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モデスト・ムソルグスキー

2007-01-13 02:33:51 | 音楽史
596Modest Moussorgsky
BORIS GODOUNOFF
 
LOVRO VON MATACIC
ZAGREB PHILHARMONIC ORCHESTRA

モデスト・ムソルグスキー(1839-1881)は、カレヴォの富裕な地主階級の子として生まれた。母親からピアノを習い、9歳の頃にはフィールズのコンチェルトを家族や友人の前で演奏した。13歳のときにサンクトペテルブルグの近衛師団士官候補生の学校に入学した。ムソルグスキーは和声や作曲を学んだことはなかったが、学校を卒業した17歳の頃にオペラの作曲を試みるなど、音楽への関心は持続していた。1857年にムソルグスキーはダルゴムィシスキーとキュイに出会い、この二人を通じてバラキレフとスタソフに出会った。そしてムソルグスキーはバラキレフから声楽やピアノ曲の作曲法を学ぶようになる。しかしその翌年、ムソルグスキーは精神的な危機に陥り、軍務をやめ、その後モスクワに行ったことで、彼のなかに愛国心が燃えあがり、作曲への意欲も湧きあがった。しかし、1861年の農奴解放によるムソルグスキー家の没落といった問題に悩まされ、作曲の成果はあがらず、スタソフやバラキレフからは「ほとんど白痴」とみなされる状態であったが、それでもムソルグスキーは作曲をやめなかった。
ペテルブルグに戻ったムソルグスキーは官吏としての仕事をするようになり、知的・芸術的な環境のもとで芸術や宗教、哲学や政治について考えを深めていったが、1865年の母の死を契機に、飲酒癖がひどくなり、アルコール依存症になっていく。
ムソルグスキーの芸術観は次第に自然主義に、そしてリアリズムに傾斜していった。ちょうどその頃、1866年にダルゴムィシスキーはプーシキンの「石の客」を題材にオペラの作曲に取り組んでいて、イタリア・オペラ的なアリアやレチタティーヴォではなく、ロシア語のイントネーションから旋律を生み出すデクラメーションを試みていた。ムソルグスキーはこのダルゴムィシスキーの実験に強い影響を受け、自らもデクラメーションによる作曲を試みるようになった。そして生まれたのが「ボリス・ゴドゥノフ」であったが、この歌劇は上演を拒否され、改訂を経た後、1874年にようやく初演された。しかし、この作品は同志であるキュイからも批判されるなど、その独創性は当時の理解を超えるものであった。
1874年以降、「展覧会の絵」など代表的な作品が生み出されていくが、ムソルグスキーのアルコール依存症はますますひどくなり、周囲の親しい友人たちの相次ぐ死はそうした傾向にさらに拍車をかけた。次のオペラ「ホヴァンシチナ」に取り組むも、すでに創作活動を続けることが困難な状態になっていた。官吏の仕事も続けていくことができず、1880年にはやめざるをえなくなる。そして翌年の1881年、ムソルグスキーは死去した。

ムソルグスキーの音楽はドビュッシーに影響を与えた。ヴァーグナーを乗り越えたいと考えていたドビュッシーにとって「ボリス・ゴドゥノフ」は天啓であり、「ペレアスとメリザンド」の源泉となった。ドビュッシーはムソルグスキーについて次のように書いている。

「私たちのうちにあるもっともよいものを、彼ほど優しく深みのある口調で話した者はいない。前例のないその芸術、ひからびたきまり文句のないその芸術によって、彼は独自だし、今後もまた独自でありつづけるだろう。かつてかくも洗練された感受性が、かくも単純な方法で翻訳されたためしはない。それは、感動が跡をつけた一足ごとに音楽をみつける。好奇心にとんだ未開人の芸術に似ている。あれこれの形式といったことは、まるでもう問題ではない。すくなくともその形式は、あまりに多様なので、既成の―行政的と言ってよさそうな―形式と関係づけることができない。それは不思議な糸と明るい透視眼でむすびあわされたあいつぐちいさな筆づかいによって、成りたち、組みあげられている」

ムソルグスキーは芸術をロシアの民衆の生活にできるかぎり近づけていきたいと考えていた。ジャンケレヴィッチは次のように書いている。

「いかなる修辞も取り除いた裸の現実、肉と骨をもった真実、脈絡のない生まの真実、リモージュの市場でしゃべり立てる女たちの真実、ソロチンスクの市で言い争うコザック人、ユダヤ人、ジプシーたちの真実、乳母とおしゃべりする子供の無邪気な真実、これらすべての自然のままの、生まの、裸の真実が、ムソルグスキーの音楽にはじかに現存している。これらのひとびとの粗野な純真さは、芸術が精神と世界の騒音とのあいだに介在させる表徴の厚みも、理念化ないしは様式化の距離も通り越える必要はなかった」

「ムソルグスキーの音楽は、まっすぐに目標に到達する。道のりを長くするような前口上、前置き、そして中間項を無視する。この廻り道のない無心な音楽が、どうして簡潔でないことがあろうか。『ボリス・ゴドゥノフ』は前奏曲を最小限に抑え、われわれをいきなり行動の中心に投げ込む」

→「ドビュッシー音楽論集」(岩波文庫)
→ジャンケレヴィッチ「音楽と筆舌に尽くせないもの」(国文社)


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