ビルボード・チャート日記 by 星船

1970年代から80年代にかけての特にビルボードのチャートを中心に、洋楽を愛する私と、皆さまにお届けするブログです

シャーデー Sade - Paradise(1988年の洋楽 Part29)

2024-07-25 20:00:00 | '88年洋楽
1988年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズのPart29は、Sadeの"Paradise"。最高位は7月23日付の1週間の第16位。年間チャートは圏外でした。

Sadeですが、イギリス出身の4人組バンド。女性ボーカルのSade Aduを中心に、ギター、ベース、キーボードの男性3人を加えたバンドです。もちろん、リードボーカルのSade Aduから、「Sade」となったバンドです。

そのSadeですが、Sade Aduのボーカルで、ソウル、ジャズ、ポップス、ACなどの要素を取り入れた、ミステリアスな雰囲気を持ったバンドです。

デビューは1984年、ファーストアルバム『Diamond Life』から、"Smooth Operator" が最高位5位を記録する大ヒット、続くセカンドアルバムからも、"The Sweetest Taboo" が同じく最高位5位を記録。この"Paradise"で、まだ4曲目のTop40ヒットなのですが、独特な世界観を持つ、個性が際立つバンドです。"The Sweetest Taboo"については、こちらをご覧ください→→→

"Paradise"ですが、彼ら3枚目のスタジオパルバム『Stronger Than Pride 』からの2枚目のシングル。ファーストシングルはアメリカでは全くヒットしなかったようです。

曲の作者は、いずれもバンドメンバーのSade Adu、Andrew Hale、Stuart Matthewman、Paul S. Denmanの4人の共作。曲は、アップテンポでありながらも、抑えたジャーデーのボーカル、ミステリアスなジャズ風の、シャーデーにしか作れない、独特な雰囲気を持った曲で、2年ぶりのヒットとなりました。
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カイリー・ミノーグ Kylie Minogue - I Should Be So Lucky(1988年の洋楽 Part28)

2024-07-18 20:00:00 | '88年洋楽
1988年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズのPart28は、Kylie Minogueの"I Should Be So Lucky"、邦題は「ラッキー・ラヴ」。最高位は7月16日付の第28位、年間チャートは圏外でした。

Kylie Minogueですが、オーストラリア出身のシンガー・ソングライター。元々は子役として女優で活躍、そこから歌手としてデビューしたのが1987年のことです。

まずはデビューシングルが"Locomotion"のカバー、1987年に、母国オーストラリアで大ヒットします。

続いて1988年にセカンドシングルのこの曲"I Should Be So Lucky"がリリースされ、オーストラリアやイギリス、ヨーロッパ各国、日本でも大ヒットします。日本では、オリコンチャートで、なんと12週間連続の1位という特大のヒットとなりました。その大人気につられて、アメリカでも初のTop40ヒットとなり、最高位28位を記録します。

"I Should Be So Lucky"の曲の作者はMike Stock、Matt Aitken、Pete Watermanの3人の共作。プロデュースもその3人のSAWのチーム、ユーロビートの大人気に乗って、世界中での特大のヒットとなりました。

Kylie Minogueですが、この80年代の活躍は、ユーロビートとSAWの人気に乗ったヒットだったとは思いますが、実は人気と実力を兼ねた歌手。90年代には、アメリカでのヒット曲はなかったものの、イギリスやオーストラリアでは大ヒットを続け、2000年代に入ってから、アメリカでもTop10ヒットを出し、昨年、2023年にリリースされた彼女の16枚目のアルバムがオーストラリアとイギリスでNo.1を記録するなど、今でも大人気、活躍を続けています。
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ミッドナイト・オイル Midnight Oil - Beds Are Burning(1988年の洋楽 Part27)

2024-07-11 20:00:00 | '88年洋楽
1988年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズのPart27は、Midnight Oilの"Beds Are Burning"。最高位は7月2日付の1週間の第17位。年間チャートは圏外でした。

Midnight Oilですが、オーストラリアシドニーで70年代前半に結成された「Farm」というバンドが前身のバンド。70年代中ごろに、バンド名を「Midnight Oil」に変更、1978年に、ファーストアルバム『Midnight Oil』をリリースします。

当初は、世界的な人気には程遠い状態だったようですが、母国オーストラリアでは一部に熱狂的なファンが付き、その後、オーストラリア国内での人気は徐々に高まり、1984年にリリースした5枚目のアルバムで、ついにオーストラリアアルバムチャートでNo.1を記録します。

続いて、1987年にリリースした6枚目のアルバムが『Diesel and Dust 』。このアルバムがアメリカでもチャートを上昇、ついに世界的なメジャーバンドとなりました。

このアルバムからのファーストシングル"The Dead Heart"が初めてHot100に入り最高位58位、続く2枚目のシングルがこの曲"Beds Are Burning" で、初のTop40入り、最高位17位を記録するヒット曲となります。

"Beds Are Burning"の曲の作者は、バンドメンバーで、ドラムスのRob Hirst、ギター・キーボードのJim Moginie、リードボーカルのPeter Garrettの3人の共作。

この曲、イントロから強烈にインパクトのある曲でした。曲の内容も、メッセージソングで、先住民アポリジニのことを歌った曲です。迫力ある曲でした。
この曲を作ったリード・ボーカルのピーター・ギャレットは、環境活動家として知られ、のちにオーストラリアの環境大臣、国家遺産・芸術大臣も務めたそうです。 
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リタ・フォード Lita Ford - Kiss Me Deadly(1988年の洋楽 Part26)

2024-07-04 20:00:00 | '88年洋楽
1988年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズのPart26は、Lita Fordの"Kiss Me Deadly"。最高位は6月18日と25日付の第12位。年間チャートは残念ながら圏外でした。

Lita Fordの初のシングルヒット、驚きました。70年代からロックを聴いている人でないと知らないかもしれませんが、かつて日本では大人気、女性ロックグループの草分け的存在の「ザ・ランナウェイズ」のリードギタリストが彼女リタ・フォードです。

まずはその「ザ・ランナウェイズ」、デビューは1975年、ドラムスのサンディ・ウェスト、ギターのジョーン・ジェットが中心となり結成、そこに、ギタリストのリタ・フォードが加入、ボーカルのシェリー・カーリー、ベースのジャッキー・フォックスが加わり、1976年にファーストアルバム『The Runaways』をリリースします。日本では『悩殺爆弾〜禁断のロックン・ロール・クイーン』ですから、またびっくりの邦題ですね。

このファーストアルバムからのシングル"Cherry Bomb" は、アメリカでは100位内にも入らなかったのですが、日本では大ヒット、下着姿で歌うシェリー・カーリーに、ツインリードギター、当時のロック雑誌は、彼女たちの記事が満載、一大ブームとなります。

その大人気ですが、冷めやすいのも日本の特徴でしょうか、すぐに人気は下火となり、その後ヒットが続くことはなく、79年にバンドは解散します。

解散後、メンバーはソロ活動に入り、まずは大人気になったのがJoan Jett、1982年には、"I Love Rock 'n' Roll"が7週間の1位、年間チャートは第3位と、年度を代表する特大のヒットとなります。こちらの記事をご覧ください→→→

それからさらに6年経ち、Lita Fordがヒットチャートに戻ってきました。それがこの曲、"Kiss Me Deadly"。最高位12位を記録する、ソロでは初めてのヒットシングルとなりました。

The Runawaysの時には、母国アメリカでは全く人気がなかった訳ですが、実は実力も伴った女性ロックグループ、日本での人気は、その実力を先取りしたものだったのでしょう。そういえば、この週のチャート、Top3に入ったCheap Trickも、まずは日本で火が付き世界的な人気バンドになりました。

"Kiss Me Deadly"ですが、曲の作者はソングライターのMick Smiley。プロデュースはというと、Mike Chapman。Lita Fordの突然の人気は、Mike Chapmanの力もあったのかもしれませんね。

ポップでハードでカッコいい、終盤のLita Fordのギターソロにはしびれました。

こちらが1976年のThe Runaways"Cherry Bomb"。アメリカでは100位圏外ですが、日本ではオリコン通常チャートで最高位10位、洋楽チャートでは1位の大ヒットでした。画面一番右側のギターがLita Fordですね。1958年生まれですので、この時まだ18歳です。
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ボズ・スキャッグス Boz Scaggs - Heart Of Mine(1988年の洋楽 Part25)

2024-06-27 20:00:00 | '88年洋楽
1988年の洋楽ヒット曲を紹介するシリーズのPart25は、Boz Scaggsの"Heart Of Mine"。最高位は6月16日と23日付の第35位。年間チャートは圏外でした。

この1988年6月ですが、70年代後半から80年代初めに大活躍していた方々が、この時のチャートに入ってる、そんな曲がいくつかありましたが、このボズ・スキャッグスもその一人です。チープ・トリック、ロバート・プラント、リタ・フォード、ホール&オーツなど、70年代から洋楽を聞いている私にとっては大変楽しいチャートでした。

Boz Scaggsですが、皆さんご存じですよね、日本でも大人気の、AORの生みの親といっていいでしょう、音楽活動は60年代から開始していましたが、1976年に発表した名アルバム『Silk Degrees』が最高位2位を記録する大ヒット、のちにTOTOを結成するデヴィッド・ペイチ、デヴィッド・ハンゲイト、ジェフ・ポーカロなどの凄腕スタジオミュージシャンをバックに、"Lowdown" や"Lido Shuffle" のヒット曲は、世界に衝撃を与えました。

その後も、Rita Coolidgeバージョンが大ヒットした"We're All Alone"や、"Look What You've Done to Me"などのAORバラードでも名曲を発表します。"Look What You've Done to Me"についてはこちらをご覧ください→→→

1980年に9枚目のスタジオアルバム『Middle Man』を発表、続くベストアルバム『Hits! 』から、"Miss Sun" が最高位14位を記録するヒット曲となりますが、その後はしばらく、アルバムの発表が途絶えます。

1988年になって久しぶりに発表した10枚目のスタジオアルバムが『Other Roads』そのアルバムからのシングルカット曲がこの曲"Heart of Mine" です。

この曲の作者ですが、Boz Scaggsに、Bobby Caldwell、Dennis Matkosky、Jason Scheffの4人の共作。こちらも懐かしい名前、Bobby Caldwellですが、78年に、1曲だけですが、最高位9位を記録したこちらもAORで世界的にヒットした"What You Won't Do for Love" で有名ですね。また、作者にJason Scheffの名前があるのには驚きました。シカゴに加入したのが85年ですので、この時はシカゴの一員だった時ですね。

"Heart Of Mine"ですが、Boz Scaggs得意のバラード。やっぱりいい曲を作ります。Boz Scaggsのボーカルは、上手いとも言えないかもしれませんが、味のある、引き込まれるボーカルです、そのボーカルを十分活かしたこの曲ですが、残念ながら小ヒットに終わり、この曲が最後のTop40ヒットになってしまいました。
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