いいたい放題

 右でも左でもない風来坊が、社会・経済・政治などの問題について、
好き勝手に、支離滅裂に、傍若無人に書き込むブログ

聖公会はどうしようもないな

2006-12-06 | Weblog

 聖公会はどうしようもないな。
 月に一度か二度、ある友人と勉強会をしている。俺の都合に合わせて東京と福島県の中間点まで来てくれるから、一晩泊まりで夜遅くまで話し合いをしている。昨日の夜も彼とじっくり話し合った。
 例の聖公会のH司祭の問題に関して、主教たちや多くの司祭たちは沈黙しているが、俺の友人がある学校に在籍していた時、「社会的な問題に目を向けていない」と散々批判していた連中がいたそうだ。ところが彼らはH司祭の児童への性的虐待問題や主教による使途不明金問題に関して、まったく沈黙しているそうだ。友人は心底憤慨していたぞ。
 性的虐待やそれを隠蔽しようとしたことは社会的問題ではないのか?刑事訴訟法による公訴時効が過ぎたら、その犯罪行為に対する上司の責任は問わなくていいということなのか?中には、原子力学会のメンバーでありながら原発に反対していた奴もいるそうだ。呆れてものが言えなかったぞ。
 だいたい今時のサヨクはそんなものだろう。
 俺の知り合いでもいるからな。現在の政治に対してかなり批判的や奴でも、いざ差別問題になったらまったく口を噤んでいるぞ。最悪としかいいようがないな。現実に、今でも差別待遇を受けている被差別があるというのに、まったく「我、関せず」だからな。高貴な、エリートのための教会が聖公会なんだろうな。イギリス聖公会がそうだろ?なにせ女王が頂点に立っている教会なのだから、身分的差別があっても不思議じゃないな。
 そもそもイギリスは民主主義国家じゃないからな。形だけのようだが、法律上は王に議会決議に対する拒否権が認められている。日本聖公会は、このヒエラルキーを踏襲しているんだろう?だから主教が使途不明金を出しても、教会は刑事告発が出来ない。こんな教会がカルトじゃなくて何なんだ?

 沈黙している聖公会の司祭たちは、一体何を考えているんだ。
 左遷されるのが怖いのか?
 職を失うのが怖いのか?
 仲間はずれにされるのが怖いのか?
 キリスト教の聖職だったら、もっと怖いものがあるだろう。といっても、勉強嫌いの聖職たちには、この問題を正面切って戦うのは無理だろうな。たまには本を読めよ。神学のな。基本的なことを理解しないで、礼拝の形式や伝統を覚えることだけが司祭の勤めじゃないだろ?俺も友人からその辺のことは詳しく聞いたよ。ある聖職試験委員は友人の神学的質問に対して、まったく頓珍漢な答えをしたそうだ。俺も笑ったよ、キリスト教でも左手は穢れているそうだからな。だったらミサの時に、ピューリフィケーターを左手で持つなよ。
 イギリスは右利き社会だったんだよ。最近は当たり前になってるが、30年くらい前までは、左利き用のゴルフクラブはまず手に入らなかったろ?カリスを右手で持つというのは、そうした右利き社会の名残なんだが、そんなことも知らなかったらしいな。
 教会の外に出て、困っている人、悲しんでいる人、傷ついている人を探すことではなく、聖職の仕事は教会の中の仕事だと言った聖職試験委員もいたそうだな。俺でもしってるぞ、キリストは逆のことを言ってるんだろ?

 こんな聖公会じゃぁ、被害者に主教が謝罪するなんてことは考えられないんだろうな。主教座に座って、信者が跪くのを高いところから「祝福」しているのが仕事なんだろうからな。
 日本の聖公会は終わったな。