むじな@金沢よろず批評ブログ

台湾、国際情勢、アニメなどについて批評

親民党の今後について展望する(コメント可)

2005-06-06 19:13:28 | 台湾政治
「中国寄り」とされてきた第二野党・親民党が揺れている。5月14日の国民大会選挙で台湾団結連盟(台連)を得票率で下回り、野党第三党に転落したことから、これまで党内にたまっていた不満や矛盾が噴出した形だ。
 外省人タカ派として知られる周錫瑋は、早い段階で台北県長選挙へ立候補するためには国民党との連携を主張して脱党して国民党に移籍、国民大会選挙の敗北によって、外省人タカ派李慶華、血統的には「本省」客家人ながら統一派の邱毅ら、同党の「ホープ」ともいえる有力議員が相次いで脱党、また李慶華の実の妹・李慶安、客家人の林郁方らも一時的に脱党の構えを見せたりした。それに対して主席の宋楚瑜は、「出て行きたければ出て行けばよい」と放言した。親民党の支持者も動揺をみせ、国民党に流れる人もいる。台湾政治ウオッチャーの中には親民党の泡沫化を予想する人もいる。

■親民党と国民党との溝
 一時期は強い力をもっていた親民党がなぜがたがたになったのか。それは昨年末の立法委員選挙にさかのぼる。それまで親民党は「中華民国の堅持」という既得権益・中国寄り路線という点で近い国民党と「青色連合」という共闘体制を組み、台湾独立志向の民主進歩党(民進党)や台連などの「緑色連合」と対抗、民進党政権の改革政策に対して、それが改革的であればあるほど、足を引っ張ってきた。
 雲行きが変わったのは、昨年末の立法委員選挙から。この選挙結果では、青色連合が改選前の勢力をほぼ維持し、緑色連合は過半数を取るという目標に失敗した。ところが、ここからがまた台湾政治らしい大転回を見せる。青色連合で過半数を維持したとはいえ、その内実は国民党が伸びて、親民党が減った結果だった。つまり国民党の伸びで親民党が割りを食った形となった。当然、親民党や宋楚瑜としては面白くない。選挙直後から宋楚瑜は国民党と距離をとるようになる。そこへ割って入ってきたのが民進党だった。台連との緑色連合だけでは過半数を獲得できなかったことから、議会運営対策上はどうしても多数派工作が必要となる。そこで国民党との間で溝ができた親民党との連携に動き出したのである。
 民進党は理念的には親民党とは距離が離れている。民進党の支持層も台湾本土派を3割は抱えている国民党より親民党への拒否感のほうが強い。だが、議会政治は数合わせの要素があることは否めない。従来からの盟友・台連に加えて、親民党を議題によって取り込めれば議会運営は楽になる。

■「扁宋会」
 その帰結が今年2月24日の陳水扁・宋楚瑜会談(扁宋会)と会談結果として合意事項を10項目にまとめた「10点共識」だった。ここでは「両岸の緊張緩和に積極的に努力する」などの親民党寄りの主張も取り入れられたほか、「中華民国は主権独立国家であり、現状の変更は2300万人台湾住民の合意を必要とする」という従来から民進党が堅持してきた主張も盛り込まれた。
 筆者はいわば急進独立派に属するが、この合意は評価していた。「中国寄り」であるはずの親民党と最大公約数で合意し、話し合いのチャネルを作ることによって、親民党が自暴自棄になって中国にますます傾斜することを防ぐことになるし、外省人を現在の台湾の枠組みに引き止めておくことに有利となると思ったからだ。民進党や台連の強硬な支持層からは「中国派に妥協して投降するもの」という反発があったが、わたしはそうは思わなかった。たしかに文面だけを見れば、親民党色のほうが強い。しかし、現在の台湾は緑色連合のほうが勢いがあり、時代の流れに合致しており、また将来的にも台湾独立への傾斜していくことは明らかである。しかも民進党は親民党に比べて大政党、大勢力である。本来のアドバンテージは民進党にあるのであって、たとえ文面的には親民党側に妥協したとしても、現実の政治・社会力学からいって、もはや衰退して行く一方の外省人保守派がこれによって実態的なアドバンテージやヘゲモニーを確保することはありえない。むしろ親民党と民進党との交流を増やすことで、彼らを緑色政治側に引きずり込むことになる。そのほうが長期的にみて、台湾政治の安全を確保するためにはプラスになる。筆者はこう考えた。事実、その後はその方向に流れつつある。
 ただ、「扁宋会」の後、両者の強硬な支持層からは強烈な反発が出た。陳水扁の従来の支持者である「深緑」(急進独立派)は「陳水扁は中国人の宋楚瑜と妥協し、台湾を中国人に売り渡した」と批判し、「深青」(統一派)は「宋楚瑜は外省人でありながら、台湾独立派の頭目の陳水扁と会談して、それを総統と呼び、中国人に泥を塗った」と攻撃したのであった。
 わたしは当時、急進独立派の友人たちをなだめるのに必死だった。もちろん、不満はある。しかし政治力学と情勢を考えれば、扁宋会は決して独立運動に不利ではないし、不満をいうなら逆の立場「深青」の不満のほうが相当強烈であることは、筆者が日ごろ外省人とも付き合ってみて容易に予測できたことであった。自分たちだけが不満だと思ったら大間違いである。おそらく勘違いした優越感をもっていて台湾人を馬鹿にしてきた外省人保守派既得権階層のほうがもっと激しく反発しているはずだ。それに親民党も内部事情が複雑で、必ずしも外省人タカ派一色の統一派政党とはいえない。親民党は矛盾を見せるはずだ。事実、その予測も的中した。

■親民党内部に亀裂
 扁宋会の後、親民党は党指導部と支持層が、タカ派とハト派に分かれた。それもそのはずである。親民党は従来から人脈構成が複雑だった。一つは一般的にイメージされている外省人第一世代の既得権益層を中心とするファッショ志向・中華民国固執・台湾蔑視の統一志向中国派で宋楚瑜が外省人であることから従っている層、もう一つは宋楚瑜が台湾省長だった時代に台湾をくまなく回ってばらまき政治を行ったころからくっついてきたヤクザや金権腐敗地元政治家など、ダーティながら最も土着性が高い部分からなる土着派である。従来は前者の外省人タカ派層が前面に出る傾向があった。しかし、親民党は同時にダーティではあるが、台湾の土着的でこてこてな台湾人も加わっていた。この党が外省人タカ派や統一派だけで固まって拡張性がなかった新党とは違って、ある程度の勢力を誇り、さらに中南部でも当選者を出せたのは、土着部分も抱えるこの二面性のおかげであった。
 扁宋会の後、宋楚瑜に反発したのは、外省人タカ派の政治家と支持層であった。逆に後者のダーティな土着派層は賛成し、民進党との和解・連携路線をむしろ積極的に推進しようとしている。ここで亀裂がおこった。しかも後者のダーティな土着派の和解路線には、外省人であっても台湾で生まれ育ち台湾語も理解する若手政治家・支持層も加勢した。
 民進党としては、親民党のダーティな土着派と連携することは、マイナスもある。しかし、台湾戦後政治が外省人第一世代のファッショ政治による抑圧・圧迫で展開され、民主化と独立とはそうした権力政治からの脱却が至急の課題であり、いまだに国民党時代のシステムや機構が社会の隅々を支配している以上は、たとえダーティであっても土着派と連携することは一定の意味があるだろう。ダーティだろうが曲りなりにも民主主義や自由であることと、ファッショ統制政治のどちらがいいかという究極の選択において、筆者はもちろん、台湾の多くの人々も、ダーティな民主主義のほうを選ぶ、ということであろう。たしかにクリーンな民主主義であることに越したことはないが、それは現実ではない。最低限の自由と民主的手続きさえ確保されれば、過去の権威主義の遺物を清算することがまず第一の課題であって、民主主義のさらなる健全化は次の課題だということだ。それだけ台湾における外来権威主義体制の問題は大きいのだ。
 
■外省人第一世代から嫌われている宋楚瑜
 親民党に話を戻そう。扁宋会の後の同党内の亀裂、それから国民大会における同党の惨敗の後、同党内タカ派の政治家や支持層から「扁宋会で民進党との妥協路線になったせいで、党の立場が曖昧になり、本来の熱狂的な支持層は国民党に流れたためだ」と宋楚瑜の「妥協路線が招いた失敗」に責任を帰着させる声が上がった。たしかにその側面はあるだろう。親民党の熱心な支持層は、「強硬な外省人による中華民国護持」という最も保守的な人たちであり、陳水扁との対話、民進党との協調路線は、これまで民進党を蛇蝎視してきた反動志向の親民党支持層の一部からは反発が起こり、支持層が国民党に還流し、親民党の党勢衰退に帰結するのは当然だからである。
 また、そもそも外省人保守層は、宋楚瑜にも不信感を抱いている。というのも、もとはといえば、90年代に進められた「台湾本土化」路線は、李登輝と宋楚瑜が連携して進めたものだった。いや、むしろ宋楚瑜が進めたといってよい。なぜなら、宋楚瑜が進めたからこそ、本土化はあくまでも台湾土着的な部分への抑圧を緩和するという中途半端なものに終わり、それが、積極的に台湾が中華民国という外来の衣服を脱ぎ捨てて、まったく台湾の土着的な価値にもとづいた台湾国を建国するという方向にならなかったともいえるのだ。ただ、それとて第一世代の外省人保守派から見たら、許しがたい裏切りだと映った。
 実際、李登輝時代に、李登輝の右腕となって、李煥、郝柏村ら外省人保守派大物政治家を追い落としたのは、宋楚瑜だった。今回、親民党を離党した李慶華・慶安兄妹が、自分の父親・李煥が宋楚瑜によって追い落とされた記憶をよみがえらせたことが、あれほど激しい宋楚瑜批判となって現れたのではあるまいか(それ以前に私が以前から不思議だったのは、李慶華・慶安がどうして宋楚瑜の下にいたかということである。「親父を失脚させた張本人」と組むのは、逆にいえば、それだけ民進党など台湾人勢力の台頭によって、敵の敵は味方になっているということだろうか。ただ、その民進党という「敵」と組むという選択を宋楚瑜が行うことによって、宋楚瑜への恨みが蘇生したということだ)。
 
■民進党と連携志向するしかない宋楚瑜
 だが、宋楚瑜も民進党との連携を志向せざるをえない事情がある。その状況はますます加速している。というのも、従来のように国民党との連携を維持すれば、国民党の軍門に下ることになって、それは宋楚瑜のプライドを傷つけるからである。
昨年末の立法委員選挙で、獲得議席数は国民党89に対して親民党34で、その前2001年末の国民党66、親民党46と比べて差が広がり、さらに国民大会では国民党の得票率39%近くに対して、親民党は6%あまりとさらに格差が広がっている。昨年までは国民党と親民党が対等合併するという議論が両党内に起こっていた。しかし、これだけ国民党が大きく、親民党が小さくなると、もはや昨年のように対等合併ではなく、国民党による親民党の吸収ということになり、小党のトップである宋楚瑜は副主席にもなれないだろう。宋楚瑜がある程度発言力を持ち、国民党を割って出ても強気でいられたのは、2000年総統選挙では連戦の23%よりも多い37%近くを獲得したという経験があったからであり、省長時代にばらまき政治を行ったことで、中南部でも支持者が多い稀有な外省人政治家だったということもある。
ところが、ここまで党勢が落ち目になってしまうと、かつての強みはない。連戦は、大衆人気はまったくないが、それでも国民党のトップであり、今の宋楚瑜よりは政治的資源は多い。また、中南部でも票を獲得できる外省人というアドバンテージも、いまや台中市長で台湾主権意識が強い胡志強らにお株を奪われつつある。
ただしそれは青色陣営内部、国民党との関係においてであって、台湾政界全体としてみれば、6%そこそこの支持があるということは、ある意味でキャスティングボードを握れる立場にある。 民進党と連携する場合には、この6%でも高く売りつけることができる。しかも、民進党は曲りなりにも政権政党であり、野党の国民党と違って、政府ポストなどの「うまみ」もある。
政治的策謀という点では台湾では右に出るものはいない宋楚瑜は、だからこそ民進党との連携に動かざるをえない。たしかに、宋楚瑜は最近、陳水扁が国民大会選挙の直前に宋楚瑜が米国で中国高位層と密会していたと暴露したことに対して名誉毀損で提訴したり、「この件で陳水扁総統が謝罪しないかぎり対話を再開しない」などと主張したりしている。しかし、それでも宋楚瑜には国民党と以前のような強い協力関係を構築するという選択肢は残されていない。それは彼と親民党の自殺につながるからである。そして提訴や上記発言もある意味では取引材料にしている観が強い。そこは黙ってはただでは起きない策謀家だけのことはある。

■親民党の低落は台湾化の流れの証明
 とはいえ、民進党との連携を強めれば強めるほど、親民党の熱心な支持層である外省人保守派はますます親民党を離れて、親民党はますます小さくなっていかざるをえない。同党内タカ派は国民党に還流するだろう。新党はすでに議員レベルでは国民党に復党している。とはいえ、これは歴史の皮肉である。本来、新党にしろ、親民党のタカ派にしろ、国民党が本土化を進め、統一志向ではなくなったことへの不満から国民党を離れたはずである。連戦になってから国民党では中央本部に多い外省人や外省人長老の影響力が復活しているとはいえ、もはや1980年代の国民党ではない。昨年末の選挙で勢力を伸ばしたのは、中南部の土着性の強い政治家が地元の人脈や経済利益構造を活用して伸ばした結果であって、国民党が統一派だから伸びたのではない。むしろその逆である。国民党も実態や基層レベルではきわめて台湾本土的である。中南部の国民党員は、統一か独立かという二者選択なら独立を選択するだろう。
 その国民党に、統一派やタカ派が還流するというのは皮肉である。もちろん、国民党の歴史的経緯や背景を考えれば、いくら本土化しようが、まるっきり本土勢力で独立志向が強い民進党と比べたら、タカ派は国民党のほうが支持しやすい部分が残っているのは否めない。しかし、いくら宋楚瑜の最近の路線に反発したからといって、中南部ではすでに本土勢力が支配している国民党でもいいということは、もはや外省人第一世代のタカ派・統一派も、台湾政治の枠組みで考え、プレーしているということを意味する。そこには中国共産党という選択肢は一切考慮の内にないからである。
 親民党は今後、タカ派を切り捨てた後は、いわば外省人でも若手で台湾語もわかり台湾「本省」人も理解している現実派と、宋楚瑜が省長時代に築いた人脈に連なるダーティな台湾土着勢力だけが残ることになる。それは従来の台湾政治における「統独」のスペクトラムでいえば、国民党の一部外省人保守勢力よりはよほど民進党に近い、真ん中より独立寄りになるということを意味する。また、国民党も中南部は確実に真ん中よりも独立寄りである。つまり、台湾政治の表舞台からは、中国寄り、統一寄りの色彩を持った勢力が名実共に消えるということになる。
もちろん2001年末の選挙で新党が「一国三制度による統一」を打ち出して台湾本島での議席をすべて失って以来、「統一」を公言する政党はなくなっているが、それでも「一つの中国=中華民国」という神話を国民党や親民党が掲げてきた。それももはや賞味期限が過ぎたということになる。
今後は一部の保守的政治家がたとえ中華民国という名前に固執するにしても、それはあくまでも台湾にある中華民国であり、2300万人を代表するものという意味である。中華人民共和国との関連性はますます希薄化する。さらに年月がたてば誰も「中華民国」に固執しなくなるだろう。台湾は着実に正常な国家となりつつある。昨今の親民党の低落と路線転換は、その流れを証明し、促進するものとなるだろう。