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カネヒキリ

2010-09-07 11:55:15 | 僕の好きなお馬さん
恥ずかしげもなく言います。好きでした。



今も昔も穴党なのは変わりません。別に競馬で大もうけしようとは思ってないし、ビビリの少額投資派なので、配当のでかい穴で勝負するのが性に合っています。当たったときの喜びもひとしお。


ただ、何頭かにおいては、人気していても買わざるを得ない、大好きなお馬さんがいました。その一頭がカネヒキリ。



デビュー後二戦は芝。全く鳴かず、ダート転向一戦目の単勝は50倍越え。1.2秒差の圧勝。

その後は破竹の勢いです。ダート王座への登竜門ユニコーンステークスを当たり前のように勝ち、ジャパンダートダービー・ダービーグランプリの三歳GⅠ制覇、秋以降も勢いは衰えず、武蔵野ステークスは二着と砂で初めて負けたものの、続くジャパンカップダートは接戦を制します。その実力に疑いの余地なし。

一方同じ頃、芝ではとんでもない大物が誕生しています。
ディープインパクト。悲しいことに日本競馬は明らかに人気が芝に偏っているわけで、また馬主が同じということもあり、カネヒキリは「砂界のディープ」と呼ばれました。この異名が自分は大嫌いだった。


初めてカネヒキリにお目見えしたのは翌年のフェブラリーステークスでした。ほんとメンバーに恵まれた、今思い返しても素晴らしいレースです。3馬身つけての快勝。


ドバイ遠征は5着(失格馬が出て最終的に4着)、その次に出走した帝王賞でアジュディミツオーに後塵を拝した後、運命の歯車が狂いだします。


父フジキセキの悲運を受け継いだのでしょうか。屈腱炎発症。一年半は怪我との戦いを強いられます。
長い休養明け、6歳の復帰初戦は9着。「もう終わった馬じゃないのか」「あのときに引退させてあげれば・・・」といった非難も影で囁かれました。


カネヒキリに魅了された人に「一番思い出に残っているレースは?」と尋ねたら、迷わず6歳のジャパンカップダートとお答えするのではないでしょうか。

復帰二戦目にいきなりダートの最高峰。しかしファンはまだ夢を捨てていない。4番人気、単勝オッズは忘れもしない9.8倍。
内からするするとカネヒキリが伸びてきたとき、私は内心「やられた」と思いました。カネヒキリファンを豪語しながらも、実はこのレース、ヴァーミリアンから買っていたのだ。自分もご他聞にもれず「もう引退させてあげてよ」派だったのだ。

しかし、ルメール騎手の手腕に引かれて、見事二度目のジャパンカップダート制覇。怪我に泣かされた名馬は数多くいたが、カネヒキリは執念でその悲運の系譜を一蹴し、再度砂の王者へと君臨した。「もう誰にも砂のディープなどと呼ばせない」そう訴えるような貫禄の走り。

そりゃあねえ、誰だってファンになっちゃいますよ。ジャパンカップダートの後、東京大章典、川崎記念と当時のダート界上位組たちをあっけなく完封。もう明け七歳ですよ、どこまで走る気なのあなたは。


ところが、続くフェブラリーステークスはサクセスブロッケンとカジノドライヴに破れ、世代交代の声が高まります。かしわ記念も上昇傾向のエスポワールシチーに砂を浴びる。

そして骨折発覚。

もうカネヒキリの役目は終わった。君は十分走った、いいからゆっくり休んでくれ。

なんてね、思うわけないし。

やるならとことん走り通す、それがカネヒキリ。一年後の帝王賞に三度姿を現します。いてもたってもいられず、大井競馬場へ足を運んだのはちょうど二ヶ月前。パドックで周りから聞かれた声は、「もはや生きた化石」「さすがにないだろう」「でも好きな馬だし絡めよう」「馬体はきれい」。

ファンの様々な感情をない交ぜにしながらの帝王賞は、中段やや後ろに控えた競馬のカネヒキリがコーナーから追い出しをみせました。勝ったフリオーソよりも、二着のカネヒキリにファンの目は向いていましたね。復帰初戦だというのに、あの風格ある本物の走り。まだまだ衰えていない。一体どこまで現役を貫くのか。


またもダート界にカネヒキリ旋風巻き起こる。マーキュリーカップでは1.5倍の支持を集め完勝。ジャパンカップダートへ向けて体を仕上げていきます。


そして。



門別で開催されたブリーダーズゴールドカップ。これが、カネヒキリにとって最後のレースになりました。


今考えてみると、カネヒキリが引退を伸ばし続けたのは、このレースを走るためだったような気もします。
これは相当自分の主観と偏見が入ってしまうのですが、2010年の日本ダート界、実力一位は間違いなくエスポワールシチーでしょう。二番手以下は混迷を呈しますが、個人的にはシルクメビウス、そしてフリオーソだと思います。

カネヒキリは往年のダート名馬と戦い続けました。エスポワールとはかしわ記念で戦いましたし、フリオーソとも帝王賞で決着が付いた。

そう、シルクメビウスだけがまだだったのです。「あいつの走りを目の前で見るまで辞められるか」、そういう決心のもとでの最後の一戦。それまで傷だらけの脚は我慢してくれていた気がしてならないのです。

結果はシルクメビウスの圧巻の走りでした。カネヒキリはあっけなく敗退。しかし今の実力関係を見れば、頷かざるを得られない結果かもしれません。



カネヒキリはあらゆる世代の名馬達と肩を並べ、ダート界全体を俯瞰した。
そして悟った。もう、ここらへんでいいっしょ。



競馬を己の人生に重ねてみる、なんてロマンチックなことはしたくないけれど。しかしまあカネヒキリには色々と教え込まれました。
もしカネヒキリが、一回目の屈腱炎後即座に引退していたら。日本のダート界は、ここまで全体的な能力の底上げが叶わなかったのではないかと考えます。強い馬だけが勝ち続けるという一人相撲な競馬ばかりだったかもしれない。彼が牽引し続けてくれていたのは間違いない。



懸念されていた種牡馬の道が開かれたのも嬉しいことです。新たな楽しみが増えました。



度重なる怪我に屈せず、不屈の魂をファンに見せ付けたカネヒキリ。その闘志が子供たちに受け継がれることを願っています。


最後に、2010年の帝王賞パドックでのカネヒキリの写真を再掲して終わりにします。長々と失礼しました。それくらいに好きだったのです。





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1 コメント

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Unknown (メタスラ)
2010-09-08 07:01:22
一回目の屈腱炎をやったときに引退か?っておもった。

そしたら1年かけて復帰めどがったったところで2回目

2008年のJCDはほんとに感動した。

ここまで体がボロボロになりながらも走ることを止めなかったすごく精神力がある馬だと思う。

フジキセキ産はダートもこなすけど、ここまで成功したダート産はカネヒキリのみ。

またこんな名馬に出会いたい。
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