むらぎものロココ

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ブルーについての哲学的考察

2005-03-17 02:35:30 | 本と雑誌
gelb-rot-blau


Wassily Kandinsky
「黄・赤・青」1925
Gelb-Rot-Blau


ウィリアム・H・ギャス「ブルーについての哲学的考察」(論創社)

このエッセイは、ブルーへのオマージュである。
ブルーな言葉が列挙され、次々と連結しながらイメージの奔流となってほとばしるさまに圧倒される。また、それと同時に「セックスが文学に入り込む5つの方法」について書かれたものでもあり、その5つの方法とは次のようなものである。

1.性的な素材を―性的な思考、行動、願望を―直接に描写する
2.さまざまな種類の性的な言葉を使用する
3.間接的な表現の中心である、芸術家のわざの精髄としての置き換え
4.空のように青い目
5.恋人のように言葉を使うこと

6.ブルーな言葉の3つの機能(色としてのブルー、語としてのブルー、プラトン的イデーとしてのブルー)

文学におけるセクシャリティは場面や主題でもなく、野卑な言葉にでもない、うまくつくられた愛のページの上にある。ここでは従来のリアリズム文学の限界が示されてもいるのだが、ギャスが思うところの文学というのは、現実や自然を超えて、読者の前に新しい世界を言葉によって創造する(作品を愛撫する)ということである。
誰よりもそうすることができたヘンリー・ジェイムズを讃えながら彼は次のように書いている。

「もし私たちが彼の文章であったら、たとえ私たちが死のうとしていて、絶滅に瀕していても、私たちはみずから歌を歌うだろう。なぜならば、私たちが去ったあとの沈黙は、騒々しい列車があとに残す静止とはちがうからだ。それは記念碑となるだろう。」

哲学的考察ということでは、これまでの哲学が感覚を理性の支配下に置き、色彩を見せかけのものとして、非本質的なものとしてきたことへの批判的な言及がなされており、このあたり、ミメーシスとファンタジア、あるいは表層と深層といった問題とクロスさせてみると面白いかもしれない。

さらに「ブラウエ・ライター」カンディンスキーの「抽象芸術論」が引用される。

「ブルーは内部の生命の色としてもっともふさわしい」
「(ブルーは)ほとんど人間的なものを越えた嘆きをこだまする」
 
あらゆるものから遠く離れ、卑俗なものから高貴なものまで、全てを吸い込むブルー。
この本はブルーの国の住人、すなわち「恋人のように言葉を使うこと……愛を表現する言葉ではなく、言葉を愛すること」ができる人間や作品とともに自ら歌う読者のために向けて書かれたものである。

「物ではなく意味、舌が触れるものではなく、舌が形づくるもの、唇や乳首ではなく名詞や動詞だ。」
  
ブルーな言葉のために、ブルーな物事を棄てること。


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