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福祉について考えるUMEMOTOのブログ

誰のための生活保護か?

2006-07-19 23:00:34 | ノーマリゼーション
生活保護に対する不満が増加している。

生活保護の申請を却下されたり、受給額を減らされたりした人が、処分取り消しを求める不服申し立ての件数が全国的に増えている。2003年には370件だったのが、2005年には835件と2.2倍になっている。【朝日新聞7/16朝刊】

福祉事務所や役所の保護課において、なるべく申請を受けつけないように、理由をつけて何度も追い返しあきらめさせる『水際作戦』をとっているところが少なくないようだ。
今年5月下旬には、北九州で生活保護を申請しようとした身体障害者の男性が、申請書を渡してもらえず、自宅で亡くなっているのが見つかっている。
同様の孤独死の事例が相次いでおり、厚生労働省も調査に乗り出す姿勢を見せている。

また、今年2月に京都で起こった介護殺人の加害者である息子も、認知症があり介護が必要な母を殺す前に、生活保護の申請を申し出たが、受けれないとして帰されている。
上記の事件を、すべて生活保護の担当者のせいにすることはできないが、何らかの要因があったことは確かなことである。
実際に、生活保護の窓口の対応は冷たい。冷たいだけでなく、そこには権力が隠れているように見える。

誰のための生活保護か?

弱者が生活保護を受けることができずに亡くなる一方で、不正に受給している人がいるのも事実だ。
実際は働けるのに、働けないふりをして、いつまでも生活保護をもらっている人もいる。

だからといって、一行政職員が人の死を早めてよいということにはならない。生活保護は、人が生活を送る上での最低限の権利として保障されるべきものである。
すべてを認める必要はない。本当に必要な人に必要なだけの保障をするべきである。そのためにも、生活保護のケースワーカーなり相談員は、専門的な福祉の視点を持つべきだろう。自分の生活が当たり前だという感覚は、相談者を必要以上に切り捨てる危険性がある。世の中には、どうしようもできない現実があることを知ってほしい。

生活保護のケースワーカーが、その他の支援を教えることなく相談者を帰してしまうことにも問題がある。生活保護に該当しないなら、その代替の支援サービスなり、その担当部署を教えることが必要だろう。
また、4月にできた地域包括支援センターには、間に入って調整をする役割が期待される。地域包括支援センターの多くは委託であるのは残念だが、設置主体が市町村であることを強みに、生活保護が必要なのか、その他の支援で大丈夫なのか、対象者を中心に判断し調整を図る機能・能力を発揮してほしい。

生活保護を受給できずに死んでいく人がいる一方で、国は財政再建の名のもと社会保障費を1.6兆円削減する案を出している。その中には、生活保護費の削減も見込まれているだろう。財源を都道府県に移譲し、そこから生活保護費を捻出するようにする動きもある。そうなると、生活保護の出し渋りにますます拍車がかかる可能性がある。
お金がないことで死んでいく国民がいるのが今の日本であることを国は自覚してほしい。自分たちで勝手に作った枠組みの中で、いくら歳出削減のパズルをしたところで到底私たちは納得することはできない。