ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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トランプ大統領、就任一年

2018-01-20 11:53:21 | 時事
アメリカのトランプ大統領が、就任一年目を迎えました。

私は感心しています……とりあえず、一年間もったことに。

この一年間、とにかく、ごたごたばかりでした。

移民規制は憲法違反という指摘を繰り返し受け、オバマケアの撤廃もできず、メキシコ国境との壁も手つかずのまま。大型減税に関しては一定の方向性は示したようですが、財政との兼ね合いがどうなるのかというのが気になります。株価こそ高値をつけていますが、これとて、いつ崩れてもおかしくない砂上の楼閣でしょう。

公約が実現できていない一方で、政権幹部の首のすげ替えが何度もあり、ロシア疑惑はくすぶり続けています。

先ごろトランプ大統領は“フェイクニュース大賞”なるものを発表しましたが、そのなかにロシア疑惑をひそませていました。
“賞”に取り上げられたニュースは、確かに誤報と呼べるものが多いようですが、そういうもののなかにロシア疑惑を並べておくことで「これも誤報なんだ」と主張しようとする、いわゆる“情報操作”というやつでしょう。

ここで、名曲を一曲。

グリーン・デイの、American Idiotです。

  アメリカのアホにはなりたくない
  狂気に支配された国なんかいらない
  ヒステリックな響きが聞こえないかい
  サブリミナル・マインドがアメリカをむしばんでいる

  たぶん俺はアメリカのオカマなんだろう
  レッドネックにはついていけないぜ
  さあみんなプロパガンダに精を出して
  パラノイアの時代を歌うんだ
この歌は、2005年ごろ発表されたもので、当時のブッシュ政権を批判する内容です。
しかし今や、そのブッシュJrからさえ批判される人物がアメリカ大統領の椅子に座っています。世も末というやつです。10年以上前に発表された歌が、今の状況にこそぴったりなのです。
ロシア疑惑は、ウォーターゲート事件をもじって“ロシアゲート”などとも呼ばれていますが、その元祖のほうで辞任したニクソン先輩にならって、今年あたりトランプ大統領も辞任に追い込まれたりしないかなあ……と、ひそかに期待しています。

民進党、希望の党の統一会派白紙撤回……“保守二大政党制”はできない

2018-01-18 17:10:37 | 時事
民進党と希望の党の統一会派という話が白紙撤回となりました。

まだそんなところでごたごたしてるのか……という話です。去年の衆院選での乱痴気騒ぎを、まだ政界はひきずっているんですね。

あのとき、選挙特番で後藤謙次さんがいっていたことが思い出されます。
後藤さんは、保守で二大政党制を目指すのには限界がある、と指摘していました。

まさにそのとおり、保守で二大政党制というのはできない相談だと思うんです。

なぜなら、保守層の多くはすでに自民党を支持しているからです。
保守で大きな政党を作ろうと思ったら、自民党の支持層を切り崩していく必要があります。
しかしそれでは、どう頑張っても、自民党に拮抗するだけの勢力にはなれないでしょう。ものすごい勢いがあって、せいぜい百議席を超えられるかどうかというところじゃないでしょうか。
それ以上になろうとしたら、中道から左派よりの人を入れていくしかなくなります。
そうすると、基本的な考え方の不一致から内紛に明け暮れることになり、かつての民主党/民進党の二の舞になるにちがいないのです。
ですから、保守で二大政党はできません。政権交代が起こりうる政治風土を作るには、どうあってもリベラルの大政党が必要なんです。

政権交代がつねに起こりうる状況が必要だ、というのが私のかねてからの持論ですが、そうなるためには、保守の大政党を作るという考え方では無理でしょう。今回の、希望の党と民進党の合流断念で、そのことがいっそう明らかになったのだと思います。

分党という話も出てきているようですが、こうなったらもう二党とも完全に解党してしまって、所属議員はそれぞれが考え方の合う政党に合流したらいいんじゃないでしょうか。

アニマルズ「朝日のあたる家」(The Animals,House of the Rising Sun)

2018-01-17 17:04:22 | 音楽批評
今回は、音楽評論記事です。
何度も書いてきたとおり、このブログは基本プロモーション用です。なので、あくまでも拙著『ホテル・カリフォルニアの殺人』ゆかりの曲を中心に扱っていきます。

というわけで、今回はアニマルズの「朝日のあたる家」をとりあげます。

 

原題は、House of the Rising Sun。

この曲は、二つの点でトミーと関係していきます。

まず一点は、お読みになった方はご存知のとおり、この曲は『ホテル・カリフォルニアの殺人』のなかに登場します。
あの作品の舞台となっているホテル・カリフォルニアでは、毎晩パーティーが行われていて、そのパーティー会場を知らせるために音楽が使われています。そのなかの一曲が「朝日のあたる家」であり、作中でもかなり重要な役割を果たしていました。

そして二点目は、この歌をモチーフにしたトミーの短編があるためです。

以前書いた通り、その短編は文学フリマに出品していた『WANNABE'S』という本に収録されています。いうなれば、インディーズ時代に自主制作で出したミニアルバムの収録曲といったところです。

そういうわけで、この「朝日のあたる家」は、トミーとは浅からぬ縁があるのです。


さて、アニマルズの……と書きましたが、この歌はいわゆるトラディショナルです。
つまり、民謡のようにして歌われていた歌です。しかし、ここではアニマルズのバージョンについて書きます。トミーの短編も、アニマルズのバージョンをモチーフにしているためです。


この曲は、Am→C→D→F7→Am→C→Eというコード進行が基調になっています。

まあ、よくある進行ですが、ここで使われるDがポイントです。
ふつうに考えればDmになるところで、もとはおそらくそうでしょう。ジョーン・バエズが歌ってるバージョンがあるのですが、バエズもDmでやっています。

実は、こういうDメジャーの使い方は、珍しいものではありません。
たとえば、キーは違えど、ニルヴァーナがMTVアンプラグドでカバーしたレッドベリーの Where Did You Sleep Last Night なんかも、そっくりのコード進行を使っています。また、フーの Behind Blue Eyes も、やはりキーは違いますが似たような進行です。

では、その源流はどこにあるのか?

モード理論とかをもちだしてもっともらしい説明をつけることもできるかもしれませんが……一つのおもしろい話として、ただの間違いがもとになっているという説があります。

問題のコードは、普通のコード進行ではこんなふうになります。

Am→C→Dm→F 

なんの変哲もない進行です。先述したジョーン・バエズのバージョンもこれです。
ところが……このコード進行表の小文字のmというところを無視すると、

A→C→D→F

となります。

これはまさに、Where Did You Sleep Last Night の進行です。

m はマイナーコードであることを意味しているわけですが、それを無視すると、Dメジャーが出てくるのです。
アマチュアのギター弾きが「この mってなんだ?」と思い、なんだかよくわからないので無視して弾いた結果このコード進行ができたのではないか……これが“間違い”説です。
意図的にやったのではなく、間違ってそうした。すると、「これ、かっこいいじゃん」となって、世間に流布していったというわけです。

私は、これは意外とあるんじゃないかと思ってます。

それ間違ってるよ、といわれても、カッコいいからいいじゃん!で押し切る。ロックというのはそういうスタイルだと思うんです。
エレキギターのエフェクトのなかには、もともとアンプが壊れて変な音が出てしまったのを、「これいいじゃん」といって一つのエフェクトにしたというものがいくつかあります。たとえばファズなんかそうらしいです。
そういう“間違い”をも取り入れて一つの表現にしてしまうのが、ロックの流儀だと思うんですね。
それは、“間違い”を規定する権威への反逆であり、その姿勢ゆえに、ロックはカウンターカルチャーの最先端にあったのだと思います。

ここで、歌詞についても書いておきましょう。

元の歌は、娼婦の立場で歌われています。

  ああ母さん 子供たちに伝えておくれ
  私のしたことをしないようにと
  この朝日のあたる家で
  罪と不幸のうちに人生を費やさないように
アニマルズのバージョンは、うらぶれた貧民窟のようなところで敗残者として暮らす男……といったような歌詞になっています。
この歌詞も、わたしには先述の音楽的な理屈とリンクして感じられます。
つまりは、この歌の主人公はまっとうな道からはずれてしまっているわけです。“正当”とされる道からはずれたもの。それがロックだと思うんですね。

このように、音楽的にも、その歌詞からしても、「朝日のあたる家」はロック史の一面を体現しているのです。
そんなわけで、この曲をロックアンセムとして認定したいと思います。

北朝鮮、平昌オリンピックへ

2018-01-14 16:01:47 | 時事
北朝鮮の平昌オリンピック出場が話題になっています。

それと同時に、北朝鮮と韓国の間にも、対話を模索する動きが出てきたようです。
先日南北協議が開かれ、国連の事務総長も、アメリカのトランプ大統領さえも、これを歓迎しています。

私は、結構なことだと思います。

この数年間は、軍事的に威嚇するというやり方が支配的でしたが、それはむしろ事態を悪化させてきたと思うんです。ここらで、本当にそれが有効なやり方なのかということを真剣に検討してみるべきでしょう。

巷には「へたに宥和的な姿勢をみせるとその隙をついて核開発・ミサイル開発を進める」という危惧があるようですが、私はむしろ逆だと思います。
ほっといても北朝鮮は核ミサイル開発を進めるかもしれませんが、軍事的圧力をかければ、やめるどころかますますやるようになるんじゃないでしょうか。それが、この数年でわかってきたことだと思うんです。
軍事的な威嚇は逆効果にしかならない……みんなうすうすそう気づいてきたことが、対話の動きにもつながっているんだと思います。

オリンピックというと最近ネガティブな話題ばかりを聞くような気もしますが、もしこの平昌を機に緊張状態が緩和されるなら、“平和の祭典”の面目躍如ともなるんじゃないでしょうか。

レッド・ツェッペリン「天国への階段」(Led Zeppelin,Stairway to Heaven)

2018-01-12 15:43:09 | 音楽批評
今回は、音楽批評記事です。

前回は、トミーシリーズとして書いていた『悪魔を憐れむ歌』から、ストーンズの「悪魔を憐れむ歌」について書きました。
その流れで、まず『ホテル・カリフォルニア』の前に書かれていた幻の前作を紹介しようと思います。

それは、このブログで以前一度言及した『天国への階段』です。

横溝正史賞に応募し、最終までいったものの落選した、あの作品です。

このタイトルは、いうまでもなくレッド・ツェッペリンの「天国への階段」からとられています。
というわけで……長い前置きでしたが、今回はその「天国への階段」について書きましょう。

「天国への階段」は、いわずとしれたツェッペリンの代表曲です。
ツェッペリンの4枚目のアルバムに収録されています。この4枚目のアルバムは、ジャケットに文字がほとんどなく、タイトルも表記されていません。それまでの3枚のアルバムが『レッド・ツェッペリン』、『レッド・ツェッペリンⅡ』『レッド・ツェッペリンⅢ』だったために、その流れで『レッド・ツェッペリンⅣ』と通称されていますが、実際にはタイトルがつけられていない不思議なアルバムなのです。

このアルバムは、ツェッペリンにとって重要な作品です。

ツェッペリンというと今では伝説のバンドみたいな扱いになっていますが、現役で活動していた頃は、評論家筋からかなりボロクソに叩かれていました。
それでも熱狂的なファンがいたのであまり問題にはならなかったのですが、『Ⅲ』が一つの転換点となりました。この『Ⅲ』では、それまでのハードロック志向から打って変わってアコースティック路線を打ち出したのですが、そのことが、多くのファンを当惑させてしまいました。逆に評論家が高く評価したかというと、そういうこともなく、評論家たちもまた酷評したようです。それまで順調に飛行してきた“鉛の飛行船”が、はじめて壁に直面しました。
こうして、目指すべき方向を見失いかけていたツェッペリンが意を決して制作したのが、『Ⅳ』なのです。

 

このアルバムには Rock'n'Roll という曲が収録されていますが、「ロックンロール」というそのものズバリなタイトルで曲を作るというのは、そうそうできることではありません。ミステリー作家が「ミステリー」というタイトルでミステリーを書くようなものです。よほどの自信と覚悟がなければできないことでしょう。しかし、ツェッペリンはあえてそれをやりました。“六番目のストーンズ”イアン・スチュアートをピアノに迎え、正面からロックンロールに取り組みます。ここに「お前らがなんといおうと俺たちがロックンロール代表!」といわんばかりの彼らの決意のほどが見て取れると思うのです。

そして、そんな“Ⅳ”において中心をなす大作が、「天国への階段」、原題 Stairway to Heaven です。

曲は、ジミー・ペイジによる物悲しいギターのアルペジオからはじまります。
ベース音が半音進行で下がっていくのは、「階段」をイメージしているのでしょうか。
そしてそのアルペジオに、ジョン・ポール・ジョーンズの吹くバスリコーダーの旋律が入ってきます。イギリスの民俗音楽なども取り入れてきたツェッペリンの面目躍如といったところでしょうか。

そして、およそ一分ほども続く前奏から、ロバート・プラントの歌がはじまります。

  輝くものはすべて黄金だと信じている女がいる
  彼女は天国への階段を買おうとしている

という、意味深な歌詞です。

神秘的な雰囲気を漂わせながら、アコースティック調に曲は進んでいき、中盤からはダイナミックに展開していきます。
前半部分ではほとんど出てこなかったジョン・ボーナムのドラムも躍動し、ジミー・ペイジのギターソロが炸裂し、再びロバート・プラントのボーカルが入ってきます。
この曲の、クライマックスです。
その後半部分は、次のように歌われます。

  耳を澄ましさえすれば
  その調べはやがてお前のもとにやってくる
  すべてが一つに、一つがすべてになるとき
  揺らぐことのない岩となる

最後の一行は、英語ではTo be a rock and not to roll となっています。
カンの鋭い方は気づいたでしょう。
実は、この一行のなかにrock and roll という言葉が隠れています。
揺らぐことのない岩……それは、ロックンロールにほかならない。
評論家の渋谷陽一さんは、そのように解釈しています。
渋谷さんは、ツェッペリンの Communication Breakdown を聴いて頭がショートし、それ以来ショートしっぱなしなんだそうですが、つまりはそういうことでしょう。
耳を澄まして待っているものに、絶対的な志向の価値を与えてくれる……そういういくらか錬金術じみたイメージにロックが重ねあわされているのです。
すなわちこの曲は無上のロック賛歌であり、パンク勃興以前のロックンロール第二世代(※私の分類による)に打ち立てられた金字塔なのです。