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ガボリオを忘れるな

2005-07-22 01:40:03 | 本と雑誌
gaboriau
 
 
 
 
Emile Gaboriau(1832-1873)




小倉孝誠「推理小説の源流 ガボリオからルブランへ」(淡交社)

一般に推理小説は1840年代、エドガー・アラン・ポーの「モルグ街の殺人」から始まるとされ、1860年代のウィルキー・コリンズやチャールズ・ディケンズを経て、1880年代のアーサー・コナン・ドイルが完成したとされる。しかし、推理小説の歴史において、忘れてはならない重要な底流として19世紀フランスの新聞小説があり、大衆ジャーナリズムの発展とともに現れた、新しい読者層に向けた小説が書かれなければならないと考えた男がいた。エミール・ガボリオである。

この本は、フランス文学者であり19世紀に発刊された新聞等を詳細に調査し、当時の文化や社会を読み解いてきた小倉孝誠がガボリオの復権を企てたものである。
ガボリオがポーに影響を受け、最初の長篇推理小説「ルルージュ事件」を書いた作家であるということはよく知られているが、それ以上に言及されず、ガボリオの小説が推理小説の源流として果たした功績が忘却されているという状況があり、そのことが著者をしてこの本を書かせる動機となっている。
本書は大きく3つの章に分かれており、第1章では19世紀前半のフランス社会において犯罪という現象がどのように捉えられ、それが同時代の文学でいかに説話化されたかを探り、推理小説を生み出す状況がフランスにおいて揃っていたことを明らかにする。第2章ではガボリオの小説の梗概と緻密な分析がなされ、第3章ではガボリオの後継者として、ドイルやガストン・ルルー、モーリス・ルブランが論じられる。

19世紀のパリはロンドンと同様に犯罪が多発する都市であった。犯罪の増加にはそれを取り締まる警察制度の整備が必要とされ、パリ警視庁が設立されるとともに、監獄制度の改革は当時様々に議論され、様々なシステムが提案されもした。同時に犯罪は市民の関心を喚起し、新聞はそれに応えるように犯罪報道を売りにし、1825年には「法廷通信」が創刊され、裁判記録なども刺激的な読みものとして読まれるようになっていった。これはバルザックやスタンダール、ユゴーやデュマといった作家たちにとっては創作のための情報源となった。スタンダールの「赤と黒」がこの「法廷通信」に掲載された事件から生まれたことはよく知られている。
創作の源泉としてはもうひとつ、フランソワ・ヴィドックという、あらゆる犯罪を重ねてきた悪党でありながら、パリ警視庁の刑事になり、私立探偵社を設立するに至った男の回想録があった。これは多くの読者を獲得したが、バルザックはヴィドックをモデルにヴォートランを生み、ユゴーもまた彼をモデルとしてジャン・ヴァルジャンやジャベールを生んだ。ガボリオの小説に登場するルコックやタバレもヴィドックの影響から生み出された。
このヴィドックという男の二面性はフーコーによれば「警察と非行性の直接的で制度的な結合を示す典型」とされるが、犯罪者であり犯罪を取り締まる者でもあるという両義性は、探偵と犯人がコインの裏表のような関係であることを示唆してもいる。

こうした状況のなかで、新聞に掲載される小説は犯罪の物語化を進め、ウージェーヌ・シューの「パリの秘密」や「さまよえるユダヤ人」が一世を風靡するに至る。このような犯罪物語の流行に加え、ポーの小説がフランスに入ってくる。シャルル・ボードレールによる翻訳以前にも様々なかたちでポーは紹介されていたようだが、瑣末な事実や痕跡から推論を重ねることによって事件の真相を突き止めるといった手法によって、ポーは犯罪物語から推理小説への決定的な転換をもたらした。

ガボリオはポーの物語技術の影響のもと、自由な個人と司法の人間に犯罪捜査を分かち持たせたり、薬物鑑定や写真といった同時代の科学を捜査に導入したりした。彼が生み出したルコックやタバレといった人物は犯罪の現場にある痕跡を観察し、合理的な推理で事件を解決に導く。これらがドイルに大きな影響を与えたことによって、シャーロック・ホームズは誕生したのだった。

最後にガボリオ以降のフランス推理小説において大きな存在であるガストン・ルルーとモーリス・ルブランについて論じられるが、ルルーの「黄色い部屋の謎」がルコック=ホームズのおこなった方法を乗り越える新たな推理小説の地平を切り開いたものであることやルブランの生んだアルセーヌ・ルパンが、世紀末からベル・エポックへという時代の推移を体現するスピードへの熱狂とタイムリミットを設定することによるスリルを推理小説に導入したことが示される。このルパンは変装の名人であり、後に大怪盗から探偵へと転身を遂げるのだが、ここにもヴィドックが反映していることは言うまでもない。

ガボリオの小説は明治期に黒岩涙香らによって翻案がなされており、それが江戸川乱歩や横溝正史に大きな影響を与えたことなど、本書には日本でのガボリオ受容についても記されている。

この本を読んだ後、ガボリオの小説を読みたくなったが、現状では古本を探すしかない。
藤原編集室の本棚の中の骸骨によれば、国書刊行会から「ルルージュ事件」が出る予定とのことなので、それを気長に待つことにしたい。


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