家を出て通りで会ったならば、
こうして丁寧にご挨拶するのが当たり前だった時代。
東京は山の手の昭和50年代初頭の風景。
一方の下町では、戦後十数年、
さながら樋口一葉の作品に描かれているような住まいと路地が再建され、
その路地を包丁や刃物の研ぎ屋や竿だけ売りや金魚売が行き来し、
夕方になれば、夕涼みや子供たちの遊び場となる路地。
その路地に軒を並べる家々も、
ガラガラと格子戸を開ければ、玄関先で、
親戚や知り合いやご近所さんにお茶やお酒を振舞う生活。
戸には鍵などかかってはおらず、誰でもこんちわ~と出入りするのが、
この映画の主人公の実家です。
そんな実家に集まる主人公の姉兄と姉の夫たち。
蕎麦を食べながら、商売の話と金策の話とだれそれの悪口ばかり。
戦中戦後に子供時代を過ごした世代の多くは、
大なり小なり、親は食べさせて育てるので精一杯だったことでしょう。
お年頃の三女は、異父兄と姉とその夫たちが嫌で嫌で仕方が無い。
親戚が集まっても二階に上がって下りてこようとしません。
けれど、姉は縁談を持ってきて酌をさせようと呼びにくる。
三女は母に不平をぶつけます。「あの人たちは、嫌いよ」
母は、「仕方が無いじゃないか、親戚なんだもの」と。
4度結婚して父親の違う子供を4人産んだ母親。
そんな母に、「いったい何が良くて、4回も結婚なんかしたの」
と問い詰める三女。そんな娘に、母はルビーの指輪を出してきて、
「お前のお父さんからもらったんだよ。
お父さんからもらったたった一つの物。
この指輪をお前にあげよう」と指輪を渡しますが、
「どうせ、ガラス玉に決まっているわ」と取り合わない三女。
「お前のお父さんは、そんな人じゃないよ。嘘なんかつくような人じゃない」
そんな母親の話に、ため息を漏らす三女を高峰秀子が演じていました。
長女は、取らぬ狸の皮算用ばかりの駄目夫に不平不満が絶えず、
妹の夫が急死したというのに、その妹に下りる保険金を当てにする一方で、
商売が繁盛しているやり手の野卑な男を末の妹の縁談相手として押してきます。
が、いつの間にか、その羽振りの良い男に媚を売る始末。
亭主に三行半を渡して見切りをつけ、お金のある男じゃなければ、と
転がり込んで押しかけ女房。相当タフです。
次女の結婚生活も三女にはとても幸せには見えません。
おっとりした次女は、妹に「なぜ結婚なんかしたの」と聞かれ、
「べつに好きなわけでもなかったけれど、
他に当てもなかったから、しようがないじゃないの」
と実に淡々としています。
結婚して幸せかと妹に聞かれて、
そんなことは考えたこともないと言う。
夫が死んでから現れた子連れの女性(愛人)にも嫉妬することもない。
ただただ、遺骨を前に泣くばかり。そして、
妙に亡夫の「妻」の≪務め≫に執着します。
夫が死んでから現れた子連れの愛人から、
下りた保険金の半分を貰いたい、
生活費と子供の養育費を支払ってくれと言われても、
おろおろするばかり。
傍で聞いている三女は、
「あなたに何の権利があって、そんな要求を姉にするのです」
「妻がいるとわかっていて義兄とお付き合いしたのは、
あなたの自由意志ではないんですか」と苛立ちますが、
それを次女は制します。
話し合いをするのに妹に付き添ってもらいながら、
「夫のやったことですから、妻の務めとして、
あなたとお子には出来るだけのことはします」と言って、
夫の借金を支払えばいくばくも残らない保険金ながら、
まとまったお金を渡してしまう古風な女。
しくしくとよく泣く女性ながら、気は弱そうなのに、
遺族として受け取った保険金の残りを
喫茶店の開業資金に全額つぎ込みます。
それこそ、誰にも相談しないであっという間に決めてしまうほど、
「何もしないでは生きてなんかいけないもの」と、
下心で援助を申し出る男
(いまや夫の下を飛び出した姉がいっしょに暮らしている相手)の援助で、
新しい事業を始めるのはこの次女。
異父の子供を4人も産んで皆一人で育ててきた母親と、
そんな姉たちの様子を見て、
「結婚なんかしたくない」と結婚拒否症になる主人公が三女です。
実家の二階に下宿しながら、
終日机に向かい家庭教師の仕事で食べている自立した女性。
三女はこの女性と話がしてみたい。
蓄音機でクラシック音楽のレコードを聴いている彼女の世界に触れながら、
そのレコードがその女性の母親が
生活費を切り詰めても買い続けたレコードだと聴いて、
せつなくなる主人公。
この三女は、大の読書好き。
遊覧バスのバスガイドの仕事をしています。
(昔、「東京バスガイド」という歌謡曲があったように思うのですが、
昭和20年代後半から30年代の花形職業だったのでは?)
自分の居場所を求めて、苦悩する三女。
金儲けと商売と、男と女の色欲で生々しくどろどろした実家の人間たちの世界から
逃れるべく、家出を決行し東京の山の手世田谷に下します。
そこで、お金が貯まったら書棚を買い、
その書棚を好きな本でいっぱいにするのだと、
そうしていつかは夜学にも通うんだと夢を膨らませながら、
自分の道を探そうとするのですが、
下宿先の隣家には仲の良い兄妹が住んでいて、
妹はピアニスト志望、兄は一流会社に勤務しながら、
妹の夢をかなえてやるために家庭教師のアルバイトをし、
指を怪我したら大変だからと洗濯炊事も自分がやるような男。
三女にとって、そんな男性は生まれて初めて。
まぶしくて仕方がない。声をかけられるとうつむいてしまう。
ここで、根上淳演じるその男性と、
もしかしたらと見ている側は期待するけれど、
二人の関係はご近所さんどまりで発展する兆しもないまま。
三女にとってこの隣家の兄妹存在は、眩しすぎる。
憧れと慰めと将来への希望の世界への扉のようなものでしょうか。
その下宿先に、ぼろぼろの着物を着た母が訪ねてきます。
長女が捨てた夫を実家に住まわせ世話をしていたのですが、
博打の形に皆持っていかれ、
その男の妻であるまま他の男と同居している長女と、
その男の世話になり始めた次女の間で揉め事が起きて、
次女が出奔して行方知れずだと。
三女は、そんな話はもう聞きたくありません。
最初は「お姉さんもそのうち帰ってくるわよ」
と適当に相槌を打ちますが、
さめざめと泣く母、惨めな母に、怒りが爆発。
一度だって幸せを感じたことなんか無かった!と。
どうして、たった一人の人との結婚で終わらせてくれなかったの!と。
どうして、父親の違う子供を4人も産んだのよ!と。
それで、何かいいことあったの!?何もないじゃない!と。
母は、あんまりだと言ってさめざめを泣きます。
どんなに苦労してお前たちを育てたことか。皆かわいいわたしの子だよ、と。
やがて、時は経ち、
三女は、貯金してきたお金を出し母に着物を買ってやろうと思い、
母は、泊まっていけという娘に笑顔を見せ下宿を去りますが、
駅への道すがら、三女は言います。
「あのルビーの指輪ね、調べてもらったら、本物だったわ」
母、「そうだろう、そうだろう、
あなたのお父さんは、嘘をつかない人だった」
そうして映画は終わります。
成瀬巳喜男監督の1952制作の『稲妻』という映画でした。
わたくしは、林芙美子の良い読者ではないので、
この「稲妻」というタイトルをどう理解したらいいのかしらと
最後まで考えさせられつつ見終えました。
敗戦から十数年と思われる東京が、随所に出てきます。
いまだ貧しいながら、復興のプロセスでお金こそが力となっていく中でのし上がっていく男と敗れていく男、戦地から戻って世の中の変化についていけない男。
戦後の日本の殿方のそうした光と影を感じさせられる一方で、
三人の娘とその周りの新旧の女性たちの生き様、
心の在りよう、価値観などが織り成す世界は、考えれば、
かなり深刻なものを皆背負っていながら、三人の娘たちは、
戦前戦中戦後を生きぬいた母親の紛れもないその血を受け継いだ生き様と
性格と資質に違いないものを三者三様に受け継いでおり、
それが昭和のある時代の風景と共に
一本の芯となって映画の底流を支えていたように感じられ、
それが不思議な安定感を作品に与え、
何ともいえない清涼感が残る作品となっているように思われました。
出演者の俳優女優に関しては記載しませんでしたけれど、
ここでご紹介した写真の中の女優さん、
どなたか分かります?