったからな。高校の教師が祭りに監視するために来てたりはしなかったらしいからな。その日はそして、正に無礼講だったらしいぞ。そうやって男と女が出会い、結婚していったケースはかなりあったらしい。村の中でもだ。
 ただし、いまの「援助交際」と言われている、理不尽なことは行われていなかったし、大きな町へ行かなければ遊郭などもなかった。
 村の鎮守の祭りが男と女の出会いの場だった。「国家神道」で束縛されてからもだ。
 都会ではそれが消えたから、キリスト教の礼拝がその機能を持っていたらしいな。教会で知り合って結婚したという高齢のカップルを知っているぞ。教会の礼拝は英語のクラスへ行くと、紅茶とケーキが出てきて、「良家のお嬢様がいる」というので挙って聖書研究会へ行っていたという方にもお会いしたことがある。そして結婚し、毎週のように教会へお二人で行っていたそうだ。俺が知っている頃はもうお子さんたちが結婚されるという頃でな、「こんなはずじゃなかった」と嘆いていたのは旦那さんだったな。「お嬢様だと思っていたら、じゃじゃ馬だった」と嘆いているその横で、清楚な和服を着たきれいな奥様が、「いまでもお淑やかですよ」と笑っていらっしゃった。檀那がゴルフに行っている間に、家の中を全部きれいに掃除していらっしゃったな。

 話は横道に逸れたが、靖国神社は靖国神社だろ。
 「戦犯」を分祠するかしないかで議論していたが、実に愚かなことだ。靖国神社の自由だろ。もちろん「戦犯」とは何かという議論もしなくちゃな。日本がせめて来るというので、住民のほとんどが逃げ出してしまっていた南京で、何人の民間人が殺されたのか。彼らは本当に民間人だったのか。「便衣兵」と呼ばれる、民間人の日常的な衣服に着替えて、戦闘行為をしていたのは何人いたのか。この便衣兵やフランスのパルチザンは、ジュネーブ条約に違反しないのか。「日本は海外侵略をしたから、東京大空襲があっても仕方がなかった」と言っていた、今は大学教授をしているのがいたな。パルチザンも肯定するんだろうな。それでいて、ヒロシマやナガサキのことになると「原爆反対」と叫び出す。「靖国神社」反対と叫び出す。
 靖国神社に息子がいると信じていた高齢の女性もいるんだ。彼女たちを「戦争の被害者」と考えることは自由だ。しかし、彼女の心の中を土足で歩き回るような発言は、思い上がりの極致だろ。東京でいくら裁判をして、それを新聞が報道しても、彼女達の目に止まることはなかっただろうな。息子の位牌と一緒に生きていたんだ。息子の遺影と一緒に生きていたんだ。
 「靖国神社信仰」が作られた幻想だとしたら、キリスト教も仏教もみんな作られた幻想だろ。それを一方的に踏みにじって「靖国反対」を唱えている聖公会の司祭たちは、正にカルトそのものだな。教会で戦争の犠牲者のためにレクイエムをしたことがあるのか。アメリカ軍の基地の中でミサをしている司祭がいるだろ?アメリカ軍の戦没者のためのレクイエムでアメリカ人司祭と共同司式をしてレクイエムをしたことはなかったか?それでいて、一方では「戦争反対!靖国反対!」を叫んでいるんだよな。ちぐはぐだろ。支離滅裂だろ。

 日本聖公会だけじゃない。サヨク的牧師には、そうした支離滅裂な発言を平気でしているのがいるよな。「殺すな、殺させるな」と書かれたTシャツを着て歩いていた坊さんがいたな。お話をお伺いしたら、中身が徹底してたぞ。「右手でミサをして左手で児童への性的虐待をする」ような人じゃなかったな。

 日本聖公会は、天皇制を否定しないよな。
 靖国神社の国家護持を否定しないよな。
 まさか聖公会は、自分たちがレクイエムをするから、それを国は援助しろとは言わないよな。
 イギリスの王(現在は女性)を頂点とする教会だからな、心配だな。

 靖国神社を国家護持したら、日本は終わりだ。
 薩長政府時代に後戻りだ。
 片方で靖国神社を否定しながら、戦争の犠牲者のレクイエムをキリスト教がしなかったら、キリスト教も終わりだな。お坊さんたちの中には、靖国神社を否定すると同時に、毎朝、戦没者の供養のためにお経を唱えている方がいるそうだぞ。イギリスにもアメリカにも、墓参りの習慣はある。


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