宿題の解答です(笑)
一進一退という試合ではなく、攻守攻防の激しい試合ということでもなく・・・
どう表現したらよい試合なのか?
ミラン中心にみれば、「やばい」試合だったと・・・
※この場合の「やばい」は昔からの使い方です。
アーセナル中心にみると「ヤバイ」試合でした。
※この場合の「ヤバイ」は最近の若い人が、よく使う「ヤバイ」です。
面白い試合?というより
「詰まる試合」と判断したいです。“面白い”という表現は使いませんでしたが
見所は、“か・な・り”ありました。
数日前にも述べましたが、前半戦序盤はアーセナルが「ミラン」という名前に対する警戒感
をかなり持っているように思えました。時間が経つにつれ、その警戒感が解かれ、逆にミランは
警戒感ではなくアーセナルの「恐怖感」を思い知らされることになった。
そんな気がします。
全体を通じてみると、観戦して御解りの通り、アーセナルに分があったことは歴然としています。
前半戦、特質すべき点はそんなに感じませんでしたが、先述の「警戒感」が取り除かれるに従い、
ミランの陣形を外側から覆って「蓋」をしているように映りました。
しかも、同数の人数を割かずにです。
敵陣でのスローインからの展開でしたので、ミランは守備的な状況でしたが、20分過ぎの
ギャラスのシュート時、ミランはペナルティエリアに砦を築きました。8人ないし9人
といった人数を掛けて・・・
当初からの想定の守備陣系ではなく、明らかに、徐々に追い詰められていくといったような
守備でした。
ボールポゼッションで、ミランが後半になって盛り返したという実況がありましたが
この場合のポゼッションの割合は、意味のないものといって良いでしょう。
明らかに試合のイニシアチブはアーセナルが握っていました。
ポゼッションよりも「DISTANCE」の方が重要に思いました。
中盤選手の走破距離は60分になるかならない時点で、フラミニとガットゥーゾが既に
8000mを超えていました。セスクもそれに続く7000m台、一方のミランも
ピルロがなんと7000mを上回っていました。
しかし、アーセナルとミランのそれには明らかな違いがあるように思いました。
アーセナルは意図的に「走った」走破距離。一方のミランは自身の意図よりも「走らされた」
走破距離と例えたいと思います。
相当な疲れを覚えたのではないでしょうか?ミランの選手達は・・・
アーセナルも試合終了後には、好機を生かせなかったという失望感という名の「疲れ」を
覚えたのではないでしょうか?
この「引き分け」をどう捉えるか?アウェーで引き分けに持ち込んだ、ミランは守勢で
ありながら引き分けに持ち込み当然「有利」というか勝ち抜く「望み」というものが出てきた
ということは事実です。
ホームで引き分けたアーセナルを「不利」と例える人もいるかもしれませんが、メンタル面で
の試合前と試合後では、相当違っていると思います。
「俺たちは、ミランが相手でも十分やれる」そう感じたからこそ、冒頭の「警戒感」が
薄れていったのだと・・・
アーセナルの警戒感が薄れていくのとは「反比例」して、ミランのアーセナルに対する
「恐怖感」が増幅していく。
「どうしたらいいのだろう。」、「どう対処したらよいのだろう。」という思いを何人かの
選手はいだいていたのではないでしょうか?
勝手な想像ですが・・・
そういう思いというか、嘆きの声が聞こえる(気がする)プレーがあったような気がします(笑)
導入部分が少し長くなりましたが(苦笑)
私が観て感じた試合の細部について、私なりに語りたいと思います。
47分過ぎから60分台前半までの、猛攻は凄まじいものでした。
勝手な想像で「恐怖感」と例えたプレーが52分、右サイドからのロビングが流れ、
左コーナー付近へと転々とするボールにエドゥアルドが追いかけ、ミランディフェンス
と対峙する場面。
あまり、調子の良くないエドゥアルドに対して、オッドとガットゥーゾが2人で対処する
もう少し広いエリアとしたらセードルフもその場面でディフェンスとして対応しています。
そこまで人を掛ける場面?明らかに慌て、冷静さを失い追い詰められている証ではないのかと!
思います。
好機の場面で得点を奪うことのできる選手(得点率の高い)にボールが渡らなかった
ということも、ある意味(無得点となる)その試合の「流れ」だったのかとも思います。
あのレベルの選手たちなので「怖い」には違いがありませんけどね(笑)
51分のアーセナルの攻撃で、フレブが右サイドを切り込み、エブエが背後からバックアップし、
シュートに持っていく場面などは、その典型ではないでしょうか?
それとこの場面では、この試合で唯一かと思われるセスクが好機に関与しなかった場面かと
思われます。やはり、セスクが中心です。
アーセナルというオーケストラを指揮する指揮者です。彼の「タクト」の振り方次第で
如何様にも素晴らしい「攻撃(メロディ)」を奏でてくれます。
そのようなセスクに対する対応も注意しなければならないと思います。
視野も広く、判断も速く、運動量も多い素晴らしい選手(スーパーボランチと例えましたね(笑))
です。対処の仕方を考えなくては、ホームの試合でも苦しめられるでしょう。
変幻自在、神出鬼没な彼。好機の場面で、登場してくるスペースでは必ず、ミランの
中盤選手より(アーセナルの攻撃方向に対して)前に出ています。その時にディフェンスしなくて
はと思ってもあとの祭り、そんな状況が何度もありました。
密着マークとはいかないまでも、彼への対処を考えなくてはならないと思います。
彼の左脚の対処はどうなのでしょうか?ゲームの組み立ての際に精度が変わるというの
であれば、狭いスペースでのパスを配給する前のスペースの与え方、ディフェンダーの
寄せ方も一考だと思います。その対策をかわすセスクも観てみたいですけどね(笑)
アーセナルに分があった試合でしたが、65分からの約10分間はアーセナルのペース
が落ちた時間帯であったと思います。
イスタンブールでのCL決勝ではないですが「魔の時間帯の6分」がありましたが
そういう時間帯を生かさなければ勝機は難しいとも感じます。
ここが勝負どころといった時間帯にリスクを犯してでも攻撃しなくてはいけない場面で
攻撃を仕掛けられるか?ここも次の試合でのポイントでしょう。
アーセナルの小気味良いテンポのパス回し、組み立てに対して、ミランは流れにのれない
印象派否めません。パスをだせる選手に一度ボールを預ける動きがその1つの原因。
ダイレクトではたくパスの少なさ(ディフェンダーからするとパスの出所を見極めやすい)
というのも1つの原因。
61分に左サイドから右サイドに走りこんだパスにオッドが走りこみシュートした場面は
セードルフのリターンをカカがダイレクトパスという展開でした。
ダイレクトパスによるリズムの変化、スパースを突くリスクを省みないプレー。
こういうプレーが好機を演出する目安かと思います。
ミランにアーセナルのサッカーをやれ!といっても無理でしょうが、鍛錬によっては
こなすことのできるレベルの選手たちです。90分を通してでなくとも、ほんの少ない
時間帯にでもダイレクトのパス交換を行えれば・・・
などと考えています。
ガットゥーゾが試合の後半にはダイレクトで展開する場面を見かけることができます。
試合の中で感じ、無意識のうちに修正したのでしょうか?
ミランのパス交換が次の試合で変わるか?これも見所です。
やはり、ピルロ次第でしょう。
意識を変えてくれないと!
82分、ペナルティエリア外の20m付近中央で、セスクがフレブにパスを要求しました。
ピルロが3m以内に居るにも関わらずです。そのパスが簡単に通ってしまい、シュートを
打たれてしまいました。
守備の脆さの面でも見透かされているからでしょう。大変化は日にちがなく望めませんが
まず、意識を変えることです。許されるならば・・・トッティのダイレクトパスが欲しいです。
その他にも気づいた点はありますが、今回は、ここまでにいたしましょう!
次の試合までに言いそびれた点については追記するかもしれません(笑)
最後に解説の人に対して・・・
友人からは「いい人」の評価を聞いています。米原さん(YONE+原)
「ちゃうよね」「だよね」はよく使われますが「だもんね」にはびっくりしました。
「だもんね」などと使う人は、「ケンちゃん」シリーズに何度も登場したマンガさん
(進士晴久さん)以来です。
「ケンちゃんがいけないって言ったんだもんね!」って
※何人に伝わるのだろうか?(苦笑)
マルディーニの躍動したプレーに対して
「また、若返っちゃったね~」と・・・
「また、馬鹿言っちゃね~」と自分自身を反省しているかと思いましたが
反省するわけはないし・・・(笑)
解説が「良い試合」をダメにする場合もあることを、放送される側は肝に銘じて
いただきたいかなと思いましたね(笑)
こんな感想でいかがでしょうか?!
雅104
一進一退という試合ではなく、攻守攻防の激しい試合ということでもなく・・・
どう表現したらよい試合なのか?
ミラン中心にみれば、「やばい」試合だったと・・・
※この場合の「やばい」は昔からの使い方です。
アーセナル中心にみると「ヤバイ」試合でした。
※この場合の「ヤバイ」は最近の若い人が、よく使う「ヤバイ」です。
面白い試合?というより
「詰まる試合」と判断したいです。“面白い”という表現は使いませんでしたが
見所は、“か・な・り”ありました。
数日前にも述べましたが、前半戦序盤はアーセナルが「ミラン」という名前に対する警戒感
をかなり持っているように思えました。時間が経つにつれ、その警戒感が解かれ、逆にミランは
警戒感ではなくアーセナルの「恐怖感」を思い知らされることになった。
そんな気がします。
全体を通じてみると、観戦して御解りの通り、アーセナルに分があったことは歴然としています。
前半戦、特質すべき点はそんなに感じませんでしたが、先述の「警戒感」が取り除かれるに従い、
ミランの陣形を外側から覆って「蓋」をしているように映りました。
しかも、同数の人数を割かずにです。
敵陣でのスローインからの展開でしたので、ミランは守備的な状況でしたが、20分過ぎの
ギャラスのシュート時、ミランはペナルティエリアに砦を築きました。8人ないし9人
といった人数を掛けて・・・
当初からの想定の守備陣系ではなく、明らかに、徐々に追い詰められていくといったような
守備でした。
ボールポゼッションで、ミランが後半になって盛り返したという実況がありましたが
この場合のポゼッションの割合は、意味のないものといって良いでしょう。
明らかに試合のイニシアチブはアーセナルが握っていました。
ポゼッションよりも「DISTANCE」の方が重要に思いました。
中盤選手の走破距離は60分になるかならない時点で、フラミニとガットゥーゾが既に
8000mを超えていました。セスクもそれに続く7000m台、一方のミランも
ピルロがなんと7000mを上回っていました。
しかし、アーセナルとミランのそれには明らかな違いがあるように思いました。
アーセナルは意図的に「走った」走破距離。一方のミランは自身の意図よりも「走らされた」
走破距離と例えたいと思います。
相当な疲れを覚えたのではないでしょうか?ミランの選手達は・・・
アーセナルも試合終了後には、好機を生かせなかったという失望感という名の「疲れ」を
覚えたのではないでしょうか?
この「引き分け」をどう捉えるか?アウェーで引き分けに持ち込んだ、ミランは守勢で
ありながら引き分けに持ち込み当然「有利」というか勝ち抜く「望み」というものが出てきた
ということは事実です。
ホームで引き分けたアーセナルを「不利」と例える人もいるかもしれませんが、メンタル面で
の試合前と試合後では、相当違っていると思います。
「俺たちは、ミランが相手でも十分やれる」そう感じたからこそ、冒頭の「警戒感」が
薄れていったのだと・・・
アーセナルの警戒感が薄れていくのとは「反比例」して、ミランのアーセナルに対する
「恐怖感」が増幅していく。
「どうしたらいいのだろう。」、「どう対処したらよいのだろう。」という思いを何人かの
選手はいだいていたのではないでしょうか?
勝手な想像ですが・・・
そういう思いというか、嘆きの声が聞こえる(気がする)プレーがあったような気がします(笑)
導入部分が少し長くなりましたが(苦笑)
私が観て感じた試合の細部について、私なりに語りたいと思います。
47分過ぎから60分台前半までの、猛攻は凄まじいものでした。
勝手な想像で「恐怖感」と例えたプレーが52分、右サイドからのロビングが流れ、
左コーナー付近へと転々とするボールにエドゥアルドが追いかけ、ミランディフェンス
と対峙する場面。
あまり、調子の良くないエドゥアルドに対して、オッドとガットゥーゾが2人で対処する
もう少し広いエリアとしたらセードルフもその場面でディフェンスとして対応しています。
そこまで人を掛ける場面?明らかに慌て、冷静さを失い追い詰められている証ではないのかと!
思います。
好機の場面で得点を奪うことのできる選手(得点率の高い)にボールが渡らなかった
ということも、ある意味(無得点となる)その試合の「流れ」だったのかとも思います。
あのレベルの選手たちなので「怖い」には違いがありませんけどね(笑)
51分のアーセナルの攻撃で、フレブが右サイドを切り込み、エブエが背後からバックアップし、
シュートに持っていく場面などは、その典型ではないでしょうか?
それとこの場面では、この試合で唯一かと思われるセスクが好機に関与しなかった場面かと
思われます。やはり、セスクが中心です。
アーセナルというオーケストラを指揮する指揮者です。彼の「タクト」の振り方次第で
如何様にも素晴らしい「攻撃(メロディ)」を奏でてくれます。
そのようなセスクに対する対応も注意しなければならないと思います。
視野も広く、判断も速く、運動量も多い素晴らしい選手(スーパーボランチと例えましたね(笑))
です。対処の仕方を考えなくては、ホームの試合でも苦しめられるでしょう。
変幻自在、神出鬼没な彼。好機の場面で、登場してくるスペースでは必ず、ミランの
中盤選手より(アーセナルの攻撃方向に対して)前に出ています。その時にディフェンスしなくて
はと思ってもあとの祭り、そんな状況が何度もありました。
密着マークとはいかないまでも、彼への対処を考えなくてはならないと思います。
彼の左脚の対処はどうなのでしょうか?ゲームの組み立ての際に精度が変わるというの
であれば、狭いスペースでのパスを配給する前のスペースの与え方、ディフェンダーの
寄せ方も一考だと思います。その対策をかわすセスクも観てみたいですけどね(笑)
アーセナルに分があった試合でしたが、65分からの約10分間はアーセナルのペース
が落ちた時間帯であったと思います。
イスタンブールでのCL決勝ではないですが「魔の時間帯の6分」がありましたが
そういう時間帯を生かさなければ勝機は難しいとも感じます。
ここが勝負どころといった時間帯にリスクを犯してでも攻撃しなくてはいけない場面で
攻撃を仕掛けられるか?ここも次の試合でのポイントでしょう。
アーセナルの小気味良いテンポのパス回し、組み立てに対して、ミランは流れにのれない
印象派否めません。パスをだせる選手に一度ボールを預ける動きがその1つの原因。
ダイレクトではたくパスの少なさ(ディフェンダーからするとパスの出所を見極めやすい)
というのも1つの原因。
61分に左サイドから右サイドに走りこんだパスにオッドが走りこみシュートした場面は
セードルフのリターンをカカがダイレクトパスという展開でした。
ダイレクトパスによるリズムの変化、スパースを突くリスクを省みないプレー。
こういうプレーが好機を演出する目安かと思います。
ミランにアーセナルのサッカーをやれ!といっても無理でしょうが、鍛錬によっては
こなすことのできるレベルの選手たちです。90分を通してでなくとも、ほんの少ない
時間帯にでもダイレクトのパス交換を行えれば・・・
などと考えています。
ガットゥーゾが試合の後半にはダイレクトで展開する場面を見かけることができます。
試合の中で感じ、無意識のうちに修正したのでしょうか?
ミランのパス交換が次の試合で変わるか?これも見所です。
やはり、ピルロ次第でしょう。
意識を変えてくれないと!
82分、ペナルティエリア外の20m付近中央で、セスクがフレブにパスを要求しました。
ピルロが3m以内に居るにも関わらずです。そのパスが簡単に通ってしまい、シュートを
打たれてしまいました。
守備の脆さの面でも見透かされているからでしょう。大変化は日にちがなく望めませんが
まず、意識を変えることです。許されるならば・・・トッティのダイレクトパスが欲しいです。
その他にも気づいた点はありますが、今回は、ここまでにいたしましょう!
次の試合までに言いそびれた点については追記するかもしれません(笑)
最後に解説の人に対して・・・
友人からは「いい人」の評価を聞いています。米原さん(YONE+原)
「ちゃうよね」「だよね」はよく使われますが「だもんね」にはびっくりしました。
「だもんね」などと使う人は、「ケンちゃん」シリーズに何度も登場したマンガさん
(進士晴久さん)以来です。
「ケンちゃんがいけないって言ったんだもんね!」って
※何人に伝わるのだろうか?(苦笑)
マルディーニの躍動したプレーに対して
「また、若返っちゃったね~」と・・・
「また、馬鹿言っちゃね~」と自分自身を反省しているかと思いましたが
反省するわけはないし・・・(笑)
解説が「良い試合」をダメにする場合もあることを、放送される側は肝に銘じて
いただきたいかなと思いましたね(笑)
こんな感想でいかがでしょうか?!
雅104