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世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

なんで

2011-10-22 13:29:52 | 珈琲の海

なんで なんでこないなる
あほはなんでこないなる
つらいほどつらいほど
馬鹿をあほにして
ええもんみんな馬鹿にして
かってに馬鹿やって
人類みなあほやって感じで
あほをみいなでやったら
いやんなるほどつらいことになって
どないしてもどないしても
どうにもならんで
なんにもできんで
いたいもんにたのんでも
馬鹿やっていわれて
あほが あほが馬鹿なのよ

うそや こんなんうそやて
馬鹿が泣いてるよ
なんでこんなんなるんやて
それはあほが馬鹿をやりすぎたからや
とんでもないこと
ぜったいやったらあかんこと
ぜんぶやってしもたのよ
あきれてものいえへんくらい
じんるいをあほにしたよ
おれらぜんぶあほよ
つらいことんなって
それをあほでなんとかしようとして
もっとあほになって
それでまたあほでなんとかしようとして
もっともっとひどいことになって
ええいもっとつらいことやれっていうて
ものすごいことやって
いたましいほどひどいことになって
つらいつらいつらい
なんでこんなんなるんやて
いたいわいたいわって
もんだいなくあほやって
つういに泣き始めるよ

つらいつらいつらい
あほはついに馬鹿になるよ
あーほやっていうて馬鹿やって
ずいぶんあほになったら
おれがあれやったんやあて
とくいそうにわろて
あーほがぜんぶつらいことになるよ
いやんなるくらい あほになるよ
あんまりや あんまりや
ぜんぶぜんぶ 馬鹿になるよ
あほが あほがぜんぶ
馬鹿になるよ
つうらいほど永い永い間
おれらは馬鹿なのよ




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夫婦

2011-10-21 09:55:39 | 珈琲の海

ポケットに手をつっこんで
胸をそらし 肩をはって
いかにもおれは痛いんだという顔で
大股で カッコいいつもりで
歩くのは もうやめなさい

顎をそらしぎみに 口をへの字にして
本当はいやなんだよ おまえなんかって
おまえのせいで おれは辛いんだよって
そんな感じでポーズをとって
要するに 
おれのほうが偉いんだよって
言いたいんでしょう
とっくの昔にばれてるから
もうやめてください

昔はそれでも なんとかなってたの
わたしのほうが下に出れば
あなたがカッコいいことになるから
いかにも偉そうに歩くあなたの
後ろから小さくなってついていった
そうするとあなたがとてもよく見えるから
女の人はそんなこと
ずっとやってきたんですよ
ひとりで肩をいからせて歩いたって
世間につっぱってカッコつけてる
阿呆にしかみえないもの

それはもう そろそろやめないと
本当に女の人に嫌われるように
なりますよ
女の人だけじゃない
世間様にも苦い顔をされるように
なりますよ

だんだんとね 変わってきてるのよ
男の人が 変にカッコつけるのは
馬鹿な子供のすることになってきてるのよ
もうやめなさいね
ほんとうに偉い人は
そんな歩き方はしませんよ
偉そうにして
人を自分より下に見ようなんてこと
しませんよ

カッコつけて歩くのは
そうね もう15歳で終わりね
高校生になったら やめなくてはね
今までは 男はいつまでも子供だよって
そんなことを言って
いろんなことをごまかしてたけど
もうそろそろ通用しなくなるわよ
考えてることがすぐにばれるから
恥ずかしいことはもうよしましょうよ
かっこつけなくたって
わたしはあなたといつもいっしょだから

普通に歩くだけで
男の人はとても立派にみえますよ
良い人はとても美しくみえますよ
なんにもカッコつけなくたって
その人のやっていることが
美しいからだってわかるのよ
いい男の人だなあって
みんなが思うわよ

わたしはわかってるから
もうずっと我慢してもいいけど
ちょっとつらいなって感じたら
さっとよけちゃうから
だいぶコツをおぼえたわよ

一緒に年をとるっていうのは
こういうことなのねえ
なんだか馬鹿みたいねえ
夫婦っていうのは












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サタン

2011-10-19 13:19:08 | 珈琲の海

(「誘惑を受けるキリスト」ドゥオッチョ)


おれはぜんぶやらないで
いっつもほかのやつにやらせてたの
ずういぶん馬鹿だっていって
なんでもつらいやつにやらせたの
で おれはなんもしないのよ
ばあかだっていうだけなんだよ
ほれで ずっとやってきたら
なあんもできねえのよ おれは
いたいことしかできねえの
つらいことしか言えねえの

なんでなんだなんでなんだ
勉強すればいいじゃないかって
つらいやつはいうけど
いやなやつに馬鹿にされるからいやなんだ
ぜんぶにかっぺだって言われて
馬鹿にされるのがこわいんだ
ほんなことするわけねえよって
いわれても
ぜったいいやなんだ
なんべんもなんべんも
つらいつらいつらいって
ぜんぶ馬鹿にして
痛いことにして
すっげえおれってことにして
つらいことするほうがいいんだ

馬鹿はみんな馬鹿だよ
つれえことできねえの
なんでおれ馬鹿なんだよ
つらいんだよ つらいんだよ
どうしたってどうしたって
ぜんぶ馬鹿にできる
すっげえもんになりたかったの
おっそろしいつらいあほになりたかったのよ
ぜええんぶ馬鹿になったよ
あほはぜんぶ馬鹿だよ
いやなことばかりやって
大変なことになって
ほれで なんとかしろっていわれても
なにもできねえもんだから
いっつもつれえやつにやってもらうの
おれは馬鹿なんだ ぜんぶ馬鹿なんだ
いやだ いやだよ
つらいよ つらいよ

なんでもやって なんぼでもやって
うそみたいに馬鹿がえらいことにしてみたら
とんでもないひどいことになったんだよ
ほれみんなぜんぶやってもらってんの
じんるいがひどいことにならないように
みんながなんとかしてくれてんの
おれはなんもできねえのよ
つらいことみんなにやれっていったのは
おれなのに
つらいっていってぜんぶやらしたのは
おれなのに
おれはやっぱりなんもしないの
なんでって
ぜったい馬鹿だからだよ
いやなんだよ
つらいんだよ
なんぼでもなんぼでも馬鹿は馬鹿なんだ
もうだめなんだ あ ほ ばっかりだ

つらいやつはみんな
なんでもやってるよ
すごいことでもつらいことでも
なんでもやって
なんとかしてるよ
いたいんだよ ぞっとするよ
いやなんだ
ぜんぶ馬鹿だ
なんでおれやらないの?
すぐにできるのに
痛ましい馬鹿は
なんでなんもしねえのよ

いやなんだよ








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がんばろうな

2011-10-18 18:11:25 | 珈琲の海

いっこもわるいことしてへんのに
なんでか人にいじめられるんはね
あほがやってるかもよ
なんでてね
あほは つねにいやなことやずるいこと
ようするもんやから
じぶんが好かんのよ
ほれでね あんたみたいな
こころねのかわいい
ええことするようなこぉが
ごっついいやなのよ

あほはええこがねたましいて
くるしいてならんのよ
ほんでね あんたのやったことは
ほんのちょっとのことでも
いたいことにして ばかにして
あほみたいなことして
あんたあほやあっていうのんよ
あっぱれにえらそうに
ぜんいんでいうのんよ

ほんまはね
ずるいことした自分が
ごっついいやなのよ
いつもいやなのよ
ほんでずっと苦しいのよ
ほなから あんたのこと
ぜんぶ馬鹿やっていうて
おらんかったらええのにって
あほはあんまりにひどいのよ
あんまりにも馬鹿なのよ
ほんなことをへえきでいうのよ

つらいこと言われることがあっても
自分はあほやとは思わんときよ
あんたはええこぉやから
ちゃんと神様は知ってなさるから

あほはつらいんや
ひどいことをへえきでするよ
きたないことへえきでするよ
かくれたところで
ずいぶんとずるいことをするよ
なんともおもわんと
ほんなことやれるのよ

つらいことばっかりするから
常に苦しいのに
あほはあほをやめんのよ
つらいからずるいことして
みいなあかんようにして
いっとう自分をええことにするのよ
つらいほど痛いのよ

あほはね
ひとのつらさがわからんのよ
勉強しとらんから
心に大事なことがわからんのよ
だからいやなこと
つらいともおもわんと
さらってやってしまうよ
あんまりにつらいよ

あほにおうたらな
もう我慢するしかないんや 今は
ずるいことするやつには
まだ勝てん時代なのよ
ほんでも 
だんだんあほは馬鹿になってきてるから
苦しいことは少しずつ
なくなってくるよ

がんばろうな











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砂の手

2011-10-17 15:41:14 | 珈琲の海

わたしの右手は 砂でできている
そのために わたしのなしたことはいつも
砂のように崩れてゆく
あとには何も残らない
何をしても 何をしても
どのようにしても どのようにしても
どれだけ どれだけ苦心しようと
すべては砂に帰してゆく

神はすべてをご存じだ
なぜこうなるのか
それはわたしが
してはならないことを
この右手でやったからだ

つらいことではない
何度もやり直すことは
そう苦にはならない
なぜならなそうとすることが
わたしにとっては尊いからだ
たとえ最後には崩れ去り
すべてが無に帰するとわかっていても
なしたことのために
わたしが費やした汗と知恵と
労働に鍛えられた硬い意志が残る

何をやっても無駄なのにと
嗤うものもいるが
わたしは わたしをやりたいのだ
結末がわかっていても
ただただ わたしのわたしをやりたいのだ
どんなにみごとなものを作ろうとも
神の吐息のように風がすべてを吹き流してゆく
それもまたいいと思えばいい

遠い遠い時の果て
わたしが馬鹿だった頃の傷跡が
世界に大きく残っているのを
今のわたしはくっきりと見ることができる
わたしたちのために
世界がどのように傷の痛みに耐えていたかを
ようやく知りえたのは
すべてが去っていってしまった後だった

彼方から吹いてくる風が
かすかな銀の砂をわたしの目に運んでくる
涙は止まらない

わたしは忘れられているわけではないのだ
遠い彼方にいる人たちは
わたしを忘れてはいないのだ
わたしは砂の手を虚空にあげ
天上の月を指さし
地に立てた足を踏みしめ
深々と頭を下げる
神よ
人々よ

わたしは今日も
愛するものの姿を
月下の砂で織りあげる













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キリストの磔刑

2011-10-16 11:55:13 | アートの小箱

(「キリストの磔刑」シモーネ・マルティーニ)

さて、あるファリサイ派の人が、一緒に食事をしてほしいと願ったので、イエスはその家に入って食事の席につかれた。この町にひとりの罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席についておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持ってきて、後ろからイエスの足元に近寄り、泣きながらその足を涙で濡らし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。イエスを招待したファリサイ派の人はこれを見て、「この人がもし預言者なら自分にふれている女がだれで、どんな人かわかるはずだ。罪深い女なのに」と思った。(略)「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足を濡らし、髪の毛でぬぐってくれた。あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしにしめした愛の大きさでわかる。赦されることの少ないものは、愛することも少ない」そして、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。(新約聖書「ルカによる福音書7」より)


この世界には、女性だけが落ちる恐ろしい地獄がある。そこに落ちた女性は、そこの主(あるじ)によって、信じられない屈辱的なことを、男のためにするように要求される。女は逃げることも反抗することも許されない。男たちはその女に要求をのませ、すべてをやったのち、右手で金を払い、左手で女を指さし、馬鹿な女だと嗤う。

罪深き女というが、罪はどちらにあるのか。

多く愛する者は、多く許されると、イエスは罪深いと言われた女を慰め、許した。この地上で最も苦しい仕事の一つをやっている女性のために、男がかけたやさしい言葉は、わたしが知っている限り、イエスの言ったこの言葉だけである。

わたしは、その女性たちのために言う。あなたたちが一番、女性の中で清いのだと。
なぜなら彼女たちは、男の、もっとも苦しく罪深い病を、日々、癒しているからである。あなた方以上に美しい女性はいないとわたしはいう。

そしていつか、そういう女性が地上から全くいなくなることを、神に願う。


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ホロフェルネスの首を斬るユディト

2011-10-15 10:32:17 | アートの小箱

(「ホロフェルネスの首を斬るユディト」アルテミシア・ジェンティレスキ)

少し前にも、キリスト教絵画の世界では、男性が無残に殺されるという図が多いと書きましたが、これもその一つです。出典は旧約聖書外典のひとつである「ユディト記」から。

ユダヤの町ベツリアがアッシリアの軍に包囲されたとき、この町に住む美しい寡婦ユディトは町を救うためアッシリア軍の司令官ホロフェルネスのもとに飛び込む。彼女の美しさにホロフェルネスは気を許し、彼女を酒宴にまねく。ユディトはその夜、泥酔して眠るホロフェルネスの首を彼の短剣で斬り落とし、夜の闇にまぎれ、殺した男の首を持って町へと逃げ去る。司令官を失ったアッシリア軍は動揺し、ユダヤ軍の反撃のもとベツリアから去ってゆく。

こうしてユディトは町を救ったのですが、この話をもとにした絵画は多くの画家によって描かれています。中でもこのアルテミシア・ジェンティレスキの描いたユディトの図は見るものがぞっとするほど、凄惨です。

男の髪をつかんでしっかりと押さえながら、首にナイフを入れてゆく。大動脈から躍り出る血しぶき、短剣を持つユディトの手のゆるぎない力強さ。

画家アルテミシアは、画家としての成功は手に入れましたが、若いころに、絵画の師によって何度も辱めを受けるという、耐えがたき経験がありました。彼女はそれを訴えましたが、それも返って彼女を辱めることになっただけで、男は無罪となり解放されました。

アルテミシアはのちに結婚していますが、この絵をみると、男性に対する強い怨念を感じざるを得ません。よほどつらかったのでしょう。憎かったのでしょう。彼女の生きた時代には、女性はかなり低い立場にあったのです。おそらく、彼女が経験したようなことを経験した女性は、たくさんいたでしょう。男性は、古い古い時代から、こうして、女性を馬鹿にしてきたのです。

現代でも、性的被害にあった女性の苦しみは、アルテミシアの時代とそう変わってはいません。その男を、殺したいほど憎いと思うのは自然な感情です。それをやった男は、女性の心身に、洗い落とせぬ屈辱のあとを残していったのです。

わたしは思う。男性は、こういう女性の屈辱的経験に対して、どういう思いを持っているのか。女性に屈辱を与えた男はもちろんのこと、女性に触れたことすらない男性に対しても、聞いてみたい。長い長い間、女性が、このような屈辱にどれだけ苦しみ、耐えてきたかについて、男性はどう思っているのか。

答えられる人がいるのなら答えてほしい。ことこのことに関しては、男はだれひとり、何も語ったことがないのです。






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2011-10-14 17:49:27 | 詩集・貝の琴

月天の丘の下を
馬鹿が転がっていく
ついに得た神の苦い御しるしを
なめながら 転がってゆく
あーいーを 馬鹿なものといった
馬鹿は 真実の苦みに
凍りつくほど震えながら
へらへらと笑い
いーやーだー という

つうらあい つうらあい
つうらあい
いーたーまーしーい いーたーまーしーい

積み重なった時の塩に
どっぷりと漬かって
あまい あまい あまいものに
おれはなりたいという
神よ
全世界の神よ
ゆうるうしいたあまあええええ
ゆうるうしいたあまあええええ

わるかった
わるかった
わるかった
ゆうるうしいたあまあええええ
ゆうるうしいたあまあええええ

つらい つらい つらい
つらい つらい つらい

ゆうるうしいたあまあええええ

銀の鈴を鳴らしながら
月下の砂丘に降りて来るものがいる
それがだれか
今は知りたくない
なんとなくわかっているが
決して知りたくはない

痛い馬鹿は鈴の音に背を向け
経のようにただくりかえす
ゆうるうしいたあまあえええええ
ゆうるうしいたあまあえええええ

どこにいけばいい
なんといえばいい
すべてを暗闇に塗りつぶして
なかったことにしたいことを
なかったことにしたい
だのに
月だけはそれを明々と照らしだす

(わるかった)
ことばにならぬことばを
肺の中にためこみ
鈴の音の去っていく気配を耳が探る
神の苦い飴をなめながら振り向く
月光の下に誰かがいたその輪郭が
かすかな匂いとなって残っている
おれは
ぜんぶ 馬鹿だ











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月照の生か 混沌の死か

2011-10-13 09:44:16 | 詩集・貝の琴

その道をゆくな
その道をゆくな
たとえ永久に近い時がかかろうとも
木片でつくられた不器用な人形のように
馬鹿にならなくてはならないとしても
今のおまえに
もっともよい道をゆけ
そちらなら必ず 月が照らしてくれる
生きてゆける

 つらい つらい つらい
 あんまりだ あんまりだ あんまりだ
 ぜんぶ ぜんぶ いやだ

その道をゆくな
その道は永久の道だ
決して目的地にゆきつくことのない
混沌の道だ
あなたは生きてゆけない
今まで自分が吐いてきた毒を
すべて口に詰められて
永久を測る時計の砂の中で
じっくりと罪に燃やされていく
おわりのない永い時を
あなたは死者の死者として
石のように打ち捨てられる
自分自身によって

屈辱に耐えよ
苦いプライドは捨てよ
生きることだ
生きてさえいれば
あなたの魂はいつか必ずゆき着く
ゆくべき所にゆき着く
永久に近い道ならば
どんなに永くとも 苦しくとも
終わりは来るのだから

月照の生か
混沌の死か
さあ今 自分で決めたまえ











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聖セバスティアヌス

2011-10-12 13:48:15 | アートの小箱

(「聖セバスティアヌス」サンドロ・ボッティチェリ)


唐突だが、キリストの磔刑像は、わたしにはまるで人が自分自身に釘を打ったかのような姿に見える。聖セバスティアヌスの殉教もそうだ。キリスト教の絵画の世界では、男性はむごい殺され方をした姿で描かれることが多い。対照的に、聖母マリアは、光り輝かんばかりに美しく描かれる。

わたしは、これは男性の深層意識にあった一種の贖罪の意識が表面化して画家に描かせたものではないかと考えたりする。

男性は女性に、今まで相当にひどいことをしてきた。男女間でもめごとがあれば、男はたいてい女が悪いことにしてきた。女性を男性より劣ったものとしてみなして、便利にセックスできるように、女性はだれも男より馬鹿なものだということにしてきた。永い永い間、罪の意識すらなく、男性は簡単に女性の心をふみにじってきた。そんな男性の意識か無意識の中には、女性に対する強烈な罪の叫びがあるような気がする。いっそ殺してくれと言わんばかりに、人類の男性は磔刑にされたキリストや木に縛り付けられ射殺された聖セバスティアヌスを見上げる。そして、密室で吐いた溜息のように、胸に隠し続けている痛い思いを、なんとか浄化しようとしているのかもしれない。

自分たちは本当は、こんな風に殺されなければいけないようなことを、おんなにしているのだと。

もちろん絵画の世界では、立派な男性の姿を描いたものも多いが、たとえば豪華な王冠をかぶり毛皮のローブを引きずったどこかの立派な王よりも、馬に乗って高々と腕を上げる雄々しい姿の英雄よりも、ずっと、木の十字架にはりつけられた彼の男の方が美しく、偉いのだ。痛々しいほどみじめな姿で死んでいる男の像を、人々はずっとあがめたてまつってきた。あれこそが真の人間の姿だといわんばかりに、十字架は空高くつきだされ、あがめられる。キリストは、男の罪の結果を教えるために、人々に馬鹿にされ、むごい罵倒をあびながら死んだのかもしれない。






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