2006年ドイツ映画
クリス・クラウス 監督
(迫真の演技、まさに燻した銀のような演技が圧巻だったモニカ・ブライプトロイが演じているのは、クリューガーという監獄でピアノを教える教師)
長年刑務所でピアノ教師を務めてきたクリューガー。老いたりとはいえ、戦争前はフルトヴェングラーの弟子だったという過去がやがて明らかにされる設定ながら、この存在感が只者ではないという印象を観客に与えずにはおかないところ、さすがというべきでしょうか。
それほど才能あるピアニストとして陽の当る道を歩むはずだった女性が、なぜ刑務所で受刑者にピアノレッスンをするピアノ教師になっているのか・・・、戦前&戦争中に何があったのかと観客に考えさせる奥行きのある芸術家魂全開の老ピアノ教師トラウデ・クリューガーの役を見事に演じているのはモニカ・ブライプトロイ (Monica Bleibtreu)という、いまやドイツが世界に誇る女優です。
彼女のプロフィールを見て驚いたのは、5年間ハンブルグ大学で演劇と音楽を教える演劇科で教鞭を取っていることでした。まさに凛とした忍耐強い教師役ははまり役でしたね。
そんな教師役の彼女が受刑者の一人、しかも殺人罪で服役している少女のピアノの才能に出会い、彼女をピアノコンクールで優勝させることが自分の使命だと思う。
ほとんど台詞がないにも関わらず口にする台詞の多くが実にきっぱりとした断定。所長をはじめ関係者の保身や思惑などに動じない強さは、いったいどこからくるのかと観ている側は驚かされるほどです。猫背気味に前かがみとなって立ち歩く小さな体に鋭い眼光、凛とした寡黙なピアノ教師の老女がピアノの天才少女と運命的な出会いをしピアノコンクールで優勝を目指すのですが、目指すのではなく「優勝する」と断言する様子には、息を呑みます。
さりながら、そこは刑務所。しかもその天才少女は殺人罪で服役中。ファイルに記載された記録は消せない。そんな使命感を抱いた老ピアノ教師から、レッスンを受けることになるジェニーですが、感情の抑制が出来ずすぐにかっとなり暴力を振る自暴自棄の問題児と成り果てている。彼女の全身から立ち上ってくる抵抗するハート、方法はむちゃくちゃながらプロテストするスプリット、誰をも信じず誰にも心を開かず荒れ狂う孤独なハート・・・・
(ピアノを弾けば天才的な才能を垣間見せるのに、心を通わせることができない少女の心の闇・・・そんなジェニー・フォン・レーベンを演じているのはハンナー・ヘルツシュプルング)
けれど、クリューガーは動じない。音楽にしか興味がないと語る頑迷な老ピアノ教師の凄み・・・ジェニーにピアノコンクールで優勝させること、それこそが自分の使命だと語るクリューガー。
やがて、少しづつ独房でピアノのレッスンに集中するようになるジェニーですが・・・・、
音楽を愛し音楽に救われ音楽に生きてきたであろう自らの人生、でも、通常考えられるピアノストの人生ではない・・・そんな人生を生きてきたかのようなクリューガーと、服役するまでは天才の名を欲しいままにしてきたピアノストだったジェニーの心は、それぞれ別のところを見ているかのようです。
流れるシューベルトの曲が、効果的なシーンです。
ピアノコンクールで数々の入賞暦を誇った少女が一体何故、服役するようなことになったのか。ブランクを乗り越えピアノを弾けば天才的な才能を垣間見せる少女と心を通わせることができないクリューガー
そんな少女の心の闇・・・ジェニー・フォン・レーベンという少女を凄みのある演技で垣間見せてくれていたのがハンナー・ヘルツシュプルング (Hannah Herzsprung)という新人ですが、
(いい女優になりそうなハンナー・ヘルツシュプルング)
意志の強そうな少女のこの眼光は、何に抵抗し何を見つめているのか。予選をクリアした後も、刑務所の中ではさまざまな抑圧が彼女の内なる抵抗に追い討ちをかけます。実に緊張感のある場面の連続となりますが、人間の弱さと危うさ、いつでも間違いを犯すわたしたち人間というもの、見方を変えれば人生は綱渡りのような側面に満ちているのだと考えさせられます。
ここで、本作に厚みを持たせてくれている俳優をご紹介します。刑務所の厳格な監視員の一人コワルフスキーという男をリッキー・ミューラー(Richy Müller)が演じています。
(素敵ですね~もっと多くの映画で見たいリッキー・ミューラー)
個人的に、リッキー・ミューラーというと、映画『CLUBファンダンゴ』(「FANDANGO」)での、あのクラブオーナー役が印象的ですが、本作でもちょっと似たようなキャラだと感じたのは私だけでしょうか。
彼の出演する映画はもっともっと見たいですね。
ところで、この『ファンタンゴ』をご覧になった方、偽の盲目のDJをやっていた青年を覚えていらっしゃるでしょうか。この青年、本作の主演女優モニカ・ブライプトロイのご子息です。
(将来が楽しみなモーリッツ・ブライプトロイ)
『ラン!ローラ!ラン!』(「Lola rennt 」)では、共演のフランカ・ポテンテばかりが注目されましたけれど、『ファンダンゴ』と『ミュンヘン』(「Munich」)以降、活躍が期待されているドイツの若手俳優です。以上の3作は見ましたが、見たいと思いながら未見の『素粒子』(「Elementarteilchen」)は期待できそうです。ドイツの若手俳優として、モーリッツ・ブライプトロイという名は記憶しておいきたいですね。
もう一人、本作で取り上げたい役者として、監獄の監視員ミュッツァを演じている俳優も取り上げておきたいと思います。スヴェン・ピッピッヒ (Sven Pippig)という俳優が演じています。
(難しい役どころを好演していたスヴェン・ピッピッヒ )
尊敬するピアノ教師クリューガーに自分の娘にレッスンを施してもらいたいのに相手にされない悲しみと悔しさ・・・・。
その思いがジェニーの才能への嫉妬となり、監獄内での権力を行使できる立場を悪用し、ジェニーを抑圧していく役どころですが、
音楽を愛する心が他の心を凌駕する・・・
音楽の持つ偉大さでもあり、人間がもてる高貴さでもあるかと思われたラストのミュッツァの、この眼差し・・・・
彼が演じた監視員(刑務官)は、人間の卑小さと高貴さを感じさせてくれる役柄で、とてもいい味を出していたと思います。このシーンなど、胸に染み入りましたもの。いろいろな作品で見かける俳優だなァと思いましたが、どの映画だったか・・・・ハノーヴァー出身の舞台俳優なんですね。実に存在感のある演技でした。
そして、最後の一人は、こちら。
(ジェニーの無実を告白する父親役のヤスタミン・タバタバイとモニカ・ブライプトロイ)
ジェニーの父親役のヤスタミン・タバタバイ。主演の二人の女優に隠れてはいますが、彼こそがこの映画をドイツ映画たらしめているキーパーソンですね。娘を愛し娘のピアノの才能に凄まじく期待してきた男。なのに、やってはいけないことをやってしまった悪魔のような男でもある。そのために娘の無実を知りながらも、それを公にできない父親とは何だろう。
進むも地獄退くも地獄という状況を招いた父親である一人の男の苦悩と恥辱には身がすくむけれども、刑務所から抜け出してコンクール会場にたどり着いたジェニーの参加資格を調べる相手に、彼女が自分の娘であることを家族と共に写した家族写真で証明するシーン、
こちらが、その直後の父と娘の緊迫感あるやり取りのシーン。
「ジェニー、優勝してくれ」
「パパ、死んでよ」
この会話こそ、先の戦争でナチスを生んだドイツ現代史の陰の部分を象徴するように思われました。そんなおどろおどろした過去やトラウマをそれぞれがそれぞれに持つ登場人者たちながら、本作で流れるピアノ曲はまぎれもなく同じドイツが誇るベートーヴェンやシューベルトやシューマンらの魂に触れるピアノ曲。
こうした音楽を盛り込みながら、本作をただの哀愁感で終わらせなかったところがドイツ映画たる由縁でしょうか。拍手ですね。
ラスト、シューマンのピアノ協奏曲を弾く予定だったジェニーの魂が、警官たちに包囲された会場の舞台の上で炸裂する4分間!
その4分間の彼女の演奏パフォーマンスは、ジェニーとクリューガーという老若二人の、ピアノに天性の才を持った女性たちの、まさに抱えんとして抱えきれずに背負ってきた罪の重さと愛の重さという相克、それゆえの傷を負った人生からの跳躍となります。
運命を受け入れて負けない・・・・まさにドイツが誇る、ドイツ的な映画の名作の一本となった由縁ですね。
ちなみに、緊張が続く本作において、このラストのシーン、モニカ・ブライプトロイ演じるクリューガー先生が、背中を丸めてワインをがぶ飲みするシーン、
なかなか良かったです。好きですね、こういうシーン。
全編緊張感のある映像で撮影を担当したのは、ジュティス・カウフマンというカメラマンですが、素晴らしい才能だと思いました。是非記憶に留めたい名前です。
新年最初のおススメの映画です。
★ご参考までに。
http://www.vierminuten.de/
この映画、紺野さんもご覧になられていると知り嬉しくなりました。学業の合間にこうした優れた映画をご覧になっていらっしゃるんですもの、ご研究の方がいかに大変になられても心配なし!でございますね。
映画の中にいくつかピアノレッスンのシーンが出てきますが、モニカ・ブライプトロイ扮するクリューガーが弾いて見せたときのピアノの音、素敵でしたね。誰だろうと思ったほど。パンフレットを買えばよかった!
とまあ、一人であれこれ思ってはドタバタしているわたくしですが、
>僕も月光院さんに負けず劣らず、存分に楽しみたいと思っています。
紺野さんには一足早くに”春”が訪れたかのようなコメントに、思わずにっこりとなってしまった次第です。人生を愉しむことを忘れてはだめですもんね。
年末年始の御挨拶にも伺わずに、失礼いたしました。
ご挨拶にも伺わずに学業に打ち込んだおかげで、やらなければいけないことが良い具合に進んでおります(笑)。
月光院さんが御紹介された本作品、僕も昨年観る機会がありました。
月光院さんがひとりひとりの登場人物について書かれていたとおり、それぞれがそれぞれの味わいと匂いを持っていて、ストーリーが決して明るいとはいえないながらも、観終えたあと、とても穏やかな気持ちになりました。
「atoneoment」でのヴァネッサ・レッドグレイブも、過酷な過去を背負いながら真摯に現在と自分とに向き合う女性を素晴らしく演じていましたが、本作品のブロイトブロイも渋みのある演技であるように感じました。
聴きなれたクラシック音楽も、このように映画の中で聴くとまた少し違った印象を与えてくれたりして、映画に更なる魅力を付加してくれていたように思います。
シューベルトの即興曲(D935変イ長調)は映画「列車に乗った男」でも使われていましたが、どちらの映画のシーンにも上手に合っていましたね。
まだまだ寒さの続く仙台ですが、月光院さんも御体調にお気をつけて、映画や音楽を、そして人生を楽しまれてください!
僕も月光院さんに負けず劣らず、存分に楽しみたいと思っています。