むらぎものロココ

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モーリス・ラヴェル

2007-02-24 19:28:45 | 音楽史
PconMAURICE RAVEL
CONCERTO POUR PIANO ET ORCHESTRE
HUSEYIN SERMET(Pf)
EMMANUEL KRIVINE
ORCHESTRE NATIONAL DE LYON

 
Baudelaire_1「アンドレ・シュアレスがラヴェルの写真を見てびっくりして、これはボードレールの弟だと言ったという話にはさもありなんと頷かせられる。実際、ゆがんだ口元にしろ、恥かしそうであると同時に決然としているまなざしにしろ、瓜二つである。それだけではない。この二人は動物の習慣―とりわけ猫のそれ―に取り憑かれていたこと、異様で突飛な衣服を偏愛していたことに思い当たる人もいるかもしれない」(ロックスパイザー「絵画と音楽」)

ボードレールは同化する。彼はドラクロワの作品に自分が映し出されているのを見たり、ポーの詩やド・クインシーの散文を自分が書いたものだと思ったり、「この音楽は私が作った音楽のような気がします」とヴァーグナーにあてて、手紙を送ったりした。ボードレールが書いた唯一の小説である「ラ・ファンファルロ」には、このように対象に同化する性癖を持ったサミュエル・クラメールが登場する。

「サミュエルにとってごく自然な悪癖の一つは、自ら讃嘆の対象となし得た人々と対等な者と己をみなすことであった。見事な本を一冊夢中になって読み終わった後で、思わず下す結論は、これは私が書いたとしてもはずかしくないほど立派だ! というのであり、―そうなればあと、だから私が書いたのだ、と考えるにいたるまでは、―ダッシュ一本の距離しかない」

「自ら同時に、研究したことのある芸術家のみなでもあれば、読んだ本のすべてでもあって、それでいて、この俳優的能力にもかかわらず深く個性的であった」

あらゆる対象に同化しながらも個性的であることを失わないのはボードレールも同じであった。彼も同一化のプロセスを経ることで限りなく豊かになっていった。これはラヴェルにも同様にあてはまる。彼は言った。「模倣することによって私は新機軸を打ち出す」と。

モーリス・ラヴェル(1875-1937)は、スペインにほど近いシブールに生まれた。父はスイス人の発明家で、母はバスク人であった。ラヴェルは7歳からピアノを始め、11歳から和声や対位法を学んだ。彼もドビュッシーやサティと同様に、1889年のパリ万博でロシアや東洋の音楽を知り、強い関心を抱いた。1889年にパリ音楽院に入学、1893年頃にシャブリエとサティに出会い、両者から強い影響を受けた。1895年にいったん退学したが、その後復学して1897年からフォーレとジェダルジュに学んだ。ラヴェルはパリ音楽院に在学中、ローマ大賞に5回挑戦し、いずれも落選したが、5回目の落選のときは審査のありかたをめぐって抗議が殺到し、パリ音楽院の院長であったデュボワが辞任に追い込まれる騒動になった。音楽院卒業後、ラヴェルはピアノ曲や歌曲を中心に作曲家として活動するようになったが、1906年にジュール・ルナールのテクストに作曲した歌曲「博物誌」が、再び騒動を巻き起こした。フランス語の自然な抑揚を反映し、最後のシラブルを落とすなど、ポピュラー音楽のやりかたを芸術歌曲に導入したことにより、それまでの歌曲の秩序を侵害し、挑発したからであった。1910年には保守的な国民音楽協会に対抗して新しい音楽の擁護と忘れられた才能の再発見を目的に、独立音楽協会を創設した。第一次大戦中はトラックの運転手として従軍、1928年にはアメリカへ演奏旅行をし、ニューヨークで大成功を収めた。しかし、1932年に事故に遭い、以後、記憶障害や失語症などの後遺症に悩まされ、作曲をすることができなくなった。1937年に脳手術を受けたが、症状の改善には至らず、死去した。

ラヴェルはドビュッシーとともに印象派とされるが、ラヴェルの音楽はストラヴィンスキーが「スイスの時計職人」と評したほどの精密なスタイルと明確で力強いリズムを特徴としており、伝統的な形式と構造を受け継いだ古典主義的な側面を持つものである。
彼は様々な音楽から影響を受け、様々なスタイルの作品を残したが、それぞれに自分自身を刻印した。ラヴェルが自作に取り入れたものを挙げていけば、スペインのバスク民謡やボレロ、ハバネラといった舞曲、アメリカのジャズやブルース、ジプシーの音楽、ロシア五人組の音楽、ウィンナワルツ、18世紀のフランスバロック音楽の舞曲や組曲、東洋の音楽、教会旋法、モーツァルト、リスト、酒場などで歌われるシャンソンなどのポピュラー音楽がある。このように、ラヴェルは古い音楽や新しい音楽、そして様々な地域の音楽を取り入れながらも、ラヴェルの音楽としか言いようのない独自性を備えた音楽を生み出したのである。
また、オーケストレーションの大家としても知られたラヴェルは、自作のピアノ曲を管弦楽曲化するとともに、ムソルグスキーの「展覧会の絵」を管弦楽曲化したり、ストラヴィンスキーと協力してムソルグスキーの未完のオペラ「ホヴァンシチーナ」を補作したりしている。

→E.ロックスパイザー「絵画と音楽」(白水社)
→「ボードレール全詩集2」(ちくま文庫)
→O.ヴォルタ編「エリック・サティ文集」(白水社)
→宇佐美斉編「象徴主義の光と影」(ミネルヴァ書房)
→Burkholder/Grout/Palisca A HISTORY OF WESTERN MUSIC
 (W.W.Norton & Company)