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有馬もとの補助犬訓練士ダイアリー

聴導犬・介助犬国際認定インストラクター(日本聴導犬協会)有馬もとのプライベートブログです。

624 たまには・・ 日本聴導犬協会 「元気いっぱい聴導犬・介助犬訓練センター」内

2009-08-22 11:57:37 | とっても私的
 いつも10数人で活気ついている(福)日本聴導犬協会 「元気いっぱい聴導犬・介助犬訓練センター」も、今日は、学院生が4日間の東京研修のために、静かです。
 やはり、学院生がいらして活気ついている方が、いいですね。

 とはいえ、子犬と協会内にいるPR犬と候補犬8頭と、お留守番です。
 ボランティアのKさんとスタッフのM&Mさんと、4名で南のテラスにテーブルをだして昼食にしました。
 ダッチオーブンで焼いたかぼちゃやじゃがいもと、お持ちよりのおかずで、なんとなく終夏(こんな熟語はありませんが・・)の南アルプスを眺めてのお食事となりました。

619 アリスちゃんの四十九日 

2009-08-19 19:28:18 | とっても私的
写真は、アリスちゃんのご霊前(7月)。花に囲まれ、生前の善行がしのばれます。

 スタッフのY家の愛犬アリスちゃんが、14歳で亡くなりました。大型犬(ゴールデン・リトリバー)としては、長寿になるでしょう。
 アリスちゃんに癌が見つかったのが6年前。皮膚がんでした。手術では、後ろ足の筋肉をぼっこりと取る大手術でした。入院とリハビリもとてもうまくいき、それから毎月、協会の主治医である赤坂動物病院まで車で往復8時間かけて、アリスちゃんの術後と新しい疾患が起こるたびに新しい治療に通っていらっしゃいました。

 今年2月に、私も、協会の代表犬であり、私の相棒でもあったタカちゃんを亡くしたばかりでしたので、Yさんの悲しみを自分のことのように感じましたが、私には、Yさんのような心の強さも信念もなく、タカをがん発見からわずか2ヶ月で亡くしてしまいました。

 Yさんは「絶対に死なせない」という気力と信念があったから、アリスちゃんは6年間も延命できたのです。犬は、飼い主の気持ちで寿命が長くなることもあるそうです。

 アリスちゃんの6年間を考えると、私はなんて、タカに至らなかったのかしらと、ふがいなく、悲しくなるばかりです。もっと介護がしたかった・・・。

 今日は、アリスちゃんの四十九日。Y家の宝であり、協会犬の一員であり、歴代の協会の子の乳母役もしてもらいました。ありがとう。ありがとう。ありちゃん。
これからも、心の中で、ずーーと一緒だよ。天国では、タカと仲良くしてね。
 

618 宮田村主催 「ますのつかみ取り」

2009-08-18 20:03:32 | とっても私的
 宮田村の土地を購入&お借りして、初めての夏です。
 なんと、裏の川で「ますのつかみ取り」が恒例となっていたのです。

 昨年も施設竣工のために、何度もここ、宮田村3区に来ていたのですが、雨で中止だそうです。そんな楽しいことが、恒例なんて知らなかった。
 今年は、1000尾を放流して、村の方たちやバスで来られた方などもいらっしゃいました。スタッフのMさんやYさんも参加。学院生のSさんが撮影班として参加したはずが、なぜか、Mさんの補助(取れたら入れるための籠(それも収穫した野菜を入れる四角い籠)をもっていて)になってしまいスタッフのYさんの後ろ姿のみしか撮ってません。
 ます1尾をMさんが手掴みし本人も余裕がなく、写真を撮る間もなく籠の中に入れて、喜んでいたために決定的な瞬間も撮れずじまいに終わりました。
 「取ったますは、お昼用よ」というミッションだったため、お三人必死でした。
 が、一番取れる予定のYさんも不漁に終わり、1尾を7人でというには、むずかしい状況でしたが、なんと、3人が川にいて必死にますを探していると、村の方が橋の上からのぞいていて、魚を見つけると、2Mくらいは高さがあるのですが、川に橋から飛び込み、魚をぱっと2尾とられ、MさんとSさんに分けてくださったそうです。まるで忍者みたい~~。とはいえ、ありがたや。

 協会のお昼に3尾のますさんが、献上されました。
 すぐに内臓を出して、塩焼きになりました。さっきまで生きていたのに・。おしかったです。

 「(写真が)撮れた、(魚が)捕れないなど」ワイワイ話しておりましたが、食後に、ピンポーンという音で玄関に走って出ると、「ますのつかみ取り」のご担当者の方が10尾もビニール袋に入れて持ってきてくださいました。
 うれしい限りでした。おかげさまで、夏の1日を堪能いたしました。

(ちなみに、3人が川にいたのは、小1時間くらい。協会は、ちゃんと仕事もしております・・。なにとぞ、誤解のないように)


585  母校 エジンバラ大学からの通信 と宮田の春

2009-04-16 14:23:17 | とっても私的
  写真は、協会犬たちの目が光って妖怪のようですが、高遠の花見に(福)日本聴導犬協会付属 日本聴導犬・介助犬訓練士学院の学院生と行ってまいりました。
 
 母校(修士を取らせていただきました)が英国のエジンバラ大学大学院の社会科学でした。社会学部に属しています。学んだことが、今は、とても役立っているように感じます。
 社会学では、人間の行動や問題、環境問題まで幅広く学びますが、ユニークだったのが、修士論文の教授だったジョンの「Body(死体)」についてでした。よく、内容は覚えていないのですが、ユニークだったことだけが印象に残っています。
 半年に一度、エジンバラ大学から卒業生向けに大学の通信が送られてきます。
 もう、15年以上前のになるのに、通信を見るたびに、エジンバラの春の風を思い出します。
 
 (福)日本聴導犬協会付属 日本聴導犬・介助犬訓練士学院 の学院生にとっても、宮田の風が、一生の良い思い出になるように、スタッフもできるだけのカリキュラムを組みたいと願っております。写真は、夕方、人が少ないときに、ボランティアのKさんのご案内で、隠れ道を通って、行きましたよ。犬連れなので、訓練もかねているので、桜(ちなみに こひがん桜)だけを堪能することはできなかったのですが、でも、すてきな高遠でした。桜アイス&ソフトクリームがおいしかったです。

579  ありがとうダン CD by 「クレア&香」をいただきました

2009-04-02 18:00:38 | とっても私的
 いつもご支援をいただいております四国のO先生から地元のボーカル「クレア&香」のCDをいただきました。盲目の犬ダンちゃんの生涯を歌ったCDでした。

 とてもすばらしい歌声と曲で、いやされました。
 ダンちゃんのことは、O先生のお手紙を引用させていただきました。
「ある日、段ボールの箱に入れられ川に流される犬を、団地の子供たちが見つけました。この犬は盲目でした。しかし、団地に連れ帰ったこともたちは、団地でみんなで買いたいと言います。大人たちは団地では動物は飼えないとなだめます。子供たちは、目の見えない人を助ける犬がいるのに、どうして、人は目の見えない犬を助けないのかと抗議します。心を動かされた大人たちは団地で世話をすることに同意します。ダンと名づけられました。数年、犬と子供たちとの交流のあったある日、ダンは天国に旅立ちます」
 この子供さんたちの言葉は、すごいですね。感動しました。もちろん、透き通るような歌声にも。すてきなCDを送ってくださいましたO先生に感謝しております。

 O先生の愛犬はなちゃんも、過日に亡くなられたそうです。このCDを聞きながらの旅立ちでした。おやさしいO先生のお宅で、天寿を全うした子は幸せです。
 
犬であっても、家族です。大事な家族を失った悲しみははかりしれません。
 「ペットロスというよりも家族ロス」というと、知り合いの方が「肉体の一部がなくなったようなもんだ」とおっしゃいました。そのくらいの喪失感です。
 犬も、猫も、みんな、「自分たちはこの家の一員だぁという大きな顔」をして生きてほしいです。タカちゃんを失って、心の半分が黒くなったままで、あっけらかんと、ポッとあったかくなることがないのです。いつもいたソファや、散歩した道に、半透明なタカがいて、私を見ています。
 必ず、どこかで見守ってくれる感じがいつも、しています。
 でも、触ることができません。
 身体をなぜることができません。
 うれしそうなキューといった妙な声も聴けません。

 あんなおちゃらけた犬が早くに死ぬなんて。顔を洗っていたはずの手が、涙を抑える手に変わります。杉花粉のせいもあるのですが、涙と鼻水で、鼻にティッシュを入れたまま仕事をしなければなりません。(スタッフのみなさん、すみません)

 O先生のご家族のお気持ちも、いかばかりでしょう。17歳という年月は、すばらしいです。でも、悲しみはその年月分深くなるのかもしれませんね。
 タカと私は、12年と半年しかありません。もっと長く、生きてほしかった。

 O先生ご自身、お悲しみの最中でいらっしゃるのに、それなのに、CDを送ってくださいました。ありがとうございます。心からありがとうございました。
 繰り返し、拝聴しております。

 
 

573 代表犬タカ、がんばりました。

2009-02-21 23:51:58 | とっても私的
  お知らせするのが、10日以上も遅れたこと、みなさま本当に、お許し下さい。

 (福)日本聴導犬協会の代表犬タカは、私の担当犬で、私の先生でした。
 協会設立まで、まったく犬を飼ったことのない私に、いろいろなことを教え、支え、励ましてくれました。良い子なので、留守番ばかりさせていたました。「ボク、デモに行きたいよう」というのを、「ね、他の子犬の面倒見ててね。いい子ね」と。
 これからの、恩返しにタカの老後の介護ができるととても楽しみにし、介護用に、スウェーデン製の楕円形ベッドまで用意しました。
 老犬の部屋は別にせず、事務所で私の机の横に、いつでも目が合うようにベッドの上に寝かせて・・と、本当に楽しみにしていたのです。

 協会の高齢犬たちは、毎年、年1,2回は全身検査をしています。12歳を過ぎた2008年に入って、タカの元気がなく、なんとなく不安で、2箇所の病院で計3度も検査を受けましたが、そのときには結果的に緊急性の病はなかったのです。
 結局、12月に「甲状腺がん」が見つかり、それほど長くないとお聞きすることになりました。
 狼狽しました。相棒だったのです。本当の相棒。
 大事なデモの日に、目覚ましを止めてしまって寝過ごしそうになったときに、起こしてくれたり。後ろで、あふれた牛乳に火がついて燃え上がっているのを教えてくれたり。泣いていると、励ましてくれたり。本の執筆をしているときも、いつも机の下に入って、待っていてくれました。

 私は、いったいタカに何をして上げられたのか・・。あんなに身近にいたタカの病に気づかず、苦しい思いをさせてしまいました。
 もっと、もっとあちこちに一緒に行けたら。
 もっともっと、一緒にいれたら。

 最後は、甲状腺の腫瘍が気管をふさぎ、足に酸素がいかなくなり、立てなくなりました。酸素吸入器が協会にあるので、スタッフの矢澤さん、まゆみさん、私が健康管理室に雑魚ねして、タカを見守りました。一晩中、呼吸が苦しいので、酸素室に入れようとしましたら、苦しい息の中でじっと見上げて「ボク、ここ嫌だ」と、言うのです。私が抱きかかえて、外に出し、酸素のカバーを口にあてて、夜がすぎました。
 たくさんの方々から応援していただき、愛され、心配していただいたタカは、幸せ者です。2009年2月9日、がんが見つかってから2ヶ月間でした。入退院の繰り返しで、タカは本当に、がんばりました。
 12歳6ヶ月。数えで13歳でした。みなさま、ありがとうございました。
 
 ずーーと、タカの死についてご報告できませんでした。死んだことが、現実になるのが怖くて、かけませんでした。
 協会をここまで支えて、大きくしてくれたのは、協会の犬たちです。
 捨てられ、もしかしたらいじめられ、それでも、人を信じて、スタッフと一緒にがんばってきました。そのタカを助けられなかったこと、本当に、ごめんなさい。

 タカのためにも、1頭でも多くの子たちを、お一人でも多くの障害のある方のために、生かしていきたいと思っています。大丈夫です。でも、悲しくて、悲しくて。タカに申し訳なくて。ごめんなさい。
 
 

564 櫛ママに感謝

2008-12-04 19:35:33 | とっても私的
 先日、ソロプチミスト大阪様のチャリティ・オークションにお招きいただきました。みなさまから、たくさんのご支援をいただくことができました。講師をさせていただいております、OCAの生徒さんもお手伝いに来てくださいました(ありがとうございます。)。S様には、たくさんのお心使いをいただき、生徒さんたちも感激していらっしゃいました。たのしい1日でした。

 毎回、OCAの講義に参加してくださる櫛ママを待っていたのですが、ちょっと遅れられていたので「いらっしゃらない」と早合点し、オークション会場(リーがロイヤルホテル)へ。その後、お電話があり、置き去りにしてしまったことが判明(ごめんなさい)。それでも、嫌なお顔ひとつせず、お手伝いをしてくださいました。
 思い返せば、10年前にもなりますか。「聴導犬の支援」ということで、お声をかけてくださいましたのは、櫛パパ。それいらい、櫛ママは、いつも協会を応援してくださいました。今日、お別れを申し上げながら、まゆみさんと二人で「本当にありがたいねぇ」と。しみじみ。協会の1歩。1歩は、櫛ママのようなお心のやさしい多くの方々からのご支援で成り立っています。櫛ママ、本当に、ありがとうございます。