★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイの「いつもの朝、思い出すこと」

2023-11-16 10:03:25 | ベトナム・ハノイ

ベトナム在住12年目、初めてベトナムに来始めてすでに25年以上がすぎた。

本日ふと「いつもの朝、ベトナムとのかかわりを思い出した」

最初は25年前、最初の就職先である「金型メーカとして」ベトナムに来た。

韓国の外注先がベトナムに事務所を作り、その開所式に呼ばれたのが最初である。

そのころから「韓国企業はベトナム進出に関してアグレッシブな姿勢だった」

その後、時々この企業訪問するためベトナムに行った。

 その後は、自分もIT系企業「海外拠点開設ののためにも呼ばれ」転職した。

ここでは2年近く「いろんな場所に行き」最終的にその拠点を「ベトナムに決めた」

その時自分をヘッドハンティングしてくれた「社長が親会社に栄転になり」まるで方向性の違う社長が来た。

それでも途中までは「ベトナム拠点になりつつあったが?」結局見捨てられた。

そのIT企業をやめ「52歳でベトナムに単身乗り込み起業した」

安定していた「上場企業」そして52歳と言う年齢からも親族一同から「大反対された」当たり前である。

何のリレーションもないベトナムに定年を前のおじさんが「急に会社を作ると出て行ったのだから」

そこからの道を語るには「とても書面が足らない」

ベトナムに最初に来てから25年、起業してから12年、よくここまで来たのかもしれない?

ここまでの道のりについては「おいおい記していこうと思う」

 ベトナム進出する日本企業のうち(飲食も含め)5年で残る確率は5%であるという。

一応この会社は12年目、良く残ったものだと考える。それまでの仕事上のキャリアと

仕事仲間の皆さん、そして、ベトナム側で「いろいろ支えてくれた友人たち」

そして、ここまで頑張ってくれた「社員たち」が居たからこその事である。

 それでも現在、創業以来の難しい状況になっている。「何のことは無い、全てが為替差損」の問題である。

この問題は語り尽くした。どうなるにしろ「何とかする以外ない」、コロナと為替この2つで

一気に会社は規模が半分になり、10年かけて蓄えた「内部留保」も吹っ飛んだ。

それでも「社員、その家族」が居る限り、何とかしなくてはならない。

順調だった3年前とは「全然違う生活(急に貧乏な社長になった)」をしなければならなくなった。

それでも「12年前と同じ、バインミーを食べ、同じインスタントコーヒーを飲みながら」

円安故に12年前、起業時と同じような小さなオフィスに移り、そこの誰もいないオフィスの机で、

これからの事を考えている。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする