★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイの「年末に思う事」

2022-01-21 10:29:18 | ベトナム・ハノイ

 来週から「追加在宅になる弊社としては」本日が年末最終日に近い。

弊社は10月決算と言う「ちょっと変わった会社だ」税理士が混雑する12月末や3月末を避けての

決算月なのだ。コロナ禍、経済的に停滞している時期であったが、何とか昨年並みの「売上げ額」を

確保できた。ありがたいことである。冷静に考えれば、

*日本では少子高齢化で「育成するのに時間のかかる技術者」の減少は続く

*地味な「製造業に就く人材は今後減少はするが増加しない」

*日本の製造業のデジタル化はすでに「後進国の部類だ」

*脱炭素、自動車のEV化など、自動車産業を取り巻く環境は後5年間で劇的に変わる

(エンジンやその周りの部品を主力で作っているメーカにとっては非常に厳しい時代になりつつある)

これらの状況は、「自動車のボディ回りの部品」を量産するための「金型製作におけるデジタルデータ」を

製作している弊社にとっては「ピンチでもあるが同時に大きなチャンスでもある」と考えている。

 すでに「日本固有技術」であった内容は「技術流出」し、韓国、中国、東ヨーロッパでも対応できる。

既に日本のアドバンテージは「無い」に等しい。その上「業種に人気なく、人材の育成が滞り、デジタル化も進まない日本」

は「衰退の一途をたどっている印象だ」

 だからこそ、ベトナムで「日本の技術を有した技術者集団の価値」は今後「自動車を作り出したベトナム」はもちろん

EV化された自動車を作るであろう世界中の国々でも「重宝される技術」だと考える。

特に、これから「モータリゼーションが来るであろうベトナム」で量産のための「これだけのか技術を有した技術者集団」は

必ずやベトナムの役に立つだろうと思う。(もともとそれが会社設立の第一目標だった)何とか来年は、ベトナム自動車業界への

足がかりを取り付けたい。

 今後日本からのベトナムへの投資や進出はより加速するだろう、しかし「安易なベトナム進出」はやめるべきだ。

昨年「弊社が被害を被ったように」(現在、訴訟中である)、何の準備もなく「はやり」でベトナム進出する企業

(特に中小企業)が後を絶たない。前にも話したがベトナム進出した日本企業(小さな飲食も含む)は5年後

5%しか残っていない現実をよく考えることである。他国にもましてベトナム進出は難しい。

そして「安易なベトナム進出」は「夢をもって外資に雇用されたベトナム人に対する、ケアや教育」をないがしろにし

結局撤退し、ベトナム人の夢や生活の糧までも奪ってしまう。そんな「安易なベトナム進出」は行うべきでない。

10年ベトナムで会社を運営してきた経験者として、ここに強く警告したい。(そしてまた、駐在等でベトナムに来て、

ベトナム、ベトナム人の上っ面だけをみて、いかにも分かったように「ベトナム人のダメさ、ベトナムという国の

危うさ」を説く人がいるが、昔の日本も同じだったことを忘れている。国は発展途上には、法的未整備や、他国の真似を

多用することなど当たり前なのである。それを分かったうえでうまくコントロールすべきである)・・・

 さて、急激な時代の流れは「自動車業界を席捲しつつある」この流れに対応できない企業は淘汰されるだろう

そのためには「世界で通用する技術」を持つ以外ない。それを「ベトナムの地で可能にできているのだろうか?」

毎日そう思いながら「会社を運営している」あともう少しでそんな会社にできると信じている。

ベトナムだからとかベトナム人だからではない、「このメンバーだからできた」と言う会社にしたいと考えている。

(コストメリットだけで進出会社はうまくいかない、そして人種や国籍や民族による能力の差なんて皆無だ、

会社がうまくいくかどうかは、業務を行う国に溶け込んで、そこにあった教育やOJTを根気よく行う以外にない

そして「最初に育成する社員の質と思い」がうまくいけば、下は自然と育っていく「良い、固有の社風」を作ること

それが大切であったと今になって思う。)

 ベトナムの年末、そんなことを考えた。

 

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ベトナムハノイの「ささやかな忘年会」

2022-01-21 09:46:32 | ベトナム・ハノイ

 ベトナム的に言えば「今年ももうわずかである」

自分の日本人のアイデンティティからするとさすがに新暦での師走から正月にかけての

独特な感覚は失ってはいないが、さすがに10年以上ベトナムに居ると「今現在、旧暦の年末年始」

においても新暦と同様の「年末年始感覚」が生じている。

「独特の年末年始の感覚」をベトナムでも禁じ得ないのである。

 しかし「大病を患ってからのこの感覚には」少し変化があったようだ。

「いつまで生きれるかわからないが(そんなに悲壮感があるわけではなく)貴重な時間を

どう過ごそうか?」というより具体的な「終活」を意識するようになった。悪い事ではないだろうが

「来年も頑張ろう」と前だけを向いていたころからすると、少々「さみしい気もする」

しかし時は待ってはくれない。「今を貴重なものとして過ごさなければならない」

と言ってもそんなに「崇高なことではなく、現在を楽しみ、やれることをやる」だけなのだが?

 そんなわけで、来週から「在宅可能者」はそれを実施することになり、今週が

現状人員がそろう最後になるため、急遽「ささやかな忘年会」を行いたいと「組合から申し出があった」

結局は「会社負担」だが、快諾した。

 体調もあまりよくなく、乾杯のビールが「いつものようにはおいしくない」しかし、好きなものをつまみ

後は「息子や娘の年齢よりも若い社員の旺盛な食欲」を見ていた。普段食べないような「カニやイカやエビ」などを

美味しそうに食べている様子を「どういうわけか、今までより客観的な視点で見ている自分に気が付いた」

今までには一度もなかったが、中座退席し家に帰って熱いシャワーを長めに浴びて早々に床に就いた

 人間はこうしてだんだん老いていくのかもしれない。

しかし昨日あったように「未だベトナム人だけで会社運営するには、おぼつかないところもある」

早く修正し「自立できるようななるまでは、なんとか頑張ろう」という気になった。

なにか、湿っぽい話だが「何のことは無い」気がついたら深い眠りに落ちていた。

「深く考えない事」これもまた「老いてからは、大きな長所なのかもしれない」

早く寝すぎて、早朝に目を覚まし、そんなことを考えた。

さてさて、出勤準備しなければ。

在宅者はいなかったのでいつもよりは少ないが、一応忘年会らしきものは行えた。

1年間「ご苦労様でした」

 

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