ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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Go To トラベル、開始目前……

2020-07-20 20:43:46 | 時事


いよいよ、Go Toトラベル 開始がせまってきました。

東京が除外となったものの、どうやら政府にキャンペーン自体を中止するつもりはなさそうです。感染拡大が続く最悪のタイミングでのスタートとなりそうです。

そもそも、キャンペーンの前倒しがきまった7月10日時点でも、前日に緊急事態宣言解除後はじめて感染確認数が300人を超えるなど、すでに感染再拡大の兆しは見えていました。
にもかかわらず、一度決まったことはもう変えられないという硬直した日本組織の体質でそのまま突っ切ってしまう。そして、それを正当化するために、足元の感染拡大という現実に見ないふりをきめこみ、あるいは楽観的なみとおしにすがる……これはまさに、無謀な戦争に突き進んでいったかつての大日本帝国そのものでしょう。

であってみれば、その結果がどうなるかは推して知るべしというものです。

楽観的な見通しにすがって前倒しした結果、引くに引けない最悪のタイミングで開始することになってしまい、東京だけを除外という弥縫策で、キャンセルが殺到し、補償はどうするのかという新たな問題を抱え込む……と、開始前からすでに混乱が生じています。
そうでなくとも、団体はよくないとか、旅館内をうろうろしないとか、いろんな制約があってのキャンペーンです。中途半端にアクセルとブレーキを同時に踏み、経済効果はほとんど得られず感染だけはきっちり拡大させるというような結果に終わる気がしてなりません。

いまからでも、すっぱりやめるというわけにはいかないものでしょうか。



『モスラ対ゴジラ』

2020-07-18 20:44:23 | 映画


今回は、映画記事です。

このカテゴリーでは、ゴジラシリーズの作品についてずっと書いていて、最近は平成シリーズの話をしていましたが……前回『ゴジラVSモスラ』の話が出たところで、いったん時代をさかのぼり、昭和の『モスラ対ゴジラ』について書きたいと思います。
モスラは、キングギドラとはまた違った意味でゴジラ最大のライバルといえるでしょう。『モスラ対ゴジラ』は、そのモスラとゴジラが初対決した記念的な作品。この二者の因縁を語るには、はずせない一作なのです。

公開は、1964年。
ゴジラ・シリーズの4作目……ということですが、これはちょっと注釈が必要でしょう。

というのも、この作品は、その企画意図としては『モスラ』の続編であって、「『モスラ』の続編にゴジラが出てきた」という話なのです。タイトルが『ゴジラ対モスラ』ではなく『モスラ対ゴジラ』なのも、そのため。そういう意味では、ゴジラシリーズではなくモスラシリーズとでもいうべきなんですが……ただ、やはりゴジラのほうが東宝代表みたいになっていったので、ゴジラシリーズの一作とみなされています。

その予告動画です。


【公式】「モスラ対ゴジラ」予告 東宝の2大怪獣スター、ゴジラとモスラの初対決を描いたゴジラシリーズの第4作目。

ストーリーは、平成の『ゴジラVSモスラ』と重なる部分もかなりあります。

発見されたモスラの卵を、人間が見世物にしようとする。モスラをカネもうけの道具にしようとしたことで、怒りに触れる――という筋立ては共通しています。
モスラの卵を利用しようとした興行師たちは、インファント島の小美人から抗議を受けると、その小美人たちも見世物にしようとしますが、ここも『ゴジラVSモスラ』と重なります。
結局のところ、この興行師たちはカネをめぐる争いのすえに、殺し合いに発展。カネをもって逃げようとする大物興行師は、ゴジラの襲撃に遭って死亡……やはり、拝金主義批判というテーマがあるのです。

そして、環境問題というモチーフも共通しているでしょう。

この作品のゴジラは、工業地帯を建設しようという干拓地から出現します。

平成の『ゴジラVSモスラ』で最終決戦の舞台となる横浜みなとみらいも干拓地でしたが、もしかすると、そこは平成のスタッフも意識していたのかもしれません。

さらに、『モスラ対ゴジラ』におけるゴジラは、最初に四日市コンビナートを襲撃。
“四日市ぜんそく”で知られるあの四日市です。ここを襲撃するというのも、公害問題を意識していたかもしれません。ただし、この映画が作られた60年代前半には、まだ四日市のぜんそくはそれほど問題になっていなかったようなので、判然とはしませんが……

もう一つ、この作品のテーマとして指摘すべきなのは、ジャーナリズムについて。
本作では、新聞記者たちが主人公となっています。
彼らはペンの力で小美人たちを助けようとしますが、これがなかなか思うようにいきません。新聞には“裁く”力はない、メディアが権力になってしまってはいけない。しかし、いくら世論に訴えたところで、興行師たちの行動を直接止めることはできない、どころか、書けば書くほどむしろ逆にPRとなってしまうのではないか……そういう葛藤が描かれます。これもまた、現代に通じるテーマでしょう。


ここで、話をゴジラのほうに戻しましょう。

四日市コンビナートを破壊したゴジラは、さらに名古屋へ。ここでは、テレビ塔を倒壊させたうえ、名古屋のシンボルである名古屋城を破壊してしまいます。

こうして暴れまわるゴジラを倒すために、主人公たちは、モスラの力を借りるべくインファント島へむかうのです。

そのインファント島は、核実験のために荒廃しています。
かつては緑豊かな島だったのが、核実験の影響で見る影もなく荒れ果ててしまっているのです。岩肌がむき出しになった島は、あちこちに動物の骨が転がり、島民たちも苦しい生活を強いられています。

その島を統べる長老は、モスラの力を貸してほしいという主人公たちの頼みをはじめは拒絶。

「悪魔の火、もてあそんだ報いだ」と、酋長はいいます。

インファント島は、原水爆という「悪魔の火」の実験で大きな被害を受け、「平和な島」から「受難の島」となった。ゴジラもまた核実験によって誕生した怪獣であり、文明社会はその報いを受けている。そんな文明社会を助ける義理はないというわけです。

ここで、核の脅威というゴジラ第一作のテーマが顔をのぞかせます。やはり、モスラが出てくる映画はそういうメッセージ性を帯びるのです。


結論からいえば、モスラは日本にやってきてくれます。

『モスラ対ゴジラ』といっているわけなので、当然といえば当然ですが……主人公たちの誠意に応えて、モスラ(成虫)は来日。そして、そのモスラ成虫と、卵からかえった幼虫たちの力によって、ゴジラは撃退されるのです。

モスラのような頼りない怪獣がゴジラに勝つのはおかしいと思われるかもしれません。
風を吹き付けるとか糸を吐くといった打撃力に乏しい攻撃手段しかもっていないのに……
しかし、じつは、モスラという怪獣はゴジラシリーズ最強ともいうべき力を持っているのです。



昭和期ゴジラでは、ゴジラと戦って勝利した怪獣は、モスラのみ。シリーズ全体で見ても、怪獣同士の戦いでゴジラが敗れる場合は、なんらかのかたちでモスラが関与していることが多いです。
また、別の見方でみると、モスラがゴジラと敵対するかたちで登場した場合、100%モスラが勝っています。驚異の勝率100%を誇る、絶対的Gキラーなのです。

……というよりも、そもそもモスラは負けたことがないですね。無敗です。
モスラは必ず人類の味方の側で登場するので、負けるわけにはいきません。なので、必ず勝利する側にいます。(ただし、モスラ自身は無事ではないということもありますが)
そういう意味では、『モスラ対ゴジラ』は、モスラ不敗神話のはじまりでもあるのです。



Go To キャンペーン、東京除外へ

2020-07-16 18:58:18 | 時事


Go To キャンペーンが、東京を除外する方向という話になっています。

昨日今日と緊急事態宣言解除後の最高値を更新し、もはや宣言前のピークにまで迫る勢い。各方面から異論も相次ぐなか、これでそのまま押し切るのはさすがにまずいとなったわけでしょう。
部分的な見直しとはいえ、まあ、反論を一切無視して突っ切るよりはましです。
このブログでも Go To キャンペーンの強行を批判する記事をアップしようとしているところでしたが……ひとまず見直しに舵を切ったことは、一定程度評価したいと思います。

新型コロナウィルスに関しては、楽観的な見通しはこれまでのところほとんどことごとく裏切られてきました。安易に楽観的な見通しにすがれば、後でより大きな代償を払わされることになる可能性が高いでしょう。
少なくとも、今はまだ感染拡大防止を重視する段階と思われます。その意味では、もう Go To キャンペーン自体の延期を検討するべきなんじゃないでしょうか。



フランス革命

2020-07-14 22:51:11 | 日記


今日7月14日は、フランス革命の起こった日です。

フランス革命がどの時点ではじまったかというのは、細かく見ていけば難しいところがあるかもしれませんが、1789年の7月14日、バスティーユ牢獄襲撃をもって革命の火ぶたが切って落とされたというのが一般的な見方でしょう。最近の日付シリーズの流れで、今回はこのフランス革命というものについて思うところを書いてみます。


フランス革命の後には、恐怖政治が行われます。

まあ、たいてい革命の後はそうなるものでしょう。
フランス革命の場合は、ギロチンによる大量処刑や、虐殺事件が起こります。

その点で、革命に批判的な意見も出てくるわけです。

革命といったって、大虐殺を起したじゃないか。それに、延々仲間割れを繰り返してたじゃないか……といった具合です。

私もかつてはそう思っていましたが……ただ、最近はちょっと考えも変わってきました。

たしかに革命後の蛮行はすさまじく、かなり行き過ぎの面があることは否めません。
しかし、強大な権力というのは、そういう行きすぎなぐらいの力でなければ倒せないんじゃないかとも思えるのです。


太宰治に「おさん」という短編があって、そのなかで、7月14日に隣家のラジオから流れてきたフランス国歌を聴いた男が感極まりながらフランス革命について語るシーンがあります。

「バスチーユのね、牢獄を攻撃してね、民衆がね、あちらからもこちらからも立ち上がって、それ以来、フランスの、春こうろうの花の宴が永遠に、永遠にだよ、永遠に失われる事になったのだけどね、でも、破壊しなければいけなかったんだ、永遠に新秩序の、新道徳の再建が出来ない事がわかっていながらも、それでも、破壊しなければいけなかったんだ、革命いまだならず、と孫文が言って死んだそうだけれども、革命の完成というものは、永遠に出来ない事かもしれない、しかし、それでも革命を起さなければいけないんだ、革命の本質というものはそんな具合いに、かなしくて、美しいものなんだ、そんな事したって何になると言ったって、そのかなしさと、美しさと、それから、愛……」


彼が聴いたフランス国歌とは、いうまでもなく、「ラ・マルセイエーズ」。ビートルズのAll You Need Is Loveのイントロに引用されているあの曲です。

この短編を最初に読んだころの私は、ジョン・レノン、そしてボノの歌に、むしろ共感していました。
両者とも、どちらかといえば、穏健的な社会改革を志向していて、革命というような破壊活動には否定的だったと思います。

ただ、それは、革命の経験がある国家だからこそのことなんじゃないかとも思えるのです。

イギリスは、歴史上幾度かの革命を経験していて、アイルランドもイギリスのくびきから逃れるために闘争してきた歴史があります。独立にいたった“英愛戦争”は、革命と呼んでも差し支えないでしょう。

人類の歴史において、まだそういうことをやっても大丈夫な時期があったと思うんです。その時期に、“王殺し”というものを経験しているかどうか。そのことは、国家のあり方に大きくかかわってくるでしょう。

奔流のようなエネルギーで圧政者が倒された――そういう歴史があればこそ、民衆と為政者の間にある種の緊張関係が保たれるのではないか。そうであればこそ、穏健な社会改革という道を選びうるのではないか。

翻って本邦のことを考えると、その“王殺し”の経験がないことが日本の近代史をゆがめてるんじゃないか……そんな気がしています。
先に引用した太宰の「おさん」にしても、結局のところ彼の感慨は不倫という個人的な人間関係に結び付いたものでしかないように描かれています。そうなると、夫氏の道ならぬ恋が心中という結末にいたるように、革命の夢もまた挫折するよりほかないわけです。

もちろんこの現代にあってフランス革命のような革命を起こすことは考えられません。
では、現代日本では社会改革をどう成り立たせるのか……その道は、きわめて困難だということになってしまうでしょう。しかし、いかに困難でもそれをやらないと、この国はもうもたないところにきているんじゃないでしょうか。この10年ぐらいの日本をみていると、そう思えます。




3DCGで人物モデリング2

2020-07-12 20:31:52 | 3DCG

blender での人物モデリングの第二弾です。


前回に引き続き、自作の登場人物をイメージして作りました。

トミーとは別シリーズのキャラ“山田聖美”です。
中学生という設定なので、制服にしてます。
今回も、できあいの素材は使わずにやってますが……やはり難しい。個々のパーツの造形とは別に、顔全体のバランスやカメラ側の設定など、クリアすべき課題が山積みと感じてます。人物で動画のステップにまで進むのは、もうちょっと先になるかもしれません......