自由広場

穿った独楽は廻る
遠心力は 今日も誰かを惹きこむ

流れるプールの話

2009-07-15 02:41:38 | どーでもいいことつらつらと。
いよいよ夏本番。ワイシャツにネクタイで肌を焦がすような太陽の下にいると、額、首周り、そして背中に、汗がじわっとわいて、今すぐそこの目黒川にでも飛び込みたい心境にかられます。


この時期になると小学校時代のプールを思い出します。あの頃って素晴らしいですよね。今だと海やプールってのはどうも行くまでが億劫でなかなか腰が上がらないけれど、小学校は嫌でもカリキュラムに組まれているわけですから、望まなくても水に浸かる機会が与えられています。いまになってありがたみを知ったところでなんともですが。


ところで、小学校のプールの授業で、僕たちはよく「流れるプール」というのをしていました。皆さんの学校ではどうでしたか? 今の小学校でも普通に行われることなのでしょうか。

流れるプールをやりましょう、と先生が言うと僕たち生徒は一気に沸き立ちます。それは同時に自由時間を意味していて、しかも流れるプールは自由な上にアトラクティブなのです。ちょっとした行楽地のプールのような楽しみが詰まっているのです。

僕たち生徒はプールの縁沿いを、ゆっくりと、時には近くの友達とはしゃぎあいながら、のっそのっそと同じ方向をぐるぐる回ります。
そして何周かすると、プールには一定方向の流れが作られていて、僕たちは漂っているだけでもふらふらとくらげのように進むことができるのです。

簡易式人力流れるプールとでも命名しましょうか。これが簡易ながらもなかなかすごくて、意外と長時間ちゃんと流れるプールの役目を担ってくれているんですよ。子供視点で30分くらい流れるプールで友達と遊んでいた記憶があるのですが、もしかしたら10分かそこらだったのかもしれません。プールの授業の、最後のちょっとした自由時間でのことですから。


それにしても、子供ながらにこの人力流れるプールは「すげえ」って思っていたものでした。たった50人くらいの人間で、あそこまで強固で粘り強い水の流れを作り出せることが不思議でなりませんでした。一人だと絶対に不可能なことが、1クラス分くらい集まればいとも簡単にできてしまうんだなと、妙に感心していたものです。

楽しかったよなあ、流れるプール。プールの授業が嫌いだった僕としては、とりわけ自由時間の流れるプールは至福の時でした。

逆走してみようと足をばたつかせてもなかなか抗うことのできない、僕たちだけで作り出した掛け値なしのアトラクション。


そして大人になった今。エネルギー保存則にはじまり、物理学を専攻して流動学を学び、果てはコロニー落としの方法まで勉強した僕なのに、いまだにあの人力流れるプールの不思議を消し去ることはできません。

僕たちがゆっくり歩いて作り出した流れ、どうしてあんなに長持ちするのだろうか。エネルギーはプールの中で延々と回っている。

閉じられた理想の空間。

キャップにとんぼがとまる。セミの声がする。太陽が雲に隠れてあたりがスーッと暗くなる。先生の笛の音。調子に乗った悪ガキが、女子のたまり場に向かってダイブ。
流れるプールはまだ、僕たちをぐるぐる運んでくれている。


それは、物理法則だけでは説明できない、幻想的で神秘的で、よくわからないけれど、不等号の通用しない世界な気がします。


僕たちが楽しみたい一心で作り出した流れ。和気あいあいと、仲のいい奴も悪い奴も、一緒になって、一つの目的のために、一歩ずつ一歩ずつしっかりと進み続けたことによる、一つの結果。


あのとき感じていた不思議と、今感じている不思議はちょっと種類が違っているかもしれない。忘れたものもあるし、取り戻せないものもあるし、今じゃないと理解できないことだってある。


でも確かなことは一つだけ。

今僕はむしばむ陽気の下、目黒川の橋の上に立っている。周りのサラリーマンや学生も、汗を首筋に垂らしながら一生懸命自分達に与えられた仕事を全うしている。

のろかったり、浮き足立っていたり、漂うだけだったり、逆らってみたり、人それぞれかもしれないけれど、その全てを集めれば、それは一つの流れ。一人では決してできないことを、僕たちは気づかないうちにエネルギーを出しあって、あの簡易式人力プールのように、生み出そうとしている。

その先にある目的は、今も昔も決して変わることはないと思います。

ぐるぐるぐるぐる。それは楽しいアトラクション。
ぐるぐるぐるぐる。みんなで作る素敵な世界。

ぐるぐるぐるぐる。



暑さでめまいを起こしそうになる文月の梅雨明け。

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