月光院璋子の映画日記

気ままな映画備忘録日記です。

「ブラックサイト」---- 追記

2008年07月07日 | ◆ハ行&バ・パ・ヴ行

★「ブラックサイト」ーーー娘たちが一緒に見たいというので、またまた見てしまいました。ネット犯罪としていずれ起こりえると思えるテーマながら、犯人や捜査の対象となったオタクの台詞には、改めて考えさせられます。人は他人が死んだり殺されたりするのに興味があるんだよ、誰も見なければ(サイトにアクセスしてこなければ)(捉えられた人の体に血液凝固剤が流れ込むこともなく、水槽に硫酸が流れ込むこともなく)死なないで済んだという台詞。

話は変わりますが、我が家でTVを見ない理由は、私がTVのある部屋でゆっくりできる時間帯に放映される番組が朝と午後もワイドショーと料理番組というのが多く、家族がTVのある部屋に揃う時間帯に放送される番組の多くは、お笑い系のタレントが司会する趣味の悪い番組ばかりだからということも大きいですね。
そうした番組は一度見れば、どういう番組構成かは分かります。

ワイドショーは思考を寸断停止させる訓練をするが如くで、ああいうものを特に意識することなく見ていたら間違いなく、じっくり考えるという習性は、育つどころか破壊されます。事件や事故で亡くなった人の死がスポーツ選手の活躍の話と並列に放送されるのだから。
お笑いのタレントが司会する番組では、皆司会者に媚びるお笑い系の新人が多く、いわば仲間内の番組でしかない出演者ばかりという印象。出演者の言葉遣いや態度でいかに彼らが司会者に取り入ろうと必死かが伝わってきます。それだけで、実は、≪内向けの≫閉ざされた番組だというのを感じますよね。
一日の疲れを笑いで癒す気分転換となる番組のように見えるけれど、内向け番組ゆえ事情通じゃないと少しも面白くないはず。子供たちがこういうのを見続けていたら、力のある相手に媚びる精神が知らず知らずのうちに醸成されていくに違いない。

こうした番組をPTAの御婦人たちのように低俗番組だ批判するつもりはありません。我が家の子供たちはTVを見ないので、関係がないと言ってしまえばそれまでですが、どうしよういもないからです。外では「低俗な番組」「悪影響が心配」と批判していながら、自分の子供にはそういう番組を見るに任せている。本当に見せたくないと言うのなら、見せなければいいだけのこと。TV番組の決定権をすでに子供に握られていて見るのをやめさせる力が親にないというのなら、我が子のためにTVを排除すればいいだけのことなのですが、そう言えば、親たちはこう語ります。いい番組だってあると。

そう抗弁するなら、そのいい番組だけを見せればいい。視聴率を取るための番組は全ては需要供給の関係だから、そこにも経済行動原理が働いている。子供をTVの前に放って置けば、いずれ商業主義の犠牲となるのは道理というもの。

この映画の犯人と彼に共感するオタクたちの台詞は、一面もっともだと思ってしまう。彼らは相手を拉致して暴力を加えただけで、殺人に直接手は下していないからだ。FBIのおバカな捜査責任者が報道陣の前で、「アクセスする人間全部が、殺人に手を貸すことになる。そうなったら、あなた方全員も殺人者だ」と言う発想も同じ次元だ。本当にそうならば、アクセスした人間を全員捜査して逮捕すると言明すればいい。けれど、そんなことは不可能で、それで殺人罪を適用することも不可能だ。彼らは流されたサイトをただ「ナンだろう」という興味を刺激されて見ただけなのだから。
だから、映画の中での記者会見はサイトを広報する役目を担う危険に頬被りして立場上公的に振舞ったという意味で、むしろ犯行の意図に載せられて一役買っており殺人を幇助する結果に一役買ってしまっている。犯人の罪は、上述した違法行為以上に、大衆を(つまりは匿名的存在の人々を)下衆というものに落としてしまう巧妙さにある。そして記者会見を行ったFBIの上司の罪は偽善。

それにしても、人間の本質を見据えて仕掛けてる犯罪というものは恐ろしい。

展開としてはどうということのないストーリーの映画なのに、よく出来ていると改めて思うのは、展開の流れに淀みがないところ=まるでTV番組と同じで、ある台詞や行動に遭遇した瞬間、立ち止まってその台詞や行為の意味を考え始めると、どこまでもテーマは身近で深いということ。そして、カメラワークのせい。どうということのない場面でドキドキ感を増すべくローアングルでフォーカスし、急展開となるときはハイアングルの広角からフォーカスしていくパターンになっているから、カメラワークに誘導されてしまう。

よく出来ている映画って、一度観ただけでは分からないこと、気づかないことが多いですね。

 


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