楽しく愉快な人生を

ー いつも模索しながら ー

旧友Y君の彫刻遺作展示会に京都まで

2011年10月21日 | 日記

21日(金)は午前中は青空が広がり、大阪も出かけた京都もものすごく好いお天気でした。昼過ぎから曇りだし、夕方には雨になる予報ですので、大急ぎで帰ってきました。

旧友の彫刻家Y君が、心不全でこの1月に急に他界しました。急だったので広島県でのご葬儀に参加できないで、忸怩たる思いでした。昨日彼の未亡人より今年も京都で遺作品を「新制作展」展示会で出しますという招待状を受け取りました。毎年のことで多少意見を言ったりしていたので、特に見に行ってほしいというお手紙でした。小学校で4年間、中学校で3年間、高校で3年間の計10年間を良くも悪くも同窓生で来たY君が急逝するとは思いませんでした。今日急遽、京都市美術館まで出かけました。いつものやや抽象的な作品と違い、今回は首から上の分かり易い人物彫刻を2点展示してありました。展示品は遺作と注釈が入っていました。略歴も紹介されていました。他にも遺作展示をしている方がいましたが、略歴紹介では享年88とか89歳と言うご長命な方が多く、Y君の75歳は比較的若いご逝去だったことが分かります。残念です。幾らかシャイな男だったY君が持病を押して創作しながら「しろうとにも今回は分かり易い作品を作ってやろうかな」だったのでしょうか。作品と彼の写真を見つめながら感慨に耽りました。きょうの京都は、深い秋の風が吹きわたっていました。


秋たけなわの「有馬温泉」へ行って

2011年10月20日 | 日記

20日(木)も恵まれた絶好の秋日和でした。無風に近く、けっこう気温も高くなりました。昼3時頃、我が家の室内(西日の当たる部屋)で約30℃ありました。暑いくらい。

秋たけなわの「有馬温泉」金の湯へ出かけました。予想はしていましたが、婆さん達のグループが何組も徒党をなしてバスに乗り込んでいました。あまりうるさいので後ろ席にいた二人組に「このバスは貸切バスでなく、乗り合いバスだから、もっと声を低くしてください」と依頼する状態でした。大勢になるとなぜ中老婆達は常識と慎みを失うのでしょう。

男湯は意外に空いていて、ゆっくり湯に浸ることができました。20人は入れる湯船に5人程度が浸かっていました。湯上りに爽やかな高地の空気を味わい、別場所のしゃれた喫茶室に行き「いい湯 温泉饅頭」(いいと おんせんまんじゅう)を2個とコーヒーをいただきました。喫茶室の女性に「湯をなぜ と」 と読むのか尋ねると、近所の神社の祭り神輿を担ぐ声が「いいと いいと」と言うならわしです、とのことでした。分かったような分からない説明でした。とう は分かるけど と はないね、と笑ってきました。岡を10分ほど登ると「瑞宝寺公園」という紅葉の名所があるので、専用の循環バス(赤いループバスとか)を使って行かれては、と薦められましたが、又にするよと止めました。どこの紅葉も同じようなものだよね。

 

  有馬温泉源には鳥居も

              


「日本語・漢字」の使い分けは難しい

2011年10月19日 | 日記

19日(水)も快晴の一日でした。お昼過ぎに散歩をしていると、小肌に汗が出てきました。爽やかな空気が美味しく、秋の風情を満喫できました。

先日、一緒に勉強している外国人(中国人やインド人)から質問を受けました。その1、「さくじつ」と「きのう」はどう使う(使い分ける)のですか、その2、「です、ます」「ございます」「ござる」はどう使う(使い分ける)のですか。その1の答えにはたいへん苦労しました。私自身が意識して使い分けたことがありません。そういえば、きのう、おととい、あした、あさって は口頭の話し言葉で明日、昨日は公用の用語でしょうか。結局、同じに使ってきたと言うしかありませんでした。その2の返事では です、ます と ございます は丁寧さの違いを説明したのですが、ござる は説明が難しく「どこで覚えたか」訊くとTVの時代劇らしいです。やはり古く士(サムライ)の用語だったはずで、現代では使わないことを説明しました。私も日本語は使い分けが難しいものが多いと改めて思います。今日、歩いていて駐車場に「月極」という漢字が出ていました。月賦、月払い、月謝などは昔からありましたが、これは自動車時代の漢字でしょう。月極(月単位に支払うことを極める約束)ということと辞書で確認しわかりました。最終判断という 決める ではない理由が分かりました。やっぱり日本語・漢字は難しいです。表意の漢字以外に江戸時代の階級制度時代の名残や常用漢字と旧漢字の存在が色々な意味と使い分けに繋がっているのですね。私はもうあまり勉強したくないのに疑問いっぱい。


ヒップホップ ダンスに興ずる若者を見て

2011年10月18日 | 日記

18日(火)は好天というよりも「秋晴れで幾らか冷たさ」を感じる行動に都合がいいお天気の日でした。日本中が好いお天気ではないのか、と思われる程の晴天でした。

大阪なんばのあるビルを通り過ぎる時、そのビル1階の野外広場で若者が屯して、時々ピップホップ的なおどりを踊ったりしています。今までにも踊っているのはありました。近くにアメリカ村もあるし、何か、屯した20歳前後の若者がお金もなく、座っているだけでは仕様もない感じで、広場は無料だし踊っていました。ウイークデェーにこんなことをやれる若者なんて仕事がない連中なのか、また暇な学生に思えました。今日通りかかると珍しく若い女の子が数人踊っているように見えました。真剣な眼差しで、同じ方向を向いて踊っていました。TVなどで見る「AKB48」の様な訓練され統一された踊りでもなく素人くさい平凡な感じでした。でも何かアイドルグループでも目指しているのでしょうか。暇を使って踊っているにしては真剣でした。何処かに所属する訓練生なのでしょうか。こういう広場を踊りに利用する若者が多いのは、社会人としてどういう具合に受けとめるべきか、私は一瞬考えました。ご本人たちはそれなりに楽しそうにやっていましたが。


スマートフォンを持ちたいけど

2011年10月17日 | 日記

17日(月)も大阪は好いお天気で、爽やかなお天気でした。気温も最高23℃程度と思われ、一日過ごしやすい感じでした。

この6日に亡くなった(正確には、アメリカ時間5日に親族から公表)アップルのS・ジョブズ氏が最後に手がけたiphone4Sが売り出されたと聞きます。東京のアップル店では長い行列ができたそうです。私は以前からスマートフォーンを「保有する必要性」がよく分かりません。このiphone4Sの行列は、幾らかS・ジョブズ氏への追悼の気持ちと新しいスマートフォーンへの期待があるのでしょうが、でも私はまだよく分かりません。前から保有のディスクトップPCがあり、モーバイルpcも携帯電話(3年前の物だが軽い)も持っており、その携帯にはインターネット接続やメール接続もできます。別に小型のカメラは十分な画素数のものを持っています。それ以上は、何か新しい機能やソフトがあるように思うので、何があるのか、初心者用図書を買い込み、中を調べています。これだけ騒がれている割には、アップルもGOOGLEのOS アンドロイドも一般企業で何故か、採用されず、ビジネスに使われているということを聞いたことがありません。何故でしょう。軽いとか、ソフトが多く面白いとか、フィンガータッチが格好いいとか言いますがーー。個人的な趣味の範囲でしょうか。ソフトが個人でも企業でも投資するに値する十分満足いく機能や使いやすさになっていないのかなあ、と勝手に感じています。私は、既に保有する購入物に重複する中身が多すぎるのではないか、と思っています。今の所私はもうちょっと買い込むのは、様子を見てからにしたいです。


ふと気づくともう並木は晩秋の色

2011年10月16日 | 日記

16日(日)は高気圧に覆われて、ずっと好天が続きました。関東や東海地方では、蒸し暑さが戻ってきた気温だと聞きましたが、大阪は爽やかな秋晴れの好いお天気でした。

気づくと阪急曽根駅前歩道の並木の色が赤くなっており、もう完全な晩秋の色でした。10日間ばかり緑いっぱいのハワイに居たので、つい周りは緑だと錯覚していました。日本はもう深い秋になっているのです。古いフランスの曲(シャンソン)で「枯葉」を思い出します。イブモンタンやジャンギャバンなどが出ていたパリを舞台にした映画を思い出しています。軟弱な恋の感覚よりいつも襟を立て、女が好きになっても相手にしない男の匂いを感じさせたこれらの「俳優たち」を格好いいと当時思ったものです。その背景になった街角には緑の葉より、枯れた赤い葉の方が似合うのでしょうか。精一杯譲っても黄色い葉っぱでしょう。映画によるとパリには、赤い葉っぱの木は少ないようでした。パリに多いポプラ並木の枯葉は何色でしょう。

10月半ば以降の北半球の秋は何故か失恋や悲恋の感じが合うのですね。ハワイ等の南の島では、恋は燃え滾る暑い恋などが似合うのでしょうがーー。ハワイと豊中の差を感じます。なお枯葉は季語にもありますが、冬の季語です。以前は秋半ばや晩秋の季語かと思っていました。


のんびり、しばらくハワイ暮らしを ー3ー  終わり

2011年10月15日 | 日記

ハワイ・オアフ島の10月初旬は連日好いお天気でした。ワイキキの浜辺ばかりでなく、ダイヤモンドヘッドの眺めも全く乾燥しており又週末に行われた各マーケット(屋台風の即席売店が並ぶ地元産品販売)も計画通り着実に行われていました。散歩以外にワイフが目指すお買い物には(日本ではあまり付き合わないが)一緒に出掛けました。

山辺の丘でやっていたKCCマーケット(食品中心)、アロハスタジアムの周囲でやっていたスワップミートマーケット(衣料品、装飾品中心)等に付き合いました。はるばるフリーウエイを4、50分も頼んだ車で走って東の「カイルアタウン」までショッピングにも出かけました。どこも日本の女性たちで賑わっていました。

でもたまにはこういう買い物の付き合いも面白く楽しいと思いました。私は何しろ買い物の素人ですから、これは良いのではないか、と提案するとハワイ産でなく、中国産だったり酷い時は日本産だったりしてワイフにたしなめられました。そんな一瞬も楽しいと思いました。のんびりとしたハワイ生活の10日間はあっという間に終わりました。写真上はカイルア海岸の荒い太平洋の波、下左はまだ人影が少ない常設でカラカウア通りのインターナショナルトマーケット。下右は毎日乗せてもらったトロリー。

    

 


のんびり、しばらくハワイ暮らしを ー2ー

2011年10月14日 | 日記

ホノルル滞在中に日帰りで、ハワイ島(ヒロ空港)へ行ってきました。キラウエア―火山はちょっとした高原という感じで、火口からの噴煙は上がていましたが、日本で見る富士山や阿蘇山の様な「火山」という聳える高山ではない感じでした。でもバスで連れて行って貰ったのは標高千数百メ―トルの山だということでした。「ペレ」という火山の美しい女神の伝説を聞きました。噴火口に近い博物館には、この伝説を絵にした架空の女神がいました。

ハワイ島からの帰りの飛行機機内誌に通称イズ(本名 イズラエル カマカビュボーレというハイワイアン歌手)の名前を見つけました。もう数年前、38歳の若さで死んだ太り過ぎの歌手だったということです。写真では大関「小錦」みたいでした。でも彼が歌った「虹の彼方に」はハワイの人は皆好きになり市民的な支持を得ていたそうです。ハワイ市民が選ぶ「最も愛する歌手」に選ばれた太っちょ歌手だったようです。ハワイではミュージカル「オズの魔法使い」のジュディ― ガーランド以上に愛されていたのですね。u-tubeで聴くと彼は哀愁を含んだいい声でハワイアン調でもあり、支持を得た理由が分かりました。彼のハスキーな声を私も好きになりそう。

ハワイには「アラ」が付く地名が多いので、ハワイ島で数十年前から住むという日本人系おばさんガイドにどういう意味か尋ねましたが不明です。売店の若いハワイアン女性に訊いてもらいましたが、これも返事がありませんでした。アラアラですね。帰ってからインターネットで調べると「ハワイ語で道路 ストリート」ということとすぐに分かりました。アラワイとかアラモアナなどはそこへの道を意味したのかな。

帰りのヒロ空港では、週末でもあったのでフラダンスとウクレレのお見送りでした。


のんびり、しばらくハワイ暮らしを ー1ー

2011年10月14日 | 日記

10月初旬から10日間ほど、ホノルルのコンドミニアム(自炊型)ホテルで、勝手な予定なしの気ままな生活で暮らしてきました。昨年は、ワイフ都合で10月下旬でした。今年はまだ暑かった日本の初秋(ムシムシしたまだ夏?)を脱出して体と神経のストレスオフを狙い、しばらくのんびりさせてもらいました。交通の便は、主として契約して無料トロリーを精一杯使い、あちこちと行かせてもらいました。出来るだけ予算を始末し質素な生活をしました。日中は暑い時間もありますが、乾燥しているので、意外に涼しい感じです。私は、基本的に散歩、買い物などもTシャツと短パンで過ごしました。今度の滞在で目だった主な出来事は、

1)アップルのS・ジョブズの死とその影響はあるのか?(これはアメリカでも大きく報じられていました)

2)円高でホノルルに大勢の若い日本人が詰めかけていた(新婚旅行が目立った)

3)一日、コナ・コーヒーの本場ハワイ島へキラウエアー火山の見学兼ねて飛行機で出かけてみた

4)オアフ島各地にある週末の屋台型マーケットへ試食を狙って出かけてみた

でした。ワイキキの浜も、アラワイ運河も、そしてカピオラニ公園から見るダイヤモンドヘッドの景色も昨年と大した変わりはなく、慣れも手伝って心体ともゆっくりできました。特にホテルの部屋(25階)から見える夕陽の眩い感じや浜辺のレストランから見える夕焼けは印象的でした。

       


「服部緑地公園」でもでかいカボチャができる?

2011年10月02日 | 日記

2日(日)はどんよりと曇りがちのお天気でした。でもさほど気温は上がらず、公園などを散歩する人は、長袖のジャージーやランニングウエア―の人が目立ちました。

服部緑地公園を散歩していると、公園内競技場の方からマイクで記録を伝える音声が聞こえてきました。ここでは、時々かなり高いレベルの競技が行われています。今日は、何かと端っこから覗いてみると、この競技場がオープンしてから10年になるので、記念の中高生くらいの選抜陸上競技会をやっているようでした。大した競技会でもないので、側の事務所を通って帰ろうとしました。事務所入り口のテーブルに大きなカボチャが数個置かれていました。外国へ出かけた時にハロウインが近い時など飾り用カボチャで、でかいのを見たことはあります。日本でも、見たことはありますが、ここ服部緑地公園で見たのは初体験です。畑はないし怪訝に思い、事務の人に質問しました。「自生」なのか「栽培」かと。説明によると、落ち葉を堆肥等にして市民に提供している以上、その効果をみたり、化学分析するらしいです。その裏方が公園内のどこかの土地で、片手間仕事に作ったもののようでした。それにしても「ご立派」です。当然食用ではないのでしょうが。

しばらく旅行に行きます。その間は更新をお休み。