月光院璋子の映画日記

気ままな映画備忘録日記です。

★12月中旬の映画鑑賞メモ

2008年12月16日 | ■2008年 12月の映画鑑賞

●「地球が静止する日」(キァヌ・リーブス主演のリメイク版)

(冒頭、期待感を抱かされた分、怒りたくなりました)  

つまらなかったァ・・・・
鉄人28号ロボットがバットマンロボットになっている!
51年度版の方が面白い。

 

●「バーン アフター リーディング」(「Burn After Reading 」)

ブラッド・ピッドの猫にゃんにゃん姿は必見かも。
そのにゃんにゃん姿とおバカな無垢さが可愛かった♪

 

●「007慰めの報酬」

予想以上の出来だったので、ブログに即アップ。

●「王将」

古い日本映画。戦前の坂田三吉像ってこんなだったのかと感慨深かったです。

 

●「パリ、テキサス」

なつかしかったです。が、
やはり退屈虫が出てしまったような・・・・
昔観たときは、ナスターシャ・キンスキーの表情に目がいったものですが、今回は、徹頭徹尾ハリー・ディーン・スタントンの方に目がいきましたね。

 

●「リヴァイアサン」

ううっ・・・・

●「ヴェロニカ・グリン」

泣けました。 ブログに別立てでアップしますね。

 

●「自虐の詩」

涙腺が思わずゆるんでしまった。
ラストのモノローグが不要かな。

●「ネヴァー・ダイ・アローン」

あっという間で、結構じっくり見てしまった。

●「アンブレイカブル」

なかなか面白いので、ブログにアップ。

 

●「消えた天使 The Flock」

うー、思わずブログにアップしています。

 

20日までに観た映画をさらに追加していきます。


「007 慰めの報酬」(原題「Quantum of Solace」)

2008年12月14日 | ◆ナ行

冒頭のいきなりのカーチェイス、それも絶体絶命的なカーチェイスには、思わず肩に力が入ってしまいました。まるで、いきなりジェットコースターに乗せられた感じで観客は007の世界に突入です。

ダニエル・クレイブ(Daniel  Craig)がジェームズ・ボンドに起用されてから、007シリーズは、他の大型エンターテイメントのアクション映画と同じテイストとなりました。
あの『MI』シリーズと同じ次元の映画になったなあと。

以前の007は事前に約束事(セットといいストーリーと言い、その馬鹿馬鹿しさを楽しむというお約束事)があり、それを踏まえないと、とても観られたものじゃない漫画映画で、そこが面白かったわけですけれど、ダニエル・クレイブの007は、そうした前提なしのアクション映画になった分、緊張感のあるアクション映画が好きな私としてはなかなかいいぞと。

製作者関係者はどうやってダニエル・クレイグを口説き、
また映画に対してうるさいダニエルはどんな条件を出して、
漫画的映画007を映画的映画007にしたのだろうと、
前回では想像する楽しみもありましたが、
いよいよ映画的映画の007が似合ってきたダニエル・クレイグ。
本作はその期待を裏切らずさらにパワーアップ。
それほど、面白かったです。


監督は、前作のマーティン・キャンベルに代わって、マーク・フォスター。ドイツ人の監督ですが、アクション映画では名前を聞かないですよね。この監督は、ヒース・レジャーファンとしては銃で自殺するシーンが印象的だったあの映画、ハル・ベリーの体当たり演技で主演女優賞をとったあの『モンスターズ ボール(Monster's Ball)』(邦題「チョコレート」)の監督であり、また、ジョニー・デップ主演で撮った『ネヴァーランド』(原題「Finding Neverland」)の監督です。
人種差別を通して人間の心の頑迷さや弱さを、親子の絆や葛藤などを通して人間の孤独や弱さを、とても繊細に描けるヒューマン派&社会派の監督といったイメージの監督ですが・・・・、
どういう事情で007を撮ることになったのでしょう。

ネットでちょっと調べてみたら、ダニエル・クレイグが交際していたお相手がドイツ人の女優ハイケ・マカチュ(Heike Makatsch)なので、そのときにご縁ができたのかもしれないなあと。
ダニエル・クレイグとは同世代なので意気投合したのかもしれないなあとも。無論、委細は分かりません。(苦笑)

ちなみに、こちらがハイケ・マカチュ。
  ↓
 
(007とは関係ありませんが、ご参考までに)

製作者と脚本担当者、そして音楽監督には、
前作『カジノ・ロワイヤル』と同じ名前が上がっていましたので、
いい意味でチームワークが良かったのだろうなアと思える出来。
ホント、なかなか”見せてくれる”映画でしたよ。

さて、気になるボンドガール、
何となく前作のエヴァ・グリーン(Eva Green)とタイプが同系の、

オルガ・キュルリレンコ(Olga Kurylenko)。

映画
『ヒットマン(HITMAN)』でニューヒーローとしての魅力を放ったティモシー・オリファントとともに新鮮な魅力を放った女優ですが、名無しのエージェント47の同行者となった売春婦役でした。アイラインが溶けて目の周りが真っ黒だったのが印象的。
東欧の名前は耳慣れないせいか、本名のウクライナ語名も分かりづらい。オーリハ・コスチャントィーニウナ・クルィレーンコ。オリガ・クリレンコという紹介もあり、こんな風に名前が統一されないのって、国際的に活躍する上でマイナスにならないのでしょうか。

ホント、エヴァ・グリーンと感じが似てました。お色気のボンド・ガールとは一味も二味も違う存在で、本作に深みを持たせる役柄。
ちなみに、前作でジェームズ・ボンドが愛した女性役を演じたエヴァ・グリーンは、こちら。

 
(前作のボンドガールのエヴァ・グリーンです。ボンドが愛し失った女性役)

彼女、映画『ルパン』にも出演していたのを思い出しました。あのルパン役の男優はイマイチでしたけれど、やはりエヴァはヨーロッパの香りのする女優ですね。

本作は彼女の死を激しく引きずるボンドの内面とリンクするハードボイルドです。
そんなボンドの胸のうちを理解するM、
ボスである彼女との信頼関係の醸成もまた実にスリリングでした。それほそまでボンドのハートを射止めた女性役ですから、
ボンドガール的女優ではダメなわけで、
アメリカのハリウッド女優と雰囲気が違う女優の起用は正解でしたね。彼女がフランスの女優だったように、
本作ではドイツの女優の起用。
新シリーズのボンドガールは
ヨーロピアンイメージでいくのかも。

007といえば、
無論敵役の俳優もご紹介しないといけないですよね。
今回は、こちらのマチュー・アマルリック(Mathieu Amalric)。

この画像では007の敵役をイメージするのは難しいですが、この笑顔の彼が映画ではどんな悪役として存在感を見せているか、乞うご期待です。

ちなみに、
前作の007の敵役を覚えていらっしゃるでしょうか。

そう、このル・シッフルという男。存在感がありました!
まだ若いジェームズ・ボンド一人ではとても攻略できそうになかったですもんね。英米仏諜報部提携の情報工作員総出でヤット倒せるかもしれないという、怖さがありました。しかもボンドは手痛い犠牲をも払うことになってしまった・・・・

ダニエル・クレイグのニュー007では、敵役としてそれほど存在感のある、しかもル・シッフル役にマッツ・ミケルセンという新鮮な俳優が起用されたということが、勝因の一つのように思います。

このマッツ・ミケルセン(Mads Mikkelsen)は
デンマークの俳優です。

ダニエル・クレイグの007第二弾となった本作『慰めの報酬』も、そこは同様でとっても楽しめました!



イギリス諜報部の顔Mは、本作でも彼女。イギリスが誇る名女優、ジュディ・デンチ(Judi Dench)。この役、はまり役ですね。
74歳、まだまだ頑張ってもらえそうです。
他の出演者もご紹介したいのですが、それは公開後に画像付きでご紹介したいと思います。

一般上映は来春。もうじきです。
楽しみにお待ちください。

★ご参考までに。http://www.sonypictures.jp/movies/quantumofsolace/

 

 


「消えた天使」(原題「The Flock」)

2008年12月12日 | ◆カ行&ガ行

2007年 
監督アンドリュー・ラウ

 

これを観るのは三度目です。先行上映で一度、二度目は英語版。今回が字幕付きで三度目。

見れば見るほどやりきれなさ以上に怖さを感じるのは、こうした映画が製作される背景に、映画以上におぞましい現実があるせいかもしれません。

原題の「The Flock」というのは、性犯罪者として登録されている人たちの事を指す言葉だと知ったとき、思わず唸らされたものです。
flockというと、通常は「群れ」といった訳語に出会います。羊の群れ、渡り鳥などの群れ、そこから群集なども意味しますが、牧師さんに対置させてキリスト教信者の団体を指したり。
それが、なぜ「性犯罪者のリスト」になるのかと。

言葉はいろいろなイメージを喚起するので、隠語や俗語もそのイメージから発展したものが多いけれど、さすがにこのflockには唸らされました。

本作の監督は、さすがに映像にはこだわりがある監督だと映像を眺めながら思いましたが、風景一つとっても、繰り返されるそれらの風景も実に重苦しくてやりきれなかったですね。

リチャード・ギア扮する性犯罪保護監察官の心象風景であり、こうした犯罪のやるせなさを象徴する風景でもあるからですが、たまらない映像でした。ラブロマンスの中で映し出されるなら、また違った意味合いを持たされ、場合によっては「美しい」とさえ感じるかもしれない風景かもしれない。けれど、本作の文脈の中で切り取られた風景というのは、登場人物の心を映し観客の心を映すものとなったとき、実に怖いものでもあるということを痛感させられます。

さて、本作では、
冒頭のリチャード・ギアの心象、その闇と光が病的なまでの切迫感でドラマに併走します。そんな彼を現実に引き戻し、映画の中でも「現実」という次元を担保しているのが、彼の部下でもあるこちらの女性捜査員。

彼女の存在は観客の目線を安定させる唯一の存在。
彼女なくしては、わたしたちはリチャード・ギアの心の闇、葛藤、その苦しさに飲み込まれていってしまう・・・・
クレア・キャサリン・デーンズ(Claire Catherine Danes)という女優ですが、ビレ・アウグスト監督の地味な映画『レ・ミゼラブル』(「Les Misérables」)が彼女を最初に見た映画で、印象に残っているのは、『めぐりあう時間たち』(「The Hours」)です。

本作に出演している俳優たちの多くは若いのですが、彼らの熱演と脇を固めている俳優たちが皆、目立たないけれど硬派なイメージの俳優や女優だったので、リチャード・ギアが浮かないで済んでいるかもしれません。それほど、リチャード・ギアは難しい役柄だったのではないかと。



マット・シュルツ(Matt Schulze)は、
やはり血が似合いますね・・・・・



ラッセル・サムズ(Russell Sams )は、
こういう映画にぴったりの俳優で・・・・

特筆したいのは、こちら。
ケイディ・ストリックランド(KaDee Strickland)。
凄みがありました・・・・・

映画としてはキャスティングが良かったと言えますが、
本作が、暗くて重いアメリカの現実を現した問題作であるという、その内容を問題にすべき映画だと第一義的には思います。

性犯罪の現実と、その背景と対策を、
対岸の火事と思っているフシがある日本・・・・・
アメリカの実態は驚くべきものですが、
加害者の人権が偏重され、子供や未成年者に対する暴力的性犯罪を犯した者に対してプライバシー保護が優先されているような日本でも、こうした性犯罪は増えているわけです。
犠牲者のことを思うと、
鉛を呑み込んだような思いになります。

性犯罪者は「集団強姦」「単独強姦」「わいせつ」「小児強姦」「小児わいせつ」の5つの類型に分類され、同一罪状と他の罪状についての再犯率の調査の結果、同一罪状の再犯では、強姦・わいせつ共に、成人対象の性犯罪より小児対象の性犯罪の再犯率が高いことが分かっているそうです。
「集団強姦」は再犯率が低く、他の罪状の再犯率については、「わいせつ」の再犯率がもっとも高くその他類型の再犯率はほぼ同程度とのこと。(保護観察者等等に対する平成15年までの追跡調査)

子供を持つ一人の親として、
こうした犯罪がなくなることを祈念してやみません。

監督のアンドリュー・ラウが切り取ったアメリカ・・・・
本作は、そうした映画でありながら、同時に、人間がいかに壊れやすいものであるかということをわたしたちに投げかけているように思われました。他人事ではないということです。映画で描かれたような暴力的性犯罪を憎むのなら、家庭をしっかり守ることですね。

夫婦相和し、子供たちが安心して暮らせる家庭にする。数分に一組が離婚する時代ですが、そんな脆弱な家庭から暴力をなくすには、もう少し隣人に対しての配慮が求められるのでは・・・・
暴力といかに向き合うかという自衛の精神を育んでいくことも、
いまや親の努めだろうと思います。

 

 


「アンブレイカブル」(「Unbreakbale」)

2008年12月11日 | ◆ア行

●「アンブレイカブル」(「Unbreakbale」)

2000年
監督 M・ナイト・シャマラン(M. Night Shyamalan)

『シックス センス』(「The Sixth Sense」)『サイン』(「Signs」)『ハプニング』(「The Happenning」)と、正直どれも肩透かしを食らった感じのつまらなさを感じたこの監督の映画の中で、本作はサミュエル・L・ジャクソン(Samuel・ L ・Jackson)が良かったという記憶があった作品。


(列車の乗客の一人というチョイ役。期待させる出方でしたが、他の登場人物同様にほとんど意味を持たされていません。レズリー・ステファンソン。Leslie Stefanson)


(冒頭のこの列車内でのシーン、座席の隙間から人物を映すというアングルが続く、心憎いのですけれど・・・・・撮影を担当したエドゥアルド・セラのセンスでしょうか)

この監督作品の中でブルース・ウィリス(Bruce Willis) 主演でストーリー展開が良かったのは『シックス・センス』かなと。本作もラストのどんでん返しというストーリー展開は『シックス・センス』同じで、既視感さえ抱いたほどで、カメラワークはどきりとするほど面白いシーンがあったのに、内容的には正直イマイチなのが残念です。


(ブルース・ウィリスが演じるのは、ダンと言う男ですが、以下、ブルース名でご紹介します)

大惨事となった列車の脱線事故で唯一の生存者で、しかも無傷の主人公。これってホントにホラー映画なのかと思うのは、こうした役にタフガイのイメージのブルース・ウィリスを起用していることで、ちょっと笑えるシーンが本作ではてんこ盛りです。

唯一の生存者であるということ、しかも無傷であるということは、何らかの精神的な外傷を生むものなのか。家庭内別居の妻との暮らしで問題を抱えている中年男性ながら、奇跡ともいえる事が自分の身に起こったことに彼は釈然としないものを感じて悩み始めます。なぜなら、彼には病気になった記憶がないからです。

そんなとき、彼の心を読んでいるかのような手紙がきて、
ブルース・ウィリスは男に会いに行くのですが・・・・

その男がサミュエル・L・ジャクソン扮するイライジャ・プライスという男ですが、以下本部ログでは俳優名でご紹介していきます。



コミックを子供向けと思っている客を許さず、登場人物の原画を芸術だと語るサミュエル・ジャクソンの凄みは、現在よりもこの頃がなかなかです。


(彼のこの子供時代の映像にはぞくっとします。撮影のエドゥアルド・セラのセンスには感心。子供時代の母親役はシャーリー・ウッダード


(この漫画、後でまた出てきます)

骨の形成不全という難病の子供を持った母親が、家の中に引きこもってしまわないように外に出す工夫として与えた漫画。子供はやがてこの漫画の世界と現実の世界が実は繋がっているのだという哲学を持つ大人に成長していくわけですが、



漫画オタクを超えたコミック信仰者となったサミュエル・ジャクソンのこのヘアースタイルのアンバランスさ、考えさせられちゃいます。



コミックに描かれていることは誰かが体験した真実であり、コミックには人間の歴史が書かれていると語る。ブルース・ウィリスが朝、目覚めたときに感じる空しさや悲しさの感情は、本当に自分がすべきことをしていないからだと。自分が何者かを知らないのだと語る様子は、まるでカウンセラーのようですが、


(ここ、笑ってしまいました。やっぱりホラーサスペンスじゃないですよね、この映画)

正義のヒーローとなるべき人間は、乗客全員が死亡するような飛行機の墜落事故でも死なず、全員が死亡するようなホテルが全焼した火災でも生き残り、乗客全員が死亡した列車の脱線事故のような大惨事になった自己でも一人生き残るのだ。本人が無自覚なこともある。それがお前だと審判者のように語られても困りますよね。

けれど、彼の言葉はご宣託のようにブルース・ウィリス父子の心に入り込んでいきます。
強い父親に憧れる息子と自分の道が見えないでいる中年男の心にこうしたご宣託が入り込むのは分からないではないですが、そこが怖いといえば怖いけれど、それでホラーサスペンスになるなら世話はない。

体を鍛えなおそうかと思って始めた重量挙げが、
何とオリンピック選手も青ざめるような記録!

それでもまだ半信半疑・・・・心の空虚さを埋めるのは簡単ではないところ、まだ理性があるわけですが、戸惑い続けるブルース。

そんな優柔不断に思える父親の姿に業を煮やした息子は、


(「パパは不死身なんだ。だから銃で撃っても死なない」と叫ぶシーン)

ここで思わずオーム真理教の信者たちのことを思い出してしまいました。尊師は解脱したゆえに浮遊できると信じ、命じられるままに相手の今生の人生を終わらせてやることが功徳だと信じ多くの人たちを殺害した信者たち・・・・彼らとそっくり。

かつてフットボールのスター選手だったブルース・ウィリスは、若いときの交通事故を契機にフットボールを断念し恋人と結婚したという過去を持っていたのですが、彼には触れた人間が抱いているイメージを映像として読み取ってしまう能力があった。恋人が彼にフットボールを止めて欲しいと願っていることを読み取ってしまったせいで、その道を断念したのでしょう。
何だかホームドラマのノリですが・・・・再起不能という嘘でその後の人生を送ってきたブルースに、サミュエル・ジャクソンは、その能力を正義のヒーローとして使えと諭します。こうなると、ホームドラマとオカルトサスペンスの競合です。



ミスター・ガラスと称されるほど体が脆い男と大事故に遭っても無傷でいられる男・・・・

サミュエル・ジャクソンは、ブルース・ウィリスの能力を確かめるべく行動し全身ほぼ骨折状態となって病院に運ばれますが、体の痛みよりも確信できた喜びの方が大きい。あいつは、ヒーローとなるべき男だと。
そして、そこのリハビリで彼の妻ロビン・ライト・ペン(Robin Wright Penn )と遭遇。こうなると、たとえ偶然でも運命を感じるものなのでしょう。俺とあいつは繋がっているのだと確信するわけです。


(「あんたが、彼からフットボールを奪った女か」という台詞、いかにブルースにめり込み過ぎかを物語っています)


(意味不明の言葉に、???となりながら、なぜフットボールが嫌いかを語り始めまる妻)

ミスターガラスとタフガイは一本の線の両極なのだと言うサミュエル・ジャクソンの哲学に示唆されて、
とうとうブルース・ウィリスは、



タフガイに変貌します。弱点は水だという言葉、いかに子供の頃にプールでおぼれかけたからと言って、二人の共通の弱点だということにどんな意味があるのかイマイチ不明ですが、
その雨の日に悪を懲らしめ弱きを助けるヒーローになるべく出かけるブルース。

一般人でありながら、そんなことしちゃっていいのかなァ・・・・
という突っ込みはなしにして、
翌日の新聞では雨合羽姿のヒーローが。

ヒーローとなった父親に驚愕する息子。
スペンサー・トリート・クラーク(Spenser Treat Clark)という子役ですが、どこかで見た顔だと思ったら、スリラー向けの子役なのか、『隣人は静かに笑う』というスリラーにも出ていた子役です。

かくして、朝に悲しい気分を味わうこともなくなって、いまや「友人」として彼のパーティに出向くブルース。

ここでの母親の台詞が意味深です。
そして、
ラストのどんでん返し(と製作者側が意図している)・・・・


(このときのサミュエル・L・ジャクソンの表情は、必見ですね)

ということで、
これをサスペンスホラー映画とは、とても言えないわけです。
本作では力が抜けるほど全然良くないブルース・ウィリスに代わって、今回見てもサミュエル・L・ジャクソンが一人存在感を示していたように思えました。


52歳にもなった男(本作でサミュエル・L・ジャクソンは52歳)が、漫画のヒーローの存在をあんなふうに哲学したら、もう完全にイッチャッテルことになるけれど、そういう風に感じさせないでラストのどんでん返し(製作者側にとっては、どんでん返しのつもり・・・)まで引っ張っていく存在感は、サミュエル・L・ジャクソンくらいかも。

それにしても、ブルース・ウィリスとの俳優としての個性での相性がいいとはとても思えないのに、この二人、『パルプ・フィクション』(「Pulp Fiction 」)『ダイ・ハード3』(「Die Hard: With a Vengeance」)に引き続いての共演。そんなところに一人勝手に感心しながら観ちゃいましたが、精神疾患というのを落ちにしていいのだろうかとイマイチ、「そんなこと、途中で分かるだろうに」と、その手軽さにはやはり不満が残りました。


 


★12月前半の映画鑑賞・・・(1)

2008年12月08日 | ■2008年 12月の映画鑑賞

●「ゴーストシップ」(2002年 監督スティーヴ・ベック)


http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD34057/

昨夜、娘が、「これ、悲しい映画なんだよね。一緒に見よう」と言うので、見ることに。何だか・・・なァという印象は以前と同じでした。



●「禅 Zen」(2008年制作 監督高橋伴明)


http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD13457/index.html

先行上映会にて見てきました。
後日アップしたいと思います。

●「ケイブマン(洞窟男)」(原題「THE CAVEMAN'S VALENTINE」)
2000年 監督キャシー・レモン(Kassi Lemmons)

http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD1810/index.html  

NYの郊外の洞穴でホームレスとして暮らすサミュエル・L・ジャクソン(Samuel・L・Jackson)扮するロミュラスが、凍死体の青年が実は殺されたのだと考え犯人を暴き出そうと孤軍奮闘する。
そのときいつも妄想の中で出てきては彼を苦しめる魔王的存在のの敵とその事件の犯人が重なり合う。けれど、この映画の見どころは、そうしたミステリ-小説を原作としているからといってミステリアスな展開や彼の探偵ぶりにあると思って見ると、おいしいところを見逃してしまいますね。委細は別立てのブログをご覧になってください。

●「ミラーズ」(原題「Mirrors 」)
2008年 監督アレクサンドル・アジャ(Alexandre Aja)

http://movies.foxjapan.com/mirrors/

面白かったです。ブログにアップしたかったのですが、
まだ公開されていない、それもスリラー映画なので、
拙ブログでのご紹介は月末頃にアップしたいと思います。

 

●「実録ブルース・リー/ドラゴンと呼ばれた男」
(原題「BRUCE LEE THE CURSE OF THE DRAGON」)

1993年制作 
監督フレッド・ワイントローブ、トム・カブン

とても懐かしかったです・・・
父息子二代に渡っての、まさにこれからというときの急死など、
いかに映画界広といえどもないだろうと。死因については薬物による過敏反応によるショック死という剣士報告が出されているにも関わらず、いまなお暗殺説がなくならないブルース・リー。32歳、あまりにも惜しまれる死でした。


 

●「サラエボの花」
(2005年制作 監督ヤスミラ・ジュバニッチ)


http://www.saraebono-hana.com/

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争のこと、いまどれだけの日本人が覚えているでしょう。戦争や内乱、紛争というのは、いつの時代も女性たちにこうした傷を負わせるもの。けれど、戦争はなくならない・・・・本作は、けれど、戦争映画というよりは、人間が人間である限り抱く憎しみや悲しみ、絶望と希望、そう、愛について考えさせてくれる映画です。ミリャナ・カラノヴィッチのような中年の女優ならではの演技は素晴らしい。残念ながら、ロリコン社会の日本ではなかなか制作されないタイプの映画です。

 

●「誘拐犯」

実はこの映画、お気に入りなんです。
娘といっしょに見たくて知らないふりをしましたが、
見るのはこれで3度目。

200年 アメリカ映画 
監督クリストファー・マックァリー(Chrstopher McQuarrie )


http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD32503/

やっぱり、ジュリエット・ルイス(Juliette Lewis )はトム・ハンクス(Tom Hanks )に似ているぞと今回も見入ってしまいました。
他人の空似シリーズで取り上げた気がしますが、まだだったかしら。


●「アン・ハサウェイ 裸の天使」(原題「Havoc」)
2005年
監督 バーバラ・コップル

http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=327500

タイトルと内容が全然マッチしていないので驚かされます。アン・ハサウェイのイメージチェンジのための映画でしょうか。イマイチキャスティングの違和感を感じました。経済的に何の心配もない富裕な家庭の娘たちが、退屈な日常からの脱皮を求めてトンでもないことをしでかしてしまうという内容ですが、甘っちょろい感覚に育てられた女子高校生にはありがちな危険かもしれません。ワルの男の子たちが集まる場所に行きたがる女の子には要注意かも。
サイコロを振って出た目の数だけそこに居合わせた男たちとセックスをするという冒険が、やがて集団レイプ事件ということになっていく・・・という危うい青春モノといえばいいでしょうか。

●「映画女優」(1987年 市川箟監督)


http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD17779/

これを見るのは二度目。映画館で観たときの失望感を思い出す。
今回も、やはりこれはダメだな~と思いながら見ちゃいました。これでは、田中絹代も泣くのでは・・・・

●「コクーン」(「COCOON」)

1985年 監督ロン・ハワード (Ron Howard


http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD3243/

「コクーン」シリーズは生憎と見ていなかったので、今回が最初です。制作されてからもう随分になるので、出演者の大方はもう鬼籍かなと思われたほど・・・・本作はそれほどに往年の俳優&女優たちが総出演といった感じですが、高齢となってからも映画に出演していた方たちが多かったかなと。中には、「あ、この女優(俳優)、誰だったかしら。う~ん、名前が思い出せないっ!」というのもありましたけれど、改めて、皆さん、「ああ、もう随分お歳になったのね」と懐かしかったです。中には半世紀どころか、100年近くも映画に出ているのではないかと思われるヒューム・クロー二ン(Hume Cronyn )だとかジェシカ・タンディ(Jessica Tandy)などご高齢になっても素敵で思わず見入ってしまいました。ウディ・アレン(Woody Allen)も出ていて、ああ、彼もこうしたお歳になったのねと。地球に残るただ一人の老人役というのも頷けたり・・・・。

映画はかなり冗長ですけれど・・・・
不老と不死ってこれほどまでに、超高齢となってもなお、人間の永遠の関心事なのかと思わされますが、キリスト教圏でこういう永遠の命の取り扱いの映画が制作されること自体驚きです。

★追記
いま、ネットで検索したら、ウディ・アレンだとばかり思って見ていた俳優は、ジャック・ギルフォード(Jack Gilford)でした。(>。<)


 


「コクーン」に出演している往年の俳優&女優たち

2008年12月08日 | ◆カ行&ガ行

どうしてこの映画を見損ねていたかといえば、当時流行りだった単なるSF映画だとばかり思っていたからでしょうか。
内容的には、どうということのないSF映画の一つながら、他のSF映画と違うのは、主役が老人たちだということです。

以下のお三方、どうです!
何かやらかしそうな老齢ヤンチャ紳士ではありませんか。



なので、当然本作に出演している俳優&女優は、高齢となっても映画に出演できるほどお元気だった俳優&女優たち。それだけ長年活躍してこられた俳優&女優たちということで、見ていてとても懐かしさがありました。


(左からドン・アメチー、ヒューム・クローニン、ウィルフォード・ブリムリー)

そこで、ここのブログでは、ストーリーではなく、半世紀以上にわたって映画に出演してきた彼らのお顔をアップしてみたいと思います。まずは、ヒューム・クローニン(Hume Cronyn)。


(ヒューム・クローニン、このとき73歳。2003年91歳で死去)

さすがに往年のスターです。高齢となっても存在感が凄い。
このヒューム・クローニン、愛妻のジェシカ・ダンディが亡くなったあと、再婚。これも凄いなァと!実生活のことは分からないけれど、多分人生をとことん前向きに愉しんでいたのだなあと。
その感性、意識、決断に感服させられます。


(若かりし頃のヒューム・クローニン)

宇宙人の生命力が注ぎ込まれたプールで遊んだら、エネルギーが満ちてきて、三人組の老紳士は若かりし頃のように夜遊び三昧できるくらいに若返ってしまうのですが、ヒュームは何と浮気してしまい、以下は妻に詫びを入れるシーン。



何だか実にリアルです。というのも、その妻役が実生活でも妻であるジェシカ・タンディ(Jessica Tandy)だからでしょうか。老いてなお気品を失わないこの美しさ・・・・
何だかここのシーンだけ観ると、とてもSF映画とは思えません。映画『旅愁』の数十年後・・・という錯覚を持ってしまいます。


(ジェシカ・タンディ、このとき75歳)

ジェシカ・ダンディというと、私の中では1940年代、50年代の映画に出ていた美女でしたが、彼女は、この映画の10年後、1994年に亡くなるまで映画に出演していました。まさに往年の名女優、80歳を過ぎて『ミス デイジー(Miss Daisy)』でアカデミー賞主演女優賞でした。享年85歳。実に半世紀以上も映画に出演していたのですから、やっぱり只者ではありません・・・・

二つ目のカップルはこちら。老いらくの恋というけれど、ちょっと嫌な言葉です。恋に老いも若きも関係ないぞと。



ドン・アメチー(Don Ameche )は本作のとき、76歳でしたが、1993年に亡くなりました。享年85歳。
若い頃はこんなお顔。
  ↓


個人的には、晩年のお顔の方が好きですね。
実に、好々爺然とした晩年でした。

本作では、唯一夫婦役じゃない二人ですが、

 
(グエン・バードンとドン・アメチー)

このお二人の恋を素敵だなと思ったのは、ドン・アメチーの純愛もさることながら、やはり、グエン・バードン(Gwen Verdon)のこの笑顔のせいでしょう。

いくつになっても女性らしい華のある笑顔ですね。
ドン・アメチが恋を告白したくなるのも分かるなァ。
若い頃から、笑顔が素敵な女優です。
 ↓


(これって、お宝映像ですね)


(本当に、笑顔がいいですね~)

三組目はこちらのお二人。
   ↓

(ウィルフォード・ブリムリーとモーリス・ステイプルトン)

このお二人、実に、共に老け顔なんですね。本作のときは、それぞれまだ若くて、ウィルフォード・ブリムリー(Wilford Brimley)は50歳、モーリス・ステイプルトン(Maureen Stapleton)は59歳!
なので、ちょっとびっくりしました。老人ホームに入居する年齢じゃないですよね。(苦笑)

モーリス・ステイプルトンは主役を演じる女優タイプではないけれど、まさに名脇役というタイプで、アカデミー賞でも助演女優賞をゲットしています。


(2006年、80歳で亡くなっています)

改めて彼女の経歴を見ると、ジェシカ・タンディ同様に舞台出身と言ってもいい女優さんですが、トニー賞やエミー賞などを多々受賞しているので、舞台、テレビドラマ、映画と幅広く活躍した名女優だと再認識させられます。
若い頃はこんな感じで、
  ↓

受ける印象はあまり変わっていませんね・・・
脂肪が付いておばさん化しただけという感じです。
ウィルフォード・ブリムリー(Wilford Brimley)は、
さすがに高齢となったいまはは、
こんな感じ。
  ↓



現在74歳ですが、お元気なのでしょうか。

他に、私がウディ・アレンと見間違えたのが、こちら。



若返りのプールにいくら誘っても来なかった老夫婦。三人組は、友達のバーニー(ジャック・ギルフォード)の病妻を何とかプールに入れようと誘うのですが・・・・・とうとう愛妻が亡くなってしまう。
すると、泣きながら愛妻の遺体を抱えてプールに入り、彼女の体にプールの水をかけながら「死なないでくれ、死なないでくれ」と泣くシーンですが・・・・染み入るものがありました。

この夫の役を演じていたのは、
ジャック・ギルフォード(Jack Gilford )でした。
いかにウディ・アレンのような眼鏡をかけ、彼のようなしゃべりをしていたとはいえ、ホント、見間違えてしまいました。



ジャック・ギルフォード(Jack Gilford )

本作のときは、76歳。
この5年後に亡くなっています。享年81歳。

以上の面々を中心とした老人ホームで暮らすご高齢者たちが、ひょんなことから地球外生物たる宇宙人と出会ってしまう本作。



展開の冗長さが気になりますが、ご老人が主役とあれば、無理のない速さの展開なのかなあという思いも。



宇宙人の目的がなかなか分からない時点で本作がSFファンタジーだと分からないのは、ひとえに宇宙人のリーダーを演じているのが、ブライアン・デネヒー(Brian Dennehy)だったからですね。悪役でも何でもこなせる存在感のある俳優ですから、分からないで見始めたら、ホラー映画かと思ってしまう場面も。


(宇宙人役の4人組)

本作は、心優しい宇宙人との交流を描いたSFファンタジー。
なのに、妙にリアルに感じたのが不思議です。
それは、

 

老齢となり、同年代の老人たちとホームで何の希望もないままに死を待つ生活ではなく「いくつになっても心躍る冒険にチャレンジして」「生きているいまを実感する」人生に希望を託す姿に共感を覚えたからかもしれません。

ただ、若返りの秘密が老人ホームのお隣の家のプールにあると分かったときのご老人たちの行動には少なからず心寂しくなるものを感じさせられましたけれど、老齢になったときの人間の「生きたい」「死にたくない」「若返りたい」という気持ち・・・・そういうものなんでしょうか。いわゆる≪不老不死≫への欲望・・・・

それより、私は、
このシーン、いいなあと。

相手に触れることなく愛し合うという宇宙人の愛情表現。
これ、良かったです。
そういう星なら・・・・私も行きたい。(笑)


 


「実録ブルース・リー/ドラゴンと呼ばれた男」

2008年12月03日 | ◆ハ行&バ・パ・ヴ行

●「実録ブルース・リー/ドラゴンと呼ばれた男」
(原題「BRUCE LEE THE CURSE OF THE DRAGON」)

1993年制作 
監督フレッド・ワイントローブ、トム・カブン

とても懐かしかったですね・・・
ブルース・リーに関しては、いまさらここのブログでご紹介するまでもないと思います。ご存じないお若い方がいらっしゃったら、まずは映画『燃えよドラゴン』をご覧下さい。映像的に古さは否めませんが、そういった瑣末なことを超える魅力が彼のカンフーと肉体と、そこから立ち現れてくる彼の人間性にあります。それを観るだけでも素晴らしい。

父息子二代に渡っての、まさにこれからというときの急死など、
いかに映画界広といえどもないだろうと思います。
死因については薬物による過敏反応によるショック死という剣士報告が出されているにも関わらず、いまなお暗殺説がなくならないブルース・リー。32歳、あまりにも惜しまれる死でした。
その息子であるブランドン・リー(Brandon Lee)、
映像を久々に観ました。
デビューしたときには胸が高鳴ったもので、
遺作となった映画『クロウ』(原題「THE CROW 」)は数回観ました。かえすがえすも惜しまれます。この制作中に現場で使われた空砲のはずの銃で撃たれて亡くなるとは・・・・
誰がどういう目的で実弾を込めたのか、
この事件は迷宮入りです。

早すぎる突然の死ということもありますが、
何だか、今年の初めに急死したヒース・レジャー(Heath  Ledger)と重なって見え切なくなりました。

 

★画像は後日時間ができた時、ここのページに追加しますので、
お楽しみに。


「ケイブマン(洞窟男)」(原題「THE CAVEMAN'S VALENTINE」)

2008年12月03日 | ◆カ行&ガ行

●「ケイブマン(洞窟男)」(原題「THE CAVEMAN'S VALENTINE」)
2000年 監督キャシー・レモン(Kassi Lemmons)

http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD1810/index.html  

NYの郊外の洞穴で、ホームレスとして暮らすサミュエル・L・ジャクソン(Samuel・L・Jackson)扮するロミュラスが、凍死体の青年が実は殺されたのだと考え犯人を暴き出そうと孤軍奮闘します。
そのとき、いつも妄想の中で出てきては彼を苦しめる魔王的存在のの敵とその事件の犯人が重なり合う。けれど、この映画の見どころは、そうしたミステリー小説を原作としているからといってミステリアスな展開や彼の探偵ぶりにあると思って見ると、おいしいところを見逃してしまう。

昔観たとき、本作がここまで綿密に音楽を選んでいるとは気づかなかったですね。テレンス・ブランチャード(Terence Blanchard )に脱帽です。
本作は、天才音楽家の精神的な病やおかしな言動を生む自閉的苦悩は半ば煙幕で、人間の≪勇気というもの≫を静かに問う映画。

ジュリアード音楽院を中途でやめてしまった天才ピアニストであり作曲家であるロミュラス、将来を嘱望されながら成功することへの恐怖から逃避し、精神の病すなわち「狂気」というものに捉えられホームレス生活をするまで落ちぶれてしまった彼が、ニセモノの芸術や芸術家が跋扈する世界の放つ腐臭に対し憎悪と恐怖を抱きつつ、その実、自分が芸術と向き合う勇気を持てないでいる。そんな姿を軸にし自閉した世界の住人となっている人間がその運命を乗り越えていくまでを描いています。
真犯人を探す道程は、いわば、自らの運命を受け入れ向き合っていく勇気を持つに至るまでの道で、それを探偵業に仮託しているということで、スクリャービンが本作を読み解くキーかなと。

サミュエル・L・ジャクソンを起用したことで映像的な面白さが突出してはいるけれど、他のキャスティングを見ても分かるように、本作はどこまでも硬派な作品(のはず)である。
さすがに女性監督。キャシー・レモンの繊細な演出が冴えた映画だと再認識。撮影を担当したアメリア・ヴィンセント(Amelia Vincent )も要チェックです。

 


「The Stranger」(「Orson Welles in srtanger」)

2008年12月03日 | ◆サ行&ザ行

生前、俳優ではオーソン・ウェルズが一番好きと語っていた女友達のバースディに、彼女を偲んで見ることにした映画でした。白黒の陰影に登場人物の心理を重ね、観る側を画面に釘付けにするあの印象的な白黒の陰影の芸術的映像は、本作でもいろいろと試みられていて、ああ、オーソン・ウェルズは天才肌ながら努力と研鑽の人だったのだと改めて思った次第です。彼女は、男性としてのオーソン・ウェルズのどこに惹かれてやまなかったのだろうと思っていたとき、そういえば、生前の彼女、リタ・ヘイワースに似ていたと思い出されました。男と女のことは、当人同士にしか分からないものがある・・・・・ということかもしれませんね。

【お知らせ】

すみません。操作ミスでこの映画の画像がPCから削除されてしまいました。なので、またこの映画を見た折に感想をアップさせていただくことにしました。楽しみにしていて下さった方には、この場をお借りしてお詫び致します。アップの折は、画像てんこ盛りでご紹介したいと思いますので、お許しくださいね。

   12月3日                        月光院璋子

 

それまで、こちらをお楽しみください。


「The Stragers」

2008年12月03日 | ◆サ行&ザ行

これ、恋愛映画ではありません。


(プロポーズのシーン。恋人からのプロポーズをリブ・タイラー演じるクリスティンは、なぜか断ります。なので、後に登場する犯人との関係をここでちょっと深読みをしてしまいそうになりますが、それは無関係です)

映画の最初のこのシーンを見る限りでは、
見間違うのも無理はないのですが、


(クリスティンの恋人ジェイムズ役のスコット・スピードマン。ここでも映画『死ぬまでにしたい10のこと』での夫同様に、≪死ぬまで≫やさしい青年を演じていました)

スコット・スピードマン(Scott Speedman)もホラー映画というイメージではないけれど、れっきとしたホラー映画です。

★ご参考までに。http://www.thestrangersmovie.com/

が、

ただのホラー映画ではないところが、
この映画の見所かもしれません。
本年公開の、ブライアン・ベルチノ(Bryan Bertino)という監督の映画ですが、知らない監督なので、どういう作品を撮りたかったのかと、作品を通して考えてみました。



ホラー映画をよくご覧になっていらっしゃる方からすると、おそらく本作は、B級ホラー映画クラスとして位置づけられるのではないかと思われるほど、展開そのものはホラー映画としてはありふれた展開なのですが、



それでも、見終えてしまったのは、
実話に基づいた映画という救いのなさではなく、
ひとえに音楽に誘い込まれてしまったせいかもしれません。
音楽を担当したのは誰かと思うほど、
効果音が絶妙で選曲された音楽もなかなかでした。
観終えたときに、恐怖とは無関係の映画の中で流された音楽が鳴り響いていたくらいでした。

物語は、冒頭の二人が結婚披露宴のパーティ会場でプロポーズして断られた後に、二人が重苦しい空気のまま車でいっしょに彼の別荘に出向いた、その夜の出来事。
煙草が切れたために車で買いに出掛けた後の別荘で、
クリスティンは、結婚指輪を嵌めてみるのですが、この指輪が外れなくなるシーン・・・・実に象徴的です。



リヴ・タイラー(Liv Tyler)は、ますますお顔が長くなったような気がしましたが、このヘアースタイルのせいでしょうか。
ホラー映画に出そうに思われない彼女を起用したのは、実はこの映画が愛を考えさせる内容になっているからでしょう。
無論、彼女を主演にしているので、
以下のような入浴シーンでファンサーヴィスをしています。

恋人から「君しか考えられない」と言われるほど愛されてプロポーズされたクリスティンですが、恋人からのプロポーズを断った理由は、「いまのままでいたい」「まだ結婚する心の準備ができていないから」というもの。 つまり、「愛のモラトリアム」ですね。
この後二人を襲う「信じられない出来事」がなければ、彼女はずっと「愛のモラトリアム」を維持したままだったかもしれない。

そう、この映画は、愛にモラトリアムなどないというメッセージを持っているのだと思った瞬間、映画の冒頭のシーンが意味を持ってきました。「このままがいい」という自由人クリスティンでしたが、恐怖の中で泣いて恋人にすがりつくだけの女性に変貌していくのですよね。

このマスクが何とも・・・・



「なぜ、こんなことをするの」と問われても、
お面をしたまま返事をしない若者たち。

世の中には、不条理なことが氾濫しているというのに、そして、人生もまた実に不条理なものだというのに。だからこそ、一瞬一瞬を大事に生きていかねばならない。ましてや愛する人との関係を「今のままの方が気楽でいいからこのままでいたい」という「愛のモラトリアム」などやっていたらどうなるか。

本作では、そのクリスティンが、
ラストで「意志を持った女性」に変貌します。



彼女の指に嵌められていた指輪に気づいたジェイムズに対し、ここで初めて、「永遠の愛」を誓うのです。もう遅い!と言うなかれ。こうしたことでもなければ、彼女は気づかなかったかもしれないのですから。モラトリアム女からパニック女へと変貌し、今わの際で意志を持った女性に変貌していく・・・・・実話とはいえ、その実話から創り出した本作『The Strangers』での恐怖は、彼女の変貌を覆い隠すトリックのように思われるほど。彼女自身、この惨劇の只中で見知らぬ自己と遭遇することになるのですから。
うがった見方をするなら、この『The Strangers』は二重の意味があるのかもしれませんね。

ただのホラー映画ではないというのは、そういう意味。展開を見ると、監督は愛との向き合い方を問うという隠されたメッセージを持っていたのだろうと思えてきます。
ソンなことはしたくないという意味で結婚に慎重な現代女性たちに、監督は、「それでいいのか?」と突きつけたかったのかもしれませんね。いわば、女性向けのホラー映画を作りたかったのかなと。


本作では、そうした愛を問いかける隠されたテーマがあるためか、起用された俳優もこちらのように優男ばかり・・・・それが、他とはテイストの異なるホラー映画にしていたように思います。
 

(グレン・ハワートンもホラー映画に出るようなイメージの俳優じゃないと思うのですけれど・・・・・)

ホラー映画じゃなければ、このジェイムズの親友マイクが別荘にやってきた時点で、別の展開もあったでしょうが、恐怖と愛を並べているために好青年を演じていたグレン・ハワートン(Glenn Howerton)も、あっという間に無残な死に方をしてしまいます。

ところで、
映画のラストで、
犯人たちが乗った車とすれ違う二人の少年ですが、



車から降りてきた犯人の女性に請われて、
聖書のパンフレットを渡すところ、
ここも、意味深でしたけれど・・・・



何より不気味で怖いと感じたのは、
別荘での惨劇以上に、実は、
この少年の表情でした。

普通、これだけ惨い遺体を、
こうやって傍にたたずんで
一人でじ~っと眺めたりしないでしょ!!

蛇足ながら、本作の邦題は、ただのホラー映画でいいのなら、カタカナの『ストレンジャー』よりも『見知らぬ訪問者』というオーソドックスなタイトルの方が良かったように思いました。