むじな@金沢よろず批評ブログ

台湾、国際情勢、アニメなどについて批評

呉儀ドタキャン事件、まさに「scenario chinois」?(コメント可)

2005-06-11 05:13:41 | 中国
 少し前になるが、5月23日、日本を訪問中だった呉儀副首相が小泉首相との会見を急にキャンセルして帰国する事件が起こった。呉儀ドタキャン事件として知られ、BBSでは早速「呉儀る」などという単語も作られた。ここで訳がわからなかったのは、中国側の理由説明が一貫せず、そもそもドタキャンを極度に嫌がる日本人の憤激をさらに強めたことであった。
 「急な公務が発生したため」という中国政府の当初の釈明以降、一連の話を見て、わたしはフランス語でいう「un scénario chinois」という言葉を連想した。直訳すると「中国の台本」、実際には「わけのわからない言葉、でたらめな言葉」を意味するらしい。本来は典型的なオリエンタリズムの表現であるが、最近の中国の状況を見ていると、まさにぴったりだという気がする。ただ、このフランス語のイディオムはフランス人でも普通は知らないようだ。中型辞典にも載っていない。わたしがこの言葉を知ったのは、フランスのポップス歌手パトリシア・カース(Patricia Kaas、名前で見られるようにドイツ系)のヒット曲「Mon mec à moi(わたしのあいつ)」の歌詞に出てくるからなのだ(歌詞では定冠詞複数形)。
 ただ、ドタキャンそのものは、別に中国の十八番ではない。いや逆に中国政府はかつてならやらなかったのではないか。むしろ私は台湾では日常茶飯事だし、フィリピンでもよく出くわした。台湾についていえば、これまで台湾人の政治家の何人かが(現在政府上層部も含まれる)日本を訪問した際、突然理由もなく、予定をキャンセルして顰蹙を買ったらしい。台湾の政治家が頻繁にドタキャンすることが、台湾と日本との関係の阻害要因になっているという見方もあるくらいである。
 もっとも、台湾人の場合は、悪気がないというか、そのときの気分でまったく何の悪意もなく、屈託なくドタキャンしてしまう。理由はあまり説明しないが、もし説明されたらもっとむかつく理由だ。私が経験した中でも「今日は行けない。明日別の友人が来るから」と関係ない理由を言うのでさらに問い詰めたところ、何のことはない、気分的に行きたくなくなったというだけのことなのである。ただ、悪意はなく善意でやってしまうから、こちらも怒りようがない。もし怒っても、逆に「あなた、どうしてそんなに機嫌が悪いの?」と逆に慰められるだけである。日本人にとっては許しがたいが、それでも悪意がないことだけは伝わる。それが台湾人、あるいはフィリピン人の場合である。
 ところが、今回の呉儀ドタキャン事件では、中国には明らかに悪意があることがわかる。「緊急の公務で帰国した」というわりには、訪日後に予定されていたモンゴル訪問は着実に実行されたし、事前の要人との会食の場で北京から帰国命令を受けた呉儀は「急に戻ることになった」といっていたという話もあるから、明らかに小泉首相の顔に泥を塗る目的で行われたことは明白である。
 そもそもわたしは呉儀という人物は、虫が好かない。かつて大阪APECで会見があったときに貿易大臣だったかで来ていたが、態度が倣岸だったため、難詰した覚えがある。
善意で屈託がないのも始末に終えないが、しかし悪意でやってしまう神経もまた救いがたい。
 日本のマスコミの報道で推定されている本当の理由は、どうも小泉首相の靖国神社参拝発言への面当て、特に呉儀との会見で靖国参拝継続発言が出ると面子がなくなるからそれを避けるためのドタキャンということらしい。
 私自身は中国が反対しているかに関係なく靖国神社参拝は反対であり、靖国神社廃止論者ですらある。ただ、靖国神社をどう処理するかは優れて日本人内部の問題だとも一方では考えるから、中国が執拗に反対することも内政干渉で不当だと思う。これは反対する中国だけが不当なのではなく、積極的に賛成して靖国神社に参拝した台湾の右派独立派政党・台湾団結聯盟のような行動も内政干渉だということを意味する。
 それはともかく、結論からいえば、中国がそんなに靖国神社に言いたいことがあるなら、正々堂々と主張すればいいのであって、何もドタキャンという幼稚な手段をとる必要がない、ということである。
 ただし、私が最近とみに感じることには、中国の最近の日本や台湾に対するやり方がどんどん荒っぽく幼稚になっていて、これではわざわざ反感を強めることをしているようなものである。
 日本に対しては、江沢民時代に江が訪日の際、天皇との会食の場で歴史問題を執拗にあげつらったことから始まって、沖ノ鳥島周辺海域で海洋調査船などによる経済水域侵犯、それに対する「沖ノ鳥島は島ではないから経済水域は設定できない」という強弁、東シナ海における天然ガス田採掘、しかも日本側経済水域直下からの吸い上げ、原潜の沖縄領海侵犯、それに対する開き直り、反日暴動における在外公館や日本人関係建物への被害、それに対する正式の謝罪拒否など、あまりにも常軌を逸した言動が多い。
 私が属する左派陣営の間では、中国への幻想を抱いているものが多いから、こうした中国の荒っぽい挑発行為について「もとはといえば靖国参拝が悪い」とする見方もある。ただし、わたしは靖国神社廃止論者ながら、やはり中国には悪意があると考えるほうなので、中国が靖国ばかりをあげつらうのは、「A級戦犯合祀」という比較的まともな問題が重点なのではなくて、何か別の意図や企みがあると考える(中国内部の矛盾の転嫁、あるいは援助額の増額への駆け引きなど)。だから、中国側がいっている額面通りに「靖国が悪い」といっている左派の仲間たちは、あまりにもナイーブで、こんなことだから日本で左派はどんどん衰退する一方なんだろうと思うほうである。
 もっとも、日本政府も、タカ派や極右傾向が強まっているのは事実で、どうも中国を意味もなく挑発しようとして、靖国参拝に固執している部分もあると思う。中国と喧嘩し、中国を批判することはどんどんやるべきだと思う。しかし、どうせ中国を挑発するなら、チベット独立運動にもっとコミットするとか、あるいは台湾を目標としたミサイル配備への批判、中国国内の人権弾圧中止要求など、もっと人類全体の発展にとって意味のある、より普遍的な議題で挑発し、喧嘩を売るべきであって、たかだか明治になって作られた靖国神社(しかも日本近代国家建設に功労があった西郷隆盛すら祀られていない)を後生大事にしているのは焦点がぼけているとしか言いようがない。そういう意味では、日本のタカ派も、中国の一党独裁の統治者も、ピンボケでずれているという意味ではどっちもどっちだといえる。
 日本でも、台湾でも、このごろめっきり反中派が増えた。親中派は少数である。しかも反中の中身は、中国が共産党だから嫌いというよりも、むしろ中国政府の大人げなさやお粗末さに呆れている、というのが動機になっているようだ。
 私自身は反中派を自他ともに認めているわけだが、だが歴史を振り返った場合、これだけ反中が増えて、しかも中国が尊敬されず馬鹿にされるようになったというのは、珍しいことだと思う。
 わたし自身は昔から親中派は好きにはなれない(かといって親台派なら無条件に好きなわけでももちろん、ない)。しかし、かつて1970-80年代の日本には親中派とされる人がかなり多かったという記憶がある。それは日本人自身が中国社会の実態に無知だったということもあろう。80年代以前の中国は今よりももっと閉鎖的な社会だったから、実態をありのままに理解できなかったのは事実だ。しかし、真の問題は中国政府上層部の質が低下したことが大きいのではないか。
 そう思って、よくよく毛沢東、周恩来、あるいは80年代のトウ小平にいたるまで、日本の親中派から賞賛され、尊敬された人物と、その後の江沢民と現在の胡錦涛などとの顔つきを比べると、どうも根本的に違うことがわかる。あるいは日中関係で中国側の窓口には、かつては長い日本留学経験を持ち日本をよく理解していた廖承志、郭沫若(周恩来自身もそうだ)らがいた。わたしは全体主義国家の権力層など好きになれないが、しかし、当時あれだけ多くの日本人が彼らの虜になったことにはそれなりの理由があったのかも知れない。廖承志、郭沫若の日本留学時代の学生服姿の写真を見たことがあるが、彼らには日本人の心を魅了する何かがあったのに違いない。今の台湾の李登輝が日本人を虜にしているのと同じ、いやそれ以上の魅力があったのではないか。ひとことでいえば人物だったということだろう。
 それに引き換え、今の中国側のいわゆる知日派の顔ぶれを見ると、なるほど日本語はぺらぺら話せるに違いないが、何か根本的で決定的なことが欠けているように思える。たとえば駐日大使の王毅。外務次官時代にはそれなりに開明的な人物との評判があったが、中日大使になってからこの人の評価は「頭の回転は速い」という以上のものを聞いたことがない。李登輝が昨年末に訪日した際に、「李登輝は戦争メーカー」などと発言して顰蹙を買った。最近では靖国問題に関連して「首相などが参拝しないという君子(紳士)協定があった」と中国語そのままの表現を使って、日本語能力の限界を見せ付けた。
 また、参事官の黄星原も反日暴動に対する日本の右翼のこれまた幼稚な報復のいたずらに対して「これはテロ」などと偉そうにまくしたてて顰蹙を買った。
 最高指導者の胡錦涛そのものがまた、小物ぶりが否めない。顔つきは普通の小役人の顔つきである。もちろん、あの顔で「チベット自治区」書記時代にはチベット僧侶を多数串刺しにしたほか、チベット人を数万人虐殺したという図太い神経の持ち主なのだが、しかし米国資本に対しては媚を売り、笑顔を振りまいているのを見ていると、単に弱いものいじめしか能がない小心者であることがわかる。
 毛沢東は専制君主であったし、大躍進や文革などで大量虐殺を行った人物であったが、それでも長征、国共内戦では国民党ファッショ勢力と戦ったし、朝鮮戦争などでは米国相手にも戦う姿勢を示したわけで、「弱いものいじめ」ばかりが能ではないことはわかる。気迫や気概のようなものがあったのだろう。
 もちろん、日本でも台湾でも韓国でも、政治家はどんどん小粒になっている。だが、それは民主主義国家ではおかしなことではない。主権在民で国民に決定権がかなりゆだねられている国家であれば、英雄は必要ないし、政治家はむしろ小粒のほうがいい。
 ところが中国は民主主義国家ではない。だが、政治家だけはどんどん小粒になっていく。そうした齟齬が、中国政府がどんどん幼稚になっている原因になっているのではないか。
 しかも人間が小粒で小心者であるということは、政策もどんどん硬直化し、創意工夫にあふれる斬新なアイデアや政策は出てこないことを意味する。中国にも海外留学帰国組は増えていて、日本や台湾に対してもそれなりにまともな思考ができる人間がいるだろうに、それがまったく政策に反映されない。官僚化が進み、大胆かつ新たな発想が通用しないのだ。
 だから、日本と台湾に対する政策がどんどん融通が利かず、時代錯誤かつ硬直化したものとなる。しかもやはり停滞気味の日本はともかく、台湾はどんどん進歩し、人民が賢くなっていく一方だから、中国の硬直した政策と発想を続ければ続けるほど、中国はますます台湾住民から嫌われ、嘲笑されることになる。これは、台湾ネーションおよびナショナリズムの形成にはきわめて有利な加速要因となって私のような立場(台湾建国左派)としてはある面では喜ばしいが、しかし、アジア太平洋の地域の安全と繁栄という側面で見ると不幸なことなのである。
 台湾の民主化の定着と人民の意識の高揚を見れば、もはや中国に台湾を併合する能力と可能性はまったくないと言ってよい。台湾は今後このままの方向に進み、独立国家らしい中身を充実させ整えていけば、早晩国際的に認知されるであろう。
 中国は本来なら、台湾の発展の成果を評価し、積極的に国家として承認し、友好関係を結び、ひいてはチベットなどにおける高度な自治や自決権を認め、さらに日本や韓国などと共同で、アジアの平和と安全を目指すようにするべきなのだ。また、そうしてこそ中国はますます繁栄しそうなものなのに、今の中国政府はどうしてもそうした前向きな発想に立てないようだ。実効支配している中国大陸すらも満足に繁栄させられないで、歴史や面子にこだわって台湾に執着する発想を持っているようでは、中国は早晩アジアの中で孤立し、自滅するだけだろう。
 最近の中国政府指導部のていたらくを見ると、フランス語の「un scénario chinois」はまさにぴったりだといえるだろう。

レバノンの通販はいい加減?

2005-06-10 23:17:14 | アラブポップス
 ところで、筆者は最近レバノンの通販サイトal doukanというところで(キリスト教系新聞社An-Nahar系らしい)、インスタントコーヒーを注文した。Najjarというブランドのやつで、2003年にカナダのレバノン人街で買って帰って試したところ割とおいしいので、通販で注文した。ところが、注文品がなかなか来ない。オンラインで注文を確認したところ、pendingになっている。メールで問い合わせたが一回目は返事なし。そのくせ、クレジットカードでは引き落とされている!
 今週になって電話してみたら「メールで書いてくれ」とふざけたことをいうので、「メールに返事はなかった」というと、「なんでトラブルになったからはわからないが、とりあえずメールで」ということだった(英語)。頭にきたので、題名を大文字にして、数通出したところ、やっとメールの返事で「今日発送した」ときた。オンラインで注文したのが、5月12日で、発送したと通知がきたのが6月8日。
 多分、忘れていたんだろうが、さすが予想通りどこかの国と似ている(呆)。わりと亜熱帯性気候だし、人当たりもいいらしいから、なんとなく似ているんじゃないかと思っていたら、やっぱり、こういう点も似ているのね>レバノンと台湾。
 これ、わたしがここでの生活に慣れておらず日本に住んでいたら、もっと発狂していただろうな。もっとも、台湾やレバノンみたいなのが、むしろ世界標準かもしれない。台湾のいい加減さに慣れていると、ほかの国に行っても、あまりむかついたり、驚いたりしなくなった。

 日本は逆に世界でも異常なのかもしれん。

レバノン、パスカルとマージダの新譜

2005-06-10 05:38:42 | アラブポップス
Where@Lebanon Music News June 10 till June 16, 2005
によると、レバノンのパスカル・マシュアラーニーの新譜収録がこのほど終わって今月中に新譜が発売されるとのこと。
また、大御所のマージダ・ルーミーも近く新譜を出すとのこと。ただし、マージダの半公式ファンサイトによると7月1日発売らしいが、直接事務所の知人に電話で聞いたところ8月発売で、9月ごろからコンサートツアーに出るということだった。

中東CDレーベルMusic Master

2005-06-10 05:23:31 | アラブポップス
90年代には中東随一の歌手陣容を擁していたCDレーベル MUSIC MASTER のHPがこのほど正式オープンしました。4月20日ごろから工事中になっていたのですが、どうも6月はじめごろに開いたようです。
まあ、いまでは中東随一のCDレーベルはサウジ資本の ROTANA にとってかわられていますが。

クーラーを買い換えたところ(今回は単なる日記)

2005-06-10 03:52:06 | 台湾その他の話題
 最近は更新頻度が落ちているのは、蒸し暑くて文章を書く気になれないのと、あとは修士論文の追い込みに入っていて、ほかのことをする余裕がなくなっているため。修士論文は近々口頭試問がある。それを通過すれば、わたしも法学修士号がやっと取得できることになる。

 ところで、部屋にあるクーラーが5月下旬にいきなり利かなくなった。どうやら冷却ガス供給部分が壊れてしまったらしく、あまり冷えなくなった。その後10日間あまりは、梅雨で高温高湿の鬱陶しいこの時期を扇風機だけで過ごした。
 仕方がないので、中古でクーラーを買いなおし、7日火曜日に取り付けてもらった。例によって音がうるさいのはまあいいとして、冷気(冷房)に設定してもぜんぜん冷えない。噴出し口からもやや冷たいだけの風が出てくる。室内温度も下がらない。ところが、除湿にしてみたところ噴出し口から冷たい風が出てくるし、ようやく室内も下がった。どうやら冷房と除湿の表示がずれているらしい(T T)、まあ、台湾にありがちな話だが。
 筆者は最上階に住んでいるので、日当たりがよくてあまりカビが発生せず、布団なども干しやすいという利点はあるのだが、夏場は暑くてたまらないし、台風が来たときは風雨がうるさすぎるという難点がある。だから環境派のくせにクーラーは欠かせない。
 とはいえ、5日日曜日は晴れて気温は暑かったが台湾にしては珍しく湿度がわりと低め(体感としては60%台か)だったようで、しかも風も適度にあったので、その日はクーラーがなくてもわりと快適に過ごせた。湿度というのは結構大きいと思う。
 湿度といえば、3年前のこの時期に米国はシカゴに1週間ばかり行ったときのこと。たまたま暑くなって、気温が日中40度近く、夜でも28度くらいになったことがあった。宿舎には天井扇風機しかなかったのだが、乾燥していたためか、それでもそれほど寝苦しくはなかった。
 ただ台湾の北部の場合、じめじめした気候で、平均湿度が80%前後あるところだから、5日みたいに晴れあがってわりと爽やか、という日はそうそうないのだが・・。



【一部手直し】台湾7度目の憲法改正案が無事成立(コメント可)

2005-06-07 20:36:07 | 台湾政治
■改憲成立事実関係

 5月30日から開かれていた台湾の憲法案可決機関・国民大会は6月7日日中採決を行い、賛成圧倒的多数で7度目の憲法改正案を承認した。
 国民大会は、国民党政権が「中華民国」体制とともに戦後台湾に持ち込んだ独特の機関で、立法院で審議採択された憲法改正案の確定を行うための機関。もともとは憲法改正案の審議から採択や総統の選出なども行っていたが、総統直接選挙や立法院の権限拡大によって有名無実と化していた。また、今回の憲法改正案成立により、国民大会も廃止されることになる。
 7日午前から開かれていた国民大会は、改憲案にそれぞれ異なる立場から反対している第2野党の台湾団結連盟(台連)と第3野党の親民党が議事妨害して採決が遅れたが、午前11時58分から投票を始め午後1時59分に発表された投票結果では、定数300議席中、直前に辞任した2人を除く298人出席で、賛成249票(主に民進党と国民党)、反対48票(主に台連と親民党)、無効1票と、賛成絶対多数で無事可決された。国民大会職権行使法では、出席代表の4分の3以上で可決されるので、それを優に上回る圧倒的多数で可決されたことになる(ただし、4分の3の数字については、レファレンダムの代わりに行うものだから、過半数に引き下げるべきだという意見が、在野市民勢力や民進党から出されたが、国民党・親民党・台連の野党多数で4分の3は押し切られた)。

■改憲案の骨子

 今回の改憲案の骨子は、
(1)国会改革:立法院の定数を現行225議席から113議席に削減、任期を3年から4年とする。立法委員選挙制度を現行の中選挙区比例代表(拘束名簿式)併用1票制から、小選挙区比例代表(拘束名簿式)並立2票制に改正する。また女性保障枠(クオーター)を制度化し、政党比例代表では、女性が半分を下回ってはならない(名簿奇数順位に女性を並べる)。
(2)国民大会を廃止し、憲法改正案は今後立法院が発議し、レファレンダム(国民投票)によって確定される。
(3)正副総統の弾劾は、立法院の発議により司法院大法官会議(憲法裁判所)が審査、確定する。

■改憲案成立の意義

 国民大会の廃止とレファレンダムの導入は、民主進歩党(民進党)が長年主張してきたが、これまでは孫文の発案にもとづく「中華民国」独特の制度に固執する保守派の抵抗により達成できなかったが、民主化・政権交代・台湾意識の定着などもあって、順調に達成された。この結果、「中華民国」の根幹が変更されたといえ、台湾の憲法制度は中国由来のものから、台湾土着のものへと大きくシフトしたことになる。

■台連と親民党が反対に立場を豹変させたのは公約違反

 今回は民進党と国民党が賛成、台連と親民党が反対となり、従来の台湾独立志向の緑(民進党+台連)vs既得権益固守の青(国民党+親民党)という対立軸とは異なる展開となったことに、国民の間には戸惑いがあった。5月14日の国民大会代表選挙は得票率も20%台ときわめて低く、こうした戸惑いと、立法院で採択された改憲案を改めて国民大会で確定させるという意味もわかりにくかったことが反映された。
 しかし、今回は民進党と国民党が賛成で、台連と親民党が反対というのは、実は台連と親民党が事前の約束を反故にした結果であった。というのも、昨年8月23日、立法院で改憲案が採択、発議された際は全会一致で、台連と親民党も賛成していたからである。台湾国民の間には、立法院の改革、レファレンダムの導入を望む声が強かったことから、従来改憲に消極的だった国民党と親民党も賛成したため成立したものだった。
 ところが、改憲案が確定するという段階になると、台連と親民党といった比較的小規模な政党は、選挙制度が小選挙区になると小党に不利だと考え、党利党略で反対に鞍替えした。これは、重大な公約違反である。もちろん、表向きはもっともらしい理由を掲げている。台連は「改憲ではおかしい。中国で制定された憲法を台湾人民が改正する権利はない。台湾は台湾独自の憲法を新たに制定すべきだ」、一方、親民党は外省人第一世代の既得権益層を代弁して「国民大会の廃止とレファレンダム導入は、台湾独立に道を開き、孫文の遺教(「残した教え」という封建的な概念)に反する」との理由でそれぞれ反対に転換した。
 親民党の主張は単なるアナクロニズムだから論評する価値もないが、台連の主張はこの場合おかしい。
制憲したいのは、民進党や国民党本土派もやまやまなわけで、陳水扁・総統も2003年には繰り返し制憲を述べていた。ところが、それが既得権益や日米中といった大国覇権主義の反対圧力もあって、進められないから、今回やむなく改憲という手段をとったまでのことである。しかも、「台湾人民が中華民国憲法を改正する権利はない」というのは、確かに理屈としてはその通りだが、それをいうなら、台連の精神的指導者で台連においては絶対批判してはならない神として奉られている李登輝・前総統は、どうして1990年代に6度にわたって小手先の改憲を行ってきたのか?自らが行ったこととの整合性については検討もしないで、他人を攻撃しても意味がない。しかも、中華民国体制そのものが反対なら、立法委員選挙に出るのもおかしい。改憲に反対というなら、昨年8月に改憲案に諸手をあげて賛成したのは嘘だったということか?
 そういう意味で、台連と親民党が反対に豹変したのは、重大な公約違反というべきである。
 また、職権行使法における改憲案成立に必要な賛成数を出席議員の4分の3という国民党などの案に台連が賛成し、さらに民進党がその再審議を要求した際にも、4分の3の原案維持に回った(棄権でなく)台連は、実はレファレンダムや法理よりも党利党略で動いていることがわかる。


■お知らせ

 本日のところはとりあえず上記だけ。後日、憲法学の視点にもとづいて、これまでの「中華民国憲法」の問題点、改憲の歴史と意味、今後の展望なども含めて論じることにしたい。

初稿2005-06-07 20:36
加筆修正06-09 20:46


ギリシャ語映画「エレニの旅」の感想

2005-06-07 02:23:25 | 芸術・文化全般
次に6月2日夜に見に行ったのが、ギリシャ語映画
 中文題名:希臘首部曲
 日本語題名:エレニの旅
 原題:ΤΡΙΛΟΓΙΑ: ΤΟ ΛΙΒΑΔΙ ΠΟΥ ΔΑΚΡΥΖΕΙ (Trilogia I: To Livadi pou dakryzei)
 英語題名:Trilogy: The Weeping Meadow
 監督はギリシャを代表するセオドロス(テオ)・アンゲロプロス(Θεόδωρος Αγγελόπουλος)、2004年、ギリシャ=仏=伊合作作品。
 場所は台湾の岩波ホールともシネカノンともいえる真善美。国民党営だが、こうした英米以外の映画を上映するところ。

 日本語公式ページ:フランス映画社
 日本語による詳しいページ:エレニの旅@映画の森てんこ森
 キャスト一覧は:Cinema Scape
 ギリシャ語による批評(といってもあっしは固有名詞くらいしか読めませんが。言語入力でギリシャ語を追加してググったところ最初に出てきたのがこのサイト):http://www.gfc.gr/3/31/film_gr.asp?id=434
英語によるあらすじ:http://www.film247.net/film/trilogytheweepingmeadow.php、あらすじと批評:http://www.bfi.org.uk/sightandsound/2005_01/trilogy.php

 映画は、ロシア革命が起こってウクライナ・オデッサにいたギリシャ移民が故地のギリシャに戻るところから始まる。その移民の子が女主人公のエレニで、養父スピロスと結婚を強要され、愛し合っていたスピロスの息子アレクシスとともに家を出る。そして労働運動活動家と知り合って、テッサロニキに近い貧しい村に住み着いた。しかし時代は1936年、ファッショ化の波が東欧・南欧を襲っていた。ギリシャでもファッショ政権が成立し、労働運動活動家や自由な音楽家は逮捕・弾圧を受ける。アレクシスは米国に新境地を求めてエレニをおいて一人旅立つ。エレニは社会主義関係者として当局に一時逮捕される。家には幼い双子の息子を置いたまま。その後釈放されて家に戻るがそこには家はない。アレクシスはファシズムの拡大に憤激し、ファシズムに対抗するため米軍に加わるが、日本沖縄慶良間島戦線に赴いて命を落とす。双子の息子は、片方が政府軍、片方が反政府ゲリラに加わり、いずれも戦死する。戦後、エレニは老いた母親の元に戻り、孤独を嘆く。

 欧州映画にありがちな、訳のわからなさはないが、やはり深刻な調子だ。ただ私としては、労働運動活動家が人民戦線を結成してファッショ勢力に対抗を呼びかけるところ、ファシズムに対抗するため米軍に加わるという話などは、当時の時代状況を反映していた興味深かった。
 この映画、題名のとおり、三部作の第一部で、今後、二部、三部では、後の時代を背景にした物語が続くらしい・・。

 ところで、ギリシャ語の響きって、イタリア語をちょっとおとなしくして、東欧スラブ系言語に近くしたような感じ(て、我ながら、わけわからん表現だ)。sの音がよく響く。ところで、現代ギリシャ語は古典ギリシャ語やコイネーとは文法がずいぶん違っているようだし、スラブ寄りになっているみたいね。どれも一応かじったことはあるんだが、変化と活用両方が複雑なので頓挫した。文字はキリル文字よりは読みやすいとは思うが。
 また、どういうわけか、90年代は中東の歌手のCDはギリシャ製造が多かった。ギリシャ系が多いキプロスは、レバノン内戦中に避難地になったこともある。つまり、現代のギリシャは、古代ギリシャの故地ということで西欧のルーツになっていると同時に、東欧にも中東にも近いという微妙な位置にあることになる。
 ギリシャ語って、直接聞いたのは、カナダのトロントに遊びに行ったときがはじめて。トロントの地下鉄TTCのPape駅付近はギリシャ人街になっていて、道路標識もギリシャ語が併記されていた。ギリシャ人歌手といえば、ナナ・ムスクーリ(ムースフリ)(ΝΑΝΑ ΜΟΥΣΧΟΥΡΗ)しか知らんかったから、前回2003年秋にトロントのギリシャ人街行ったときは、題名に引かれて「アテネ・テッサロニキ(ΑΘΗΝΑ - ΘΕΣΣΑΛΟΝΙΚΗ)」ての買ったんだが、ほとんどインストルメンタルだけで、ギリシャ語の歌がほとんどなかったのでがっかりしたが。
 あ、それからXPでギリシャ語入力を追加した場合(言語バーにELが追加される)、MSワードで英語で打っているとしばしばギリシャ文字に勝手に変換されてしまって困ることがあるが、これってどうにかならんのでしょうか?


十字軍映画「キングダム・オブ・ヘブン」の感想

2005-06-07 01:28:42 | 芸術・文化全般
 最近は、「無米楽」にハマったついでにほかの映画もよく見るようになった。その感想を少し書いておこうと思う。このカテゴリーは、事前の予告で、オペラ座の怪人について書く予定だったが、まあよい。まずは、
 キングダム・オブ・ヘブン(Kingdom of Heaven)
 中文題名:王者天下
 リドリー・スコット監督、オーランド・ブルーム主演で、1087年、十字軍がハッティンでサラディン軍に敗北し、エルサレムが陥落するという史実を踏まえて年代や前後関係は創作を加えて描いた歴史スペクタクル映画。
 日本の公式サイトは、http://www.foxjapan.com/movies/kingdomofheaven/。あらすじについては、夢の中のわすれものブログがよい(ただし、年代が100年ずれている。1087年じゃなくて1187年が正しい)。エルサレム王国についてはウィキペディア日本語版はあまり役に立たないので、英語版を参照するとよい。サラーフ・ッディーン(サラディン)については、ウィキペディア日本語もいいが、英語のほうが詳しい。
 台湾の友人や2ちゃんねる映画人板での評判は、あまり芳しいものではなかったが、アラブポップスに関するのぶたさんのブログ(http://blog.livedoor.jp/nobuta04/archives/23098026.html#comments)で最新十字軍映画として「やっぱりこれは見にいっておくべきだろう」とされていたので、アラブ関係でもあるから見に行った。5月30日午後7時半から、場所は台北市西門町の絶色。
 まあ、映画としては、評判どおり、あまり良い出来だとは思わない。主演のオーランド・ブルームの演技はいちいちだし、シビラ王女は美しいという設定なんだが、エヴァ・グリーンってあんまり美人じゃないし、道具もわりと手抜きが目立った。
 ただし、これまで西欧人が作る中東関係、とくに十字軍関係の映画だと、ムスリムやアラブ人側を悪者にするのが多かったのに比べて、この映画では、サラーフッディーンにはハッサン・マスード(シリアの映画スターらしい)を起用、公正で慈悲ある人物として描かれており、アラビア語もふんだんに登場していたし、また、エルサレム王国側でもボードワン4世はムスリムやユダヤ教徒との共存を謳うなど、ムスリムをできるだけ公平、対等に描こうと努力していることはうかがえた。
 「ムスリムなどとの共存」のせりふや、主人公の鍛冶屋のバリアンが無意味な流血を避けようと主張するところなどは、ひょっとしたらブッシュ政権によるイラク侵略へのあてつけとも思えるものだった。しかも制作は、イラク侵略を賛美したマードック系の21世紀フォックス。まあ、こういう批判的な作品も流すというのは、商売人というか、英語圏の健全なところというべきであろう。
 もっとも、やはり戦闘シーンでは、キリスト教側から見ているため、観客が感情移入するのはどうしてもキリスト教側になりがち。その点ではこの映画を見せられるムスリムはむかつくだろうと思った。まあ基本的に娯楽映画なんだからしょうがないんだが。
 私自身、キリスト教を信じていることもあって、キリスト教徒が犯した数々の過ちについては、きちんと検証して反省すべきだと思う。キリスト教会の牧師の中には(米国南部の狂信的福音派だけでなく、理性的な長老派の中でも)、「アラーはヤハウェより劣った神だ」などと平気で言う輩がいて、困る。大体、アラー(アッラーフ)は、ヤハウェと同じ神をあらわすアラビア語形というだけであって、アッラーフとヤハウェは同じなのである。アラビア語のキリスト教聖書では、ヤハウェのことをアッラーフと呼んでいる。そもそも、神に二つあって、上下があるという発想は、それこそ二神教であり、背信者といえる。
 しかも十字軍や中南米侵略にいたっては、むしろ当時の文化・文明の完成度という点では、侵略を受けた中東や中南米のほうが完成されていたのであって、そのことを無視して「キリスト教が野蛮な他宗教を救う」式のキリスト教原理主義の発想はおかしい。それこそが博愛を説いたイエスの教えに反している。ましてイスラーム教の側では、キリスト教徒を「啓典の民」、同じ神を信ずるものとしているのだから、キリスト教徒のほうが偏狭だといえるだろう。
 それから、個人的な興味をいえば、エルサレム王国が陥落した後、シビラ王女が「わたしはそれでもエデッサ伯国当主で、アンティオキア公国当主で、トリポリ伯国当主だ」みたいなことをいうシーンがあったが(正確には忘れた)、最近マイブーム(死語)になっているレバノンの地名・トリポリ(タラブルス)が出てきたという点で萌えた。
 そういえば、2月のレバノン民主化運動で中心的役割果たしたマロン派って、当初は単性論だったのが、今のようにローマカトリックの支配に服したのはこのときなんだよね。ただ典礼だけはもともとの典礼方式を維持したみたいで、だからマロン派の賛美歌はアラビア音楽で、アラビア語やシリア語で歌われる。これについても後日書いてみたい。
 そういう意味で、レバノンって古代以来、さまざまな勢力がそこを通り、支配し、戦った歴史の通り道だったんだと。9月には初めて旅行しようと思っている。

親民党の今後について展望する(コメント可)

2005-06-06 19:13:28 | 台湾政治
「中国寄り」とされてきた第二野党・親民党が揺れている。5月14日の国民大会選挙で台湾団結連盟(台連)を得票率で下回り、野党第三党に転落したことから、これまで党内にたまっていた不満や矛盾が噴出した形だ。
 外省人タカ派として知られる周錫瑋は、早い段階で台北県長選挙へ立候補するためには国民党との連携を主張して脱党して国民党に移籍、国民大会選挙の敗北によって、外省人タカ派李慶華、血統的には「本省」客家人ながら統一派の邱毅ら、同党の「ホープ」ともいえる有力議員が相次いで脱党、また李慶華の実の妹・李慶安、客家人の林郁方らも一時的に脱党の構えを見せたりした。それに対して主席の宋楚瑜は、「出て行きたければ出て行けばよい」と放言した。親民党の支持者も動揺をみせ、国民党に流れる人もいる。台湾政治ウオッチャーの中には親民党の泡沫化を予想する人もいる。

■親民党と国民党との溝
 一時期は強い力をもっていた親民党がなぜがたがたになったのか。それは昨年末の立法委員選挙にさかのぼる。それまで親民党は「中華民国の堅持」という既得権益・中国寄り路線という点で近い国民党と「青色連合」という共闘体制を組み、台湾独立志向の民主進歩党(民進党)や台連などの「緑色連合」と対抗、民進党政権の改革政策に対して、それが改革的であればあるほど、足を引っ張ってきた。
 雲行きが変わったのは、昨年末の立法委員選挙から。この選挙結果では、青色連合が改選前の勢力をほぼ維持し、緑色連合は過半数を取るという目標に失敗した。ところが、ここからがまた台湾政治らしい大転回を見せる。青色連合で過半数を維持したとはいえ、その内実は国民党が伸びて、親民党が減った結果だった。つまり国民党の伸びで親民党が割りを食った形となった。当然、親民党や宋楚瑜としては面白くない。選挙直後から宋楚瑜は国民党と距離をとるようになる。そこへ割って入ってきたのが民進党だった。台連との緑色連合だけでは過半数を獲得できなかったことから、議会運営対策上はどうしても多数派工作が必要となる。そこで国民党との間で溝ができた親民党との連携に動き出したのである。
 民進党は理念的には親民党とは距離が離れている。民進党の支持層も台湾本土派を3割は抱えている国民党より親民党への拒否感のほうが強い。だが、議会政治は数合わせの要素があることは否めない。従来からの盟友・台連に加えて、親民党を議題によって取り込めれば議会運営は楽になる。

■「扁宋会」
 その帰結が今年2月24日の陳水扁・宋楚瑜会談(扁宋会)と会談結果として合意事項を10項目にまとめた「10点共識」だった。ここでは「両岸の緊張緩和に積極的に努力する」などの親民党寄りの主張も取り入れられたほか、「中華民国は主権独立国家であり、現状の変更は2300万人台湾住民の合意を必要とする」という従来から民進党が堅持してきた主張も盛り込まれた。
 筆者はいわば急進独立派に属するが、この合意は評価していた。「中国寄り」であるはずの親民党と最大公約数で合意し、話し合いのチャネルを作ることによって、親民党が自暴自棄になって中国にますます傾斜することを防ぐことになるし、外省人を現在の台湾の枠組みに引き止めておくことに有利となると思ったからだ。民進党や台連の強硬な支持層からは「中国派に妥協して投降するもの」という反発があったが、わたしはそうは思わなかった。たしかに文面だけを見れば、親民党色のほうが強い。しかし、現在の台湾は緑色連合のほうが勢いがあり、時代の流れに合致しており、また将来的にも台湾独立への傾斜していくことは明らかである。しかも民進党は親民党に比べて大政党、大勢力である。本来のアドバンテージは民進党にあるのであって、たとえ文面的には親民党側に妥協したとしても、現実の政治・社会力学からいって、もはや衰退して行く一方の外省人保守派がこれによって実態的なアドバンテージやヘゲモニーを確保することはありえない。むしろ親民党と民進党との交流を増やすことで、彼らを緑色政治側に引きずり込むことになる。そのほうが長期的にみて、台湾政治の安全を確保するためにはプラスになる。筆者はこう考えた。事実、その後はその方向に流れつつある。
 ただ、「扁宋会」の後、両者の強硬な支持層からは強烈な反発が出た。陳水扁の従来の支持者である「深緑」(急進独立派)は「陳水扁は中国人の宋楚瑜と妥協し、台湾を中国人に売り渡した」と批判し、「深青」(統一派)は「宋楚瑜は外省人でありながら、台湾独立派の頭目の陳水扁と会談して、それを総統と呼び、中国人に泥を塗った」と攻撃したのであった。
 わたしは当時、急進独立派の友人たちをなだめるのに必死だった。もちろん、不満はある。しかし政治力学と情勢を考えれば、扁宋会は決して独立運動に不利ではないし、不満をいうなら逆の立場「深青」の不満のほうが相当強烈であることは、筆者が日ごろ外省人とも付き合ってみて容易に予測できたことであった。自分たちだけが不満だと思ったら大間違いである。おそらく勘違いした優越感をもっていて台湾人を馬鹿にしてきた外省人保守派既得権階層のほうがもっと激しく反発しているはずだ。それに親民党も内部事情が複雑で、必ずしも外省人タカ派一色の統一派政党とはいえない。親民党は矛盾を見せるはずだ。事実、その予測も的中した。

■親民党内部に亀裂
 扁宋会の後、親民党は党指導部と支持層が、タカ派とハト派に分かれた。それもそのはずである。親民党は従来から人脈構成が複雑だった。一つは一般的にイメージされている外省人第一世代の既得権益層を中心とするファッショ志向・中華民国固執・台湾蔑視の統一志向中国派で宋楚瑜が外省人であることから従っている層、もう一つは宋楚瑜が台湾省長だった時代に台湾をくまなく回ってばらまき政治を行ったころからくっついてきたヤクザや金権腐敗地元政治家など、ダーティながら最も土着性が高い部分からなる土着派である。従来は前者の外省人タカ派層が前面に出る傾向があった。しかし、親民党は同時にダーティではあるが、台湾の土着的でこてこてな台湾人も加わっていた。この党が外省人タカ派や統一派だけで固まって拡張性がなかった新党とは違って、ある程度の勢力を誇り、さらに中南部でも当選者を出せたのは、土着部分も抱えるこの二面性のおかげであった。
 扁宋会の後、宋楚瑜に反発したのは、外省人タカ派の政治家と支持層であった。逆に後者のダーティな土着派層は賛成し、民進党との和解・連携路線をむしろ積極的に推進しようとしている。ここで亀裂がおこった。しかも後者のダーティな土着派の和解路線には、外省人であっても台湾で生まれ育ち台湾語も理解する若手政治家・支持層も加勢した。
 民進党としては、親民党のダーティな土着派と連携することは、マイナスもある。しかし、台湾戦後政治が外省人第一世代のファッショ政治による抑圧・圧迫で展開され、民主化と独立とはそうした権力政治からの脱却が至急の課題であり、いまだに国民党時代のシステムや機構が社会の隅々を支配している以上は、たとえダーティであっても土着派と連携することは一定の意味があるだろう。ダーティだろうが曲りなりにも民主主義や自由であることと、ファッショ統制政治のどちらがいいかという究極の選択において、筆者はもちろん、台湾の多くの人々も、ダーティな民主主義のほうを選ぶ、ということであろう。たしかにクリーンな民主主義であることに越したことはないが、それは現実ではない。最低限の自由と民主的手続きさえ確保されれば、過去の権威主義の遺物を清算することがまず第一の課題であって、民主主義のさらなる健全化は次の課題だということだ。それだけ台湾における外来権威主義体制の問題は大きいのだ。
 
■外省人第一世代から嫌われている宋楚瑜
 親民党に話を戻そう。扁宋会の後の同党内の亀裂、それから国民大会における同党の惨敗の後、同党内タカ派の政治家や支持層から「扁宋会で民進党との妥協路線になったせいで、党の立場が曖昧になり、本来の熱狂的な支持層は国民党に流れたためだ」と宋楚瑜の「妥協路線が招いた失敗」に責任を帰着させる声が上がった。たしかにその側面はあるだろう。親民党の熱心な支持層は、「強硬な外省人による中華民国護持」という最も保守的な人たちであり、陳水扁との対話、民進党との協調路線は、これまで民進党を蛇蝎視してきた反動志向の親民党支持層の一部からは反発が起こり、支持層が国民党に還流し、親民党の党勢衰退に帰結するのは当然だからである。
 また、そもそも外省人保守層は、宋楚瑜にも不信感を抱いている。というのも、もとはといえば、90年代に進められた「台湾本土化」路線は、李登輝と宋楚瑜が連携して進めたものだった。いや、むしろ宋楚瑜が進めたといってよい。なぜなら、宋楚瑜が進めたからこそ、本土化はあくまでも台湾土着的な部分への抑圧を緩和するという中途半端なものに終わり、それが、積極的に台湾が中華民国という外来の衣服を脱ぎ捨てて、まったく台湾の土着的な価値にもとづいた台湾国を建国するという方向にならなかったともいえるのだ。ただ、それとて第一世代の外省人保守派から見たら、許しがたい裏切りだと映った。
 実際、李登輝時代に、李登輝の右腕となって、李煥、郝柏村ら外省人保守派大物政治家を追い落としたのは、宋楚瑜だった。今回、親民党を離党した李慶華・慶安兄妹が、自分の父親・李煥が宋楚瑜によって追い落とされた記憶をよみがえらせたことが、あれほど激しい宋楚瑜批判となって現れたのではあるまいか(それ以前に私が以前から不思議だったのは、李慶華・慶安がどうして宋楚瑜の下にいたかということである。「親父を失脚させた張本人」と組むのは、逆にいえば、それだけ民進党など台湾人勢力の台頭によって、敵の敵は味方になっているということだろうか。ただ、その民進党という「敵」と組むという選択を宋楚瑜が行うことによって、宋楚瑜への恨みが蘇生したということだ)。
 
■民進党と連携志向するしかない宋楚瑜
 だが、宋楚瑜も民進党との連携を志向せざるをえない事情がある。その状況はますます加速している。というのも、従来のように国民党との連携を維持すれば、国民党の軍門に下ることになって、それは宋楚瑜のプライドを傷つけるからである。
昨年末の立法委員選挙で、獲得議席数は国民党89に対して親民党34で、その前2001年末の国民党66、親民党46と比べて差が広がり、さらに国民大会では国民党の得票率39%近くに対して、親民党は6%あまりとさらに格差が広がっている。昨年までは国民党と親民党が対等合併するという議論が両党内に起こっていた。しかし、これだけ国民党が大きく、親民党が小さくなると、もはや昨年のように対等合併ではなく、国民党による親民党の吸収ということになり、小党のトップである宋楚瑜は副主席にもなれないだろう。宋楚瑜がある程度発言力を持ち、国民党を割って出ても強気でいられたのは、2000年総統選挙では連戦の23%よりも多い37%近くを獲得したという経験があったからであり、省長時代にばらまき政治を行ったことで、中南部でも支持者が多い稀有な外省人政治家だったということもある。
ところが、ここまで党勢が落ち目になってしまうと、かつての強みはない。連戦は、大衆人気はまったくないが、それでも国民党のトップであり、今の宋楚瑜よりは政治的資源は多い。また、中南部でも票を獲得できる外省人というアドバンテージも、いまや台中市長で台湾主権意識が強い胡志強らにお株を奪われつつある。
ただしそれは青色陣営内部、国民党との関係においてであって、台湾政界全体としてみれば、6%そこそこの支持があるということは、ある意味でキャスティングボードを握れる立場にある。 民進党と連携する場合には、この6%でも高く売りつけることができる。しかも、民進党は曲りなりにも政権政党であり、野党の国民党と違って、政府ポストなどの「うまみ」もある。
政治的策謀という点では台湾では右に出るものはいない宋楚瑜は、だからこそ民進党との連携に動かざるをえない。たしかに、宋楚瑜は最近、陳水扁が国民大会選挙の直前に宋楚瑜が米国で中国高位層と密会していたと暴露したことに対して名誉毀損で提訴したり、「この件で陳水扁総統が謝罪しないかぎり対話を再開しない」などと主張したりしている。しかし、それでも宋楚瑜には国民党と以前のような強い協力関係を構築するという選択肢は残されていない。それは彼と親民党の自殺につながるからである。そして提訴や上記発言もある意味では取引材料にしている観が強い。そこは黙ってはただでは起きない策謀家だけのことはある。

■親民党の低落は台湾化の流れの証明
 とはいえ、民進党との連携を強めれば強めるほど、親民党の熱心な支持層である外省人保守派はますます親民党を離れて、親民党はますます小さくなっていかざるをえない。同党内タカ派は国民党に還流するだろう。新党はすでに議員レベルでは国民党に復党している。とはいえ、これは歴史の皮肉である。本来、新党にしろ、親民党のタカ派にしろ、国民党が本土化を進め、統一志向ではなくなったことへの不満から国民党を離れたはずである。連戦になってから国民党では中央本部に多い外省人や外省人長老の影響力が復活しているとはいえ、もはや1980年代の国民党ではない。昨年末の選挙で勢力を伸ばしたのは、中南部の土着性の強い政治家が地元の人脈や経済利益構造を活用して伸ばした結果であって、国民党が統一派だから伸びたのではない。むしろその逆である。国民党も実態や基層レベルではきわめて台湾本土的である。中南部の国民党員は、統一か独立かという二者選択なら独立を選択するだろう。
 その国民党に、統一派やタカ派が還流するというのは皮肉である。もちろん、国民党の歴史的経緯や背景を考えれば、いくら本土化しようが、まるっきり本土勢力で独立志向が強い民進党と比べたら、タカ派は国民党のほうが支持しやすい部分が残っているのは否めない。しかし、いくら宋楚瑜の最近の路線に反発したからといって、中南部ではすでに本土勢力が支配している国民党でもいいということは、もはや外省人第一世代のタカ派・統一派も、台湾政治の枠組みで考え、プレーしているということを意味する。そこには中国共産党という選択肢は一切考慮の内にないからである。
 親民党は今後、タカ派を切り捨てた後は、いわば外省人でも若手で台湾語もわかり台湾「本省」人も理解している現実派と、宋楚瑜が省長時代に築いた人脈に連なるダーティな台湾土着勢力だけが残ることになる。それは従来の台湾政治における「統独」のスペクトラムでいえば、国民党の一部外省人保守勢力よりはよほど民進党に近い、真ん中より独立寄りになるということを意味する。また、国民党も中南部は確実に真ん中よりも独立寄りである。つまり、台湾政治の表舞台からは、中国寄り、統一寄りの色彩を持った勢力が名実共に消えるということになる。
もちろん2001年末の選挙で新党が「一国三制度による統一」を打ち出して台湾本島での議席をすべて失って以来、「統一」を公言する政党はなくなっているが、それでも「一つの中国=中華民国」という神話を国民党や親民党が掲げてきた。それももはや賞味期限が過ぎたということになる。
今後は一部の保守的政治家がたとえ中華民国という名前に固執するにしても、それはあくまでも台湾にある中華民国であり、2300万人を代表するものという意味である。中華人民共和国との関連性はますます希薄化する。さらに年月がたてば誰も「中華民国」に固執しなくなるだろう。台湾は着実に正常な国家となりつつある。昨今の親民党の低落と路線転換は、その流れを証明し、促進するものとなるだろう。

台湾教育関係者の「下放」が必要かも!

2005-06-01 01:44:21 | 台湾その他の話題
 5月31日、なんと台湾農民のドキュメンタリー映画「無米楽」4度目の鑑賞である。午後7時20分からの回は教育関係者が多かったようで、杜正勝教育部長も来ていた。上映後のティーチインで杜部長はなぜか北京語で感想を述べたが、「教育的観点から見ても、台湾の土地の実体と歴史を表現したもので、青少年にもっと見てもらいたいと思う」などと述べた。
 台東から来た教育関係者は「立法委員に見てもらって台湾国産米の奨励を行ってほしい。欝病が増えているが、その解消にも良い。小中学校の生活教育の教材として採用すべきだ」という意見を述べていた。
 ただし、今日の教育関係者はこれまでの観客としてはあまりよくなかった。さすが国民党体制教育体系の具現者だけのことはある。ある教育財団の幹部は、鑑賞中携帯をとってしゃべったりしていて、「教育的観点から見て」実に好ましくない模範を示していたし(笑)。
 昔、中国共産党は知識人を「下放」といって農村に送りこんで思想教育を行っていたが、台湾では別の意味で下放が必要ではないか?大学教授たら、教員たらを、一度農村に送り込んで、性根をたたきなおす必要があると思う。大体、教育関係者は台湾語も下手だし、外来政権が持ち込んだ北京語と大中国思想が抜けきっておらず、台湾の土地に根ざした考え方ができていないからだ。これは現代の民主主義社会の教育としてはあるまじき状態だといえる。
 その土地の土着の民衆の価値と考え方に立脚しないで、教育や社会や国家は語ることができないだろう。