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グスタフ・マーラー

2007-02-02 01:01:54 | 音楽史
Boulez9MAHLER
SYMPHONIE NO.9
 
Pierre Boulez
Chicago Symphony Orchestra

グスタフ・マーラー(1860-1911)は、カリシュトに生まれた。その後家族はすぐにモラヴィアのイグラウに移り、マーラーは幼年時代をイグラウで過ごした。マーラーは6歳からピアノのレッスンを受け、15歳でウィーン音楽院に入学し、そこでピアノや和声法、そして作曲を学んだ。これらの課程を優れた成績で修了したマーラーは、ウィーン大学の聴講生となり、ブルックナーの講義に出席したほか、歴史学や哲学を学んだ。この頃にはすでにヴァーグナーに対する熱狂が始まっていて、マーラーはヴァーグナー協会に入会し、社会主義的なグループとも交流を持つようになっていた。21歳の頃、「嘆きの歌」でベートーヴェン賞に応募したが落選し、作曲家への道を阻まれた。
マーラーは1880年から指揮者として活動を始め、その活動はリュブリアーナ、オルミュッツ、カッセル、プラハ、ライプツィヒ、ブダペストといった各都市で展開されたが、1891年にハンブルクの歌劇場で初めて長期の契約を結び、首席指揮者として1897年まで勤めた後、指揮者としては最高の地位のひとつであるウィーン宮廷歌劇場の音楽監督に任命された。
マーラーは歌劇場の様々な面において改革をおこなった。オーケストラ・ピットの床を低くして、演出効果の妨げにならないようにしたり、上演する作品においても、それまでプログラムの中心であったイタリアやフランスのオペラを減らし、モーツァルトやヴェーバー、ヴァーグナーなど、ドイツ・オーストリアの作品を増やしたり、ヴァーグナーの「ニーベルングの指環」を省略することなしに上演したり、アルフレート・ロラーの協力を得て、ベートーヴェンの「フィデリオ」やヴァーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の上演の際に、光と色彩を効果的に使用した新しい演出方法を試みたりなどした。
後に結婚することになるアルマ・シントラーとは1901年に出会った。アルマを通じて、クリムトらの「ウィーン分離派」をはじめとするウィーンの文化人たちとの交流が生まれ、マーラーは分離派がおこなった「ベートーヴェン展」にも深く関わることになった。また、ツェムリンスキーやシェーンベルクといった新しい音楽を志向する作曲家たちとも交流し、彼らに強い影響を与えた。
指揮者として頂点を極めたマーラーであったが、ウィーンのユダヤ人排斥運動の高まりや楽団員との不和などにより、1907年にウィーン宮廷歌劇場を辞任し、メトロポリタン歌劇場からの招聘を受け、渡米することとなった。心臓を悪くし、体調がすぐれないながらも、メトロポリタン歌劇場とニュー・ヨーク・フィルで精力的に活動したが、重体となり、1911年にウィーンで死去した。

Mahrc34_1作曲家としてのマーラーは、同時代の聴衆や批評家に好意的に受け入れられたわけではなかった。例えばハンスリックは「われわれのうち一人は気が狂っているにちがいない。そしてそれは私ではない」と評したし、マーラーの「交響曲第1番」は1889年にブダペストで初演されてからというもの、各地で演奏されるたびに聴衆から多くの反感を買った。
マーラーの音楽は「騒音の洪水」であり、構築性を欠き、思いつきをただ並べただけのものであるとみなされたのである。

しかし、このようなマーラーの音楽こそ、硬直した西洋の近代音楽の限界を乗り越えようとした音楽であったとし、そこにアクチュアリティを見出したのがアドルノであった。
彼はマーラーの音楽の形式理念で本質的に重要なものとして「突破」、「一時止揚」、「充足」を挙げる。アドルノ=龍村によれば、「突破」は「世の成り行き」と対置される。「世の成り行き」とはヘーゲルの概念であるが、ここでは破綻なく流れていく連続的な時間性のことであり、表面上論理的な、従来の芸術語法で了解可能な時間の動きのことをいう。「突破」はその連続的な時間を突発的に多種多様に打ち壊し、目覚めさせようとする瞬間のことであり、「一時止揚」は突破によって内在的論理が一時的に停止され、一定の時間、別世界が繰り広げられることである。「充足」は中世歌謡のバール形式でいうところのアプゲザングのようなものであり、それはあるひとつの音楽連関をそれにとってまったく新しいものによって充足するというもので、内在的完結性という理念とは対立する。「形式に内在しないもの、計算しきれないものがアプゲザングとしてそれ自体、形式カテゴリーとなり、異なっていてしかも同一のもの」となるのである。充足は「蓄積された力の解放」であり、「鎖を解き放たれた自由」である。

アドルノは次のように言う。

「主体は世の成り行きの中に捕らえ込まれ、その中で再び自己を見出すことも、世の成り行きを自分で変えることもできない。活動する生がベートーヴェンにあってはいまだ脈打っていたあの希望、ヘーゲルに『精神現象学』で、世の成り行きが結局は、その中で実現される個人性よりも優位に立つことを認めさせたあの希望は、自らの内へと引き籠らされ、無力となった主体には失われた。それゆえマーラーの交響曲は新たに、世の成り行きに対し立ち向かうのだ。マーラーの交響曲は、世の成り行きを告発するためにそれ自体を模倣する。音楽がそれを突き破る瞬間とは、同時に異議申し立ての瞬間でもある。マーラーの交響曲は、主観と客観との間の亀裂をどこにも取り繕おうとはしない。和解を成功したものとして見せかけるよりは、むしろ自ら砕け散るのだ」

アドルノによれば、ドイツの音楽はベートーヴェン以来、システムであったという。古典主義的なソナタ形式、またはそれに則った交響曲という「自律的な音楽の統合的一体性」は音楽の素材を支配することで多様性を消滅させてしまった。アドルノは、こうした音楽の流れを西洋哲学の流れとパラレルにとらえていて、カントやヘーゲルにベートーヴェンを対応させている(ベートーヴェンの「主題労作」とヘーゲルの「労働」概念)。
マーラーはこのような自律的で矛盾のないシステムを拒否し、調和した音楽という矛盾のない体系が確立されていく過程の中で切り捨てられてしまったものを自分の元に引き寄せ、そうすることで体系性の暴力に抵抗した。音楽の調和性、矛盾のない体系の調和性にマーラーは終わりを宣告し、そこに亀裂を入れる。そしてマーラーはこの亀裂を形式原則とする。
アドルノは矛盾を解決することによって全体的な同一化を図るというようなヘーゲル的な弁証法を批判し、合理的な思考における不適合性として現れる主観と客観の差異や思考と事物的なものとの非同一性といったものに向き合い、全体的な同一化の不可能性を追求し、そうすることで、同一化の暴力を暴き、それに抵抗する非同一的なものの痕跡を救おうとした。このような非同一性を思考する弁証法をアドルノは否定弁証法と呼んだが、アドルノはマーラーの音楽に否定弁証法の音楽的な具現化を見る。

アドルノは、システムの中におさまりきらないようなものは小説や劇といった文学へ逃れていったとし、マーラーの音楽を「小説的な交響曲」と呼び、次のように言う。

「交響曲の形式がもはや音楽的な意味を、必然的連関としても真理の内実としても保証しない、それゆえ形式自体が意味を探さねばならない、という理由から、直接的なものと間接的なものとが結合されることになる。一種の音楽的なありのままの現存在、すなわちその民衆的なものから媒介が引き出されねばならず、媒介によってはじめて民衆的なものは意味深いものとして自己を正当化する。それによってマーラーの形式は、歴史哲学的に長編小説の形式に近づく。音楽的素材は月並みだが、演じ方は至高である。小説の中の小説と言えるフロベールの『ボヴァリー夫人』における内容と様式との布置関係は、まさにこれと同様であった」

「ドラマ的な交響曲が論証的論理というモデルを模した緊密な構成の徹底の中でその理念を捉えるということを信じているならば、小説的な交響曲はそういう論理からの逃げ道を探している。つまりは自由になりたいのだ」

マーラーが「世の成り行き」を告発するためにそれ自体を模倣したように、フロベールは「紋切り型辞典」において「多数者の側にたって多数者の物語を模倣しながら、しかも多数者の説話論的な欲望にしたがって平等かつ民主的な多数者を攻撃することで多数者から身を守る」戦略を取った。そして彼の小説は「細部に淫することで生じてしまう小説の物語機能の失調状態」を招いたのであったが、ここにもソナタ形式に則した交響曲に亀裂を生じさせたマーラーとの類似を見ることができるだろう。

マーラーは「世の成り行き」と「突破」との対立関係を「自己の形象の音楽内的構成によって具体化し、対立を媒介」する。この対立の構造化によって、破綻の形式が生成し、「既存の形式が保証することになっていた連関は、今や破綻性によって作り出される」ことになる。それは見かけ上は、様々な断片を寄せ集めたポプリ(接続曲)のようになるが、このようなありかたは、散乱した要素の意識下の連関として、マーラーにおいては「一般的な類型による凍結したグループ化を感性豊かに溶解させる組立法の美徳になる」。マーラーにあっては、「あらゆるカテゴリーが少しずつ侵食され、どのカテゴリーも明確な境界の中で確立されてはいないが、それは分節化の欠如ではなく、分節化の改良に由来する」のである。
普遍と特殊、楽音と自然音、器楽と歌曲、長調と短調、芸術音楽と通俗音楽といったものの対立は、音楽の中で媒介され、混ぜ合わされ、変形され、二律背反的な緊張のなかで相互間の同一化の不可能性を示す。これらが相互に否定しあうことによって音楽は展開するが、マーラーを聴くということは、この決して同一化されない事態を経験することなのである。

ブーレーズには次のような発言がある。

「マーラーは、硬直して装飾的な常套手段に凝固してしまった形式のハイアラーキーを攻撃し、プルーストやジョイスにおける物語=レシと比べられる様な、はるかに自由な叙述を獲得するために、あの形式的枠組みというものを爆破した。そうすることで、音楽の実体そのもの、その組織、その構造そしてその力に影響を及ぼした。マーラーの想像力と技巧はナレーションのもつ叙事詩的広がりを有し、様々に異なる特質を持つ材料を区別することを拒否し、基本的な材料をすべて見当違いの形式的制約から解き放たれた構造の中で自由に混ぜ合わせた。同質性、体系性――彼の場合、馬鹿馬鹿しい概念――は無視された。マーラーは選択を行なわない。というのは選ぶという事は自分の基本的プランを裏切ることになるから」

こうしてマーラーの音楽は「イデオロギーに堕した音楽文化の破壊の後に、その破片や記憶の断片から、第二の全体性を形成」する。それによって、「芸術がそれに対して反抗を企てるけれども根絶はしない文化を再び回帰させる」のである。

ナターリエ・バウアー=レヒナーが記録したマーラーの数々の発言からは、彼が音楽を言葉で巧みに表現する優れた能力に恵まれていたことが十二分に伝わってくる。自分の書いた交響曲についての発言はそれ自体が詩のように美しく、また指揮者としての経験に裏打ちされた具体性を持っているが、ここでは作曲や音楽一般についてのマーラーの発言を抜書きしておく。

「作曲でもっとも重要なのは、純粋な書法、つまり個々の声部が、この場合の模範である四重唱のように、歌のようであることだ。弦楽合奏では、まだ十分に透明感がある。オーケストラが大きくなればなるほど、透明度は減るけれども、かといってそこで透明さが重要であることは全く変わらない。植物の場合に、一人前の木として花を咲かせ、枝を幾重にも伸ばした木が、たった一枚だけの葉からなる原形から成長していくように、また人間の頭がひとつの脊椎骨にほかならないように、声楽の純粋な旋律性を支配している法則は、豊満なオーケストラ曲の錯綜した声部組織にいたるまで、保持されなくてはならない。
 僕にあっては、ファゴットもバス・チューバも、そしてティンパニーでさえも、歌うようでなくてはならないのだ。このことは本物の芸術家のすべて、とくにリヒャルト・ヴァーグナーにも当てはまる。ただ過去の人たちは、自然音の楽器の不完全性によって、濁った響きや当座凌ぎの措置を余儀なくされることがしばしばで、そのことで、止むを得ない箇所以外にも声部書法の無頓着や不明瞭が忍び込むことになったのだ」

「たぶん僕たちは、根源的なリズムやテーマをすべて自然から受け取っているんだろう。野獣の立てる声ひとつとっても、すでに自然はそれを通じて、そうしたリズムやテーマを的確に僕たちに提供しているのだ。それはちょうど人間、とくに芸術家が、彼をとり囲んでいる世界からあらゆる素材や形式を――もちろん、その意味を変え、拡大した上で――得ているのと同じだ。あるいは敵対的な対立関係に立つにせよ、また超然とした見地からフモールやイロニーをもって自然との関係を片付けようとするにせよ、こうした自然とのかかわりによって、それぞれ、美的で崇高な、情感的で悲劇的な、そして狭い意味での諧謔的、反語的な芸術様式の基礎が得られるのだ」

「僕の場合、詩節が交替しても、そもそも繰り返しというものがないことがわかるだろう。それというのも、音楽には永遠の生成、永遠の発展という法則があるからなんだ。―まさに世界が同じ場所にあっても、つねに別の、永遠に変化するものであるようにね。もちろんこの発展は進歩でもなくてはならない。そうでないと、何にもならないだろう!」

「音楽は、常にある憧憬を含んでいなくてはならない。それは、この世界の事物を越え出ようとする憧れだ。すでに子供の頃から、音楽は僕にとって何か謎のような、僕を高みに連れていってくれるようなものだった。でも僕は当時、想像力によって、音楽の中になどまったくないような無意味なものまで、そこに押し込んだのだ」

「芸術作品の中ではたらいているのは、まず何よりも変わらぬ神秘であり、測り知れない何かなのだろう。きみがある作品を見極めてしまえば、それはもうその魔法や魅力を失ってしまう。―どんなに美しい公園であっても、きみがもしその小径のすべてを知ってしまえば、きみには退屈になって、もうそこを散歩したくなくなるのと同じだ。(カールスバートの温泉にはいったあと、運動しようというのならべつだけどね。)それと全く違うのが、僕らのマイエルニクの森で、そこで無数にからみあい、ひっそりと何処へともなく通じている小径は、いくら辿ってみても飽きることはない」

「聴いてみろよ!これがポリフォニーだ。僕はこうしたところからポリフォニーを手に入れているのさ!まだとても小さい子供の頃、イグラウの森で僕はこうしたポリフォニーに奇妙に心を動かされ、印象づけられた。それがこうした騒音として響こうと、多くが混じり合った鳥の鳴き声や嵐の怒号、ザブザブいう波の音や火がパチパチ燃える音として響こうと、変わりはないからだ。まさにそのように、各テーマは全く違った方向から聞こえてこなくてはいけないし、リズムや旋律もまるっきり違ったものでなくてはならない。(それ以外のものは、すべて単なる多声性か偽装されたホモフォニーにすぎない。)ただ、芸術家がそれを互いに調和して響き合うひとつの全体に組織化し、統一するだけのことだ」

→渡辺裕「文化史のなかのマーラー」(ちくまライブラリー)
→H-L.ド・ラ・グランジュ「グスタフ・マーラー失われた無限を求めて」(草思社)
→T.W.アドルノ「マーラー音楽観相学」(法政大学出版局)
→蓮實重彦「物語批判序説」(中公文庫)
→伊東乾「時空の操作者」(ユリイカ1995年6月号特集=ピエール・ブーレーズ)(青土社)
→N.バウアー=レヒナー「グスタフ・マーラーの思い出」(音楽之友社)