1984年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズのPart11はK.C.の"Give It Up"。
最高位は3月17日付の第18位。年間チャートは75位。K.C.久々のヒットでした。
K.C.ですが、そう、ディスコファンならご存知ですよね、70年代ディスコを代表するグループKC and the Sunshine BandのリーダーHarry Wayne CaseyことK.C.です。
ちょうど私が洋楽を聞き始めたころ、70年代中頃ですが、KC and the Sunshine Bandの人気といえばホント凄いものでした。
初めてのNo.1ヒット"Get Down Tonight"に続き、全世界のディスコで大ヒットした名曲"That's the Way (I Like It)"が特に有名ですよね。日本でも大ヒットしました。
続いて"(Shake, Shake, Shake) Shake Your Booty"、"I'm Your Boogie Man"の1位、そして"Keep It Comin' Love"の2位と大ヒットを連発、私にはみんなおんなじ曲に聞こえましたが(失礼!)、特大のヒットを続けました。
その後、しばらくヒットが途絶えたと思えば、まさかのバラード曲"Please Don't Go"で1979年再びの1位を記録し、さらにTeri DeSarioとのデュエットバラードソング"Yes, I'm Ready"が2位と、連続の大ヒットを記録しました。
その後またまたヒットチャートから消えていましたが、久し振りに「K.C.」の名前で復活したのがこの曲"Give It Up"。
曲の作者はHarry Wayne Casey自身とDeborah Carterという人の共作。プロデューサーはHarry Wayne CaseyとバンドメンバーのRichard Finchです。
この曲、70年代のKC and the Sunshine Bandを思い出す懐かしい雰囲気のディスコソングです。
さてついでに名曲"That's the Way (I Like It)"を紹介します。
1975年12月20日付、1週間だけですが1位を記録、曲のプロデューサーはHarry Wayne CaseyとRichard Finch、"Give It Up"と同じですね。
最高位は3月17日付の第18位。年間チャートは75位。K.C.久々のヒットでした。
K.C.ですが、そう、ディスコファンならご存知ですよね、70年代ディスコを代表するグループKC and the Sunshine BandのリーダーHarry Wayne CaseyことK.C.です。
ちょうど私が洋楽を聞き始めたころ、70年代中頃ですが、KC and the Sunshine Bandの人気といえばホント凄いものでした。
初めてのNo.1ヒット"Get Down Tonight"に続き、全世界のディスコで大ヒットした名曲"That's the Way (I Like It)"が特に有名ですよね。日本でも大ヒットしました。
続いて"(Shake, Shake, Shake) Shake Your Booty"、"I'm Your Boogie Man"の1位、そして"Keep It Comin' Love"の2位と大ヒットを連発、私にはみんなおんなじ曲に聞こえましたが(失礼!)、特大のヒットを続けました。
その後、しばらくヒットが途絶えたと思えば、まさかのバラード曲"Please Don't Go"で1979年再びの1位を記録し、さらにTeri DeSarioとのデュエットバラードソング"Yes, I'm Ready"が2位と、連続の大ヒットを記録しました。
その後またまたヒットチャートから消えていましたが、久し振りに「K.C.」の名前で復活したのがこの曲"Give It Up"。
曲の作者はHarry Wayne Casey自身とDeborah Carterという人の共作。プロデューサーはHarry Wayne CaseyとバンドメンバーのRichard Finchです。
この曲、70年代のKC and the Sunshine Bandを思い出す懐かしい雰囲気のディスコソングです。
さてついでに名曲"That's the Way (I Like It)"を紹介します。
1975年12月20日付、1週間だけですが1位を記録、曲のプロデューサーはHarry Wayne CaseyとRichard Finch、"Give It Up"と同じですね。
僕の持っている「ただ1曲のスーパーヒット」(音楽之友社)にこの曲が取り上げられてます。この本に出ている曲は「一発屋」扱い曲。確かにKCもソロでのヒットはこの曲だけ、か。
2つのレーベルにまたがってヒットしたという面白い曲です。1983年に大きな交通事故を起こしてリハビリをしていたKCでしたが、1982年に発売したKC&ザ・サンシャイン・バンドのアルバムからイギリスのエピックレーベルがこの曲をシングルカットして大ヒット、3週間全英1位になりました。ところが、アメリカのエピックは発売を拒否。ケガから回復したKCは、自分で"Meca"というレーベルを立ち上げ、ソロ"KC"名義でアメリカで発売。そんな経過があるので、日本でも「ギブ・イット・アップ」のシングルのジャケットは1982年と1984年とで2種類あったようです。
彼(彼等)の曲は憶えやすくて良いです。
やっぱり、そういう曲がヒットしますよね。
80年代になって、彼の名前がチャートに登場してきたときは嬉しかったですね。
明るすぎるのは苦手な私、恐らくはシンディのウザさに負け、被っていたKCは記憶から無意識にマスキング除外としていたのかも。
しかし地味ヒットですよね、よく年間75位なんて行ったものだ、とブログを遡行しました。
42 → 37位で入ってきてから、超地味にランクアップしていて、一度もジャンプアップなし。
1位をたくさん持ってる人のチャートとは思えない感じで、しかしなぜか好感持てました。
82年のテイクマイハート、83年のデッドギブアウェイのように、年間ではちょいちょいあることなんですかね?
とにかく曲はイマイチですが、全英ヒット、についてはなぜか納得してしまいました。
そうでしたか、一発屋という感じは全然持っていませんでしたが、そういえばソロではこの曲だけでした。
今回の記事を書いているとき、ネットで調べていたら、ソロと思っていたところ、シングルジャケットではバンド名が書かれていましたので何故かなぁ?と思ていましたが、レコード会社が違ったのですね。納得しました。
そうでしたよね、彼らの曲は覚えやすいというか、親しみやすいというか、ワンパターンというか、そのワンパターンなところがまた癖になりました。
この曲が上がってきたときには、私も懐かしくうれしかったです。
元々彼らの70年代のヒット曲、特にディスコ系の曲は、急激に上がってきてすぐに落ちる、上位に入っても年間はあまり上位に入らない、というのがパターンでしたが、この曲は全く違い、ゆっくり上がってきてゆっくりと落ちていった、地味ながら大ヒットになりました。懐かしかったこともあり、私はこの曲特に印象深かったです。
しかしザッツザウェイアハアハ、これはホントにカッコいいですよね!
KCバンドは知らなくても、ダンス甲子園ではコレとプレイザットファンキーミュージックが頻繁にかかっていて、認知度は高いのでは?
75年のようですが、コレとイークルズののろ夜とどっちがカッコいいんだろう?くらいに素敵な曲ですね。
アイムヨーブーギマーンもかなりイイですね、大人のシャープな黒人をイメージします。
勝手なイメージですが、この知ってる2曲がヒートウェーブのグルーヴラインとブゲーナイツの2曲と変に被ります。
70年代後半のダンスミュージック、漁る気はないですがイイ曲多くてリアルタイマーの皆さんが羨ましいス、ヒンヒン
K.C.の"Give It Up" 久々の復活でしたが最後のTOP40になっちゃいましたね。"That's the Way "はTOP40のチャートをノートに書いた最初のNo.1ソングでしたので思い入れがあります。ワンパターンで憶えやすいのも70年代ディスコの特徴でした。George McCraeの74年のNo.1 "Rock Your Baby" も彼らの曲ですね。
高校野球ではないですが、古豪復活!て感じですね。
しかも、往年のスタイルとは変わってソロで。
僕も洋楽聴き始めの頃の♪アーハ、アーハ♪の曲のイメージがあまりにも強いのですが、ディスコ風とはうって変わって♪Please Don't Go♪が80年代最初の№1。
これが最後のTop40ヒットでしたか。
弱虫トミーならぬ、女たらしケニー、ついにご逝去とのこと。
考えてみればPhパブでケニーは知られている度合いが超高いため、一番歌った人かもしれないですよ。
ダムに愛ひととき
ジョイサウンドにスルーザイヤーズ
しかしなぜか知られているのが82年の愛の詩。
実は私も大好き、カラオケにないのが残念です。
しかしケニー持ってない!
この🌟🚣さんブログ、ジスウーマンがちょうど絶賛チャートイン中!と思いきや、ピークの23位から一気に圏外ですか?
うーん、決めに決めるアダルトカントリー、ケニーロジャースがまさかの不在だったとは。
でも最期に笑って逝けたってことでよかったかな?
関係なくてごめんKC♪