今日は4月25日。
尾崎豊の命日です。
尾崎豊……
私にとっては、複雑な感情を持つアーティストです。
十代の頃は、かなりはまっていました。
しかし、その後歳月を経るにつれて、変化もありました。
尾崎豊なんていうと、ロック界隈では冷ややかな目で見られることも少なくないです。
大人になってから聴くと、あの頃の大人たちがそういう見方をしていたのもなんとなくわかる気はします。しかしそれでも、自分がたどってきた音楽を考えると、はずすことはできない存在なんだと思います。そこで、今日は尾崎豊について書きます。
(こちらの画像は、遺作となった『放熱への証』のジャケット。身の回りに置いてあるCDから探してみたところ、これが見つかりました)
尾崎豊を特徴づけるのは、あの青臭いメッセージ性ですね。
そこが、好きな人は好きになるところで、嫌いな人は嫌いになるところでしょう。
尾崎豊は、ジャクソン・ブラウンに影響を受けたと自ら語っていますが、青臭さもジャクソン・ブラウンの影響と思われます。
「愛という言葉をたやすく口にするのを嫌うのも、いったい何が愛なのか、それは誰にもわからないから」と歌うという……
アンチの人からすると「それ歌でやる必要ある?」ということになるんだと思いますが。
さらに、歌だけでは足りず、演奏をバックに朗読みたいなこともやっていて「ほざき豊」と揶揄されたりするわけです。
しかし私の場合は、そういうところを“深さ”と認識して、惹かれていました。
もっとも、私が尾崎豊を知ったのは、OH MY LITTLE GIRL という曲です。
すでに尾崎が世を去ったあとで、この曲がテレビドラマの主題歌として使われていて、それで知ったのでした。
この歌は、純然たるラブソングであって、青臭いメッセージ性みたいなものはあまり感じられません。それでも、この曲が私の心に訴えかけてきたわけです。そこから尾崎豊という人に興味をもち、「卒業」とか「15の夜」とかを聴いて青臭さの方向にいったのは、そのあとのことでした。
当時うちの近くにあったレンタル屋では、CDを丸ごと貸すのではなく、歌詞を印刷した紙と一緒にディスクを貸し出すスタイルでした。その質の悪いモノクロ印刷のざらついた感じが、歌詞に絶妙にマッチしていたのを覚えています。
それにしても、尾崎豊の入り口が、特にメッセージ性のあるけでもない OH MY LITTLE GIRL だったというのは、後から考えると不思議なことです。
そのころの私は、音楽を聴き始めたばかりのころで、日曜日にラジオでやっているランキング番組を聴いていました。
その番組は、50位から1位までをすべて放送する(もちろん切り取り方の長短はありますが)というスタイルで、通しで聴いていると大量の音楽が入ってきます。そして、その大量の音楽のなかから、尾崎豊が特別なものとして響いてきたのです。特に上位にランクインしていたわけではないにもかかわらず……
それはなぜなのか?
そのあたりのことを考えると、尾崎豊が単に「ほざき」だけのアーティストなのか、それとも、もっと深い何かを持っているアーティストなのかということを考える一助になるかもしれません。
ここで、私が読んで「へえ」と思った一つの説を紹介しましょう。
それは、下河辺美知子さんという人の研究です。
下河辺さんによると、尾崎の歌は、歌詞とメロディの関係に特徴があるといいます。
日本語の単語にはそれぞれ固有のイントネーションがあるわけですが、尾崎の歌では、そのイントネーションと逆になるようなメロディがつけられていることが多いというんです。
その代表として、「15の夜」のサビに入る前のところが挙げられています。
「15」という単語は、ふつうは特に高低をつけずフラットに読むでしょう。しかし、「15の夜」の該当部分では、「じゅう」から「ご」にかけて、逆に上がるメロディになっています。しかもその上がり方が、1オクターブもあるのです。あたかも、言葉のイントネーションという秩序に対して真っ向から反逆するかのように……
計算してのものなのか自然にそうなるのかはわかりませんが、尾崎の歌にはこういう言葉のレベルでの「反抗」がひそんでいるというわけです。その反抗が若者の心をとらえるんじゃないか……下河辺さんは、そういった分析をしています。
そんなふうに考えると、尾崎豊も実は結構深いんじゃないか。
単に青臭いだけのミュージシャンでもないんじゃないか。
そうも思えてきます。
26歳という若さで夜を去った尾崎ですが、彼がもっと長生きしていたら、どんなことを歌っていただろうか……そんなことを思う4月25日でした。