月光院璋子の映画日記

気ままな映画備忘録日記です。

「誘拐犯」

2008年05月03日 | ◆ヤ行

久しぶりに観た。この映画を観るのは何度目だろうと思うほど、数回は観ているけれど、何度観ても面白い。
脚本がいいからだろう。

ベニチオ・デル・トロとライアン・フィリップという個性がまったく異質な二人の俳優が誘拐犯をやるのだが、ベニチオ・デル・トロという俳優には、なぜかいつもはらはらさせられる。予定調和的じゃない役者イメージだからだろう。


そして、誘拐されるのがマフィアの一組織を差配するチダックという男の子供を身ごもった代理母。その代理母をジュリエット・ルイスが演じているのだから、面白くないはずがない。


そのマフィアのボスをスコット・ウィルソン、その運び人役をジェームズ・カーンという渋どころが演じていて、まさにはまり役。さらに加えて、ボスの護衛役の若手二人をテイ・ティッグスという実にスリリングな黒人俳優とニッキー・カートという、これまた個性がまったく違う俳優のコンビが配されていて、映画の人物配置がなかなか凝っている。


危険排除という言葉がボスの部屋で交わされるシーンがあり、これが非情に意味深長だ。



それぞれが計画通り、予定通り、思惑通りに動こうとしているにも関わらず、どの人物にとっても状況が≪思いがけない方向≫に展開し、緊迫感のある銃撃戦さながらに出産で血を流す代理母ロビンとそのお腹の中にいる子供をめぐって、予定していない多くの死者が生み出されていく・・・・
その予測不可能さ、その理不尽さ、その意外性は、イッチャッテル犯人の一人をベニチオ・デル・トロが好演した「ユージャル・サスペクト」と同じだが、盲目的な愛の背景に隠れる裏切り、信じて疑わない迂闊さというものへの皮肉、欲望への執着を一気に絶つような良心と善のこころの表出、自信と冷徹さの足を掬う偶然というものの衝撃性という点では、「誘拐犯」の方が勝っている。
まるで、人生そのもののようではないか・・・・・

ラストの銃撃戦は、まさにそうした人生の諸相のような様子を呈し、何度観ても圧倒されてしまう・・・ジェームズ・カーンがラストで二人を撃つその体の部位が、両足の膝と向う脛というところ、これには何度観ても唸らされてしまう。

監督は、この優れた脚本を書いたクリストファー・マックァリー。犯罪モノ以外の脚本での映画を観てみたい。
実に怖い作家だ。



ところで、ジュリエット・ルイスを見ていると、
毎回思うのだけれど・・・・・
彼女って、トム・ハンクスの妹じゃないかと思うほど、
二人はとても良く似ていると思うのだけれど、
そう感じるのは私だけかしら。

 


 

 


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