世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

砂の手

2011-10-17 15:41:14 | 珈琲の海

わたしの右手は 砂でできている
そのために わたしのなしたことはいつも
砂のように崩れてゆく
あとには何も残らない
何をしても 何をしても
どのようにしても どのようにしても
どれだけ どれだけ苦心しようと
すべては砂に帰してゆく

神はすべてをご存じだ
なぜこうなるのか
それはわたしが
してはならないことを
この右手でやったからだ

つらいことではない
何度もやり直すことは
そう苦にはならない
なぜならなそうとすることが
わたしにとっては尊いからだ
たとえ最後には崩れ去り
すべてが無に帰するとわかっていても
なしたことのために
わたしが費やした汗と知恵と
労働に鍛えられた硬い意志が残る

何をやっても無駄なのにと
嗤うものもいるが
わたしは わたしをやりたいのだ
結末がわかっていても
ただただ わたしのわたしをやりたいのだ
どんなにみごとなものを作ろうとも
神の吐息のように風がすべてを吹き流してゆく
それもまたいいと思えばいい

遠い遠い時の果て
わたしが馬鹿だった頃の傷跡が
世界に大きく残っているのを
今のわたしはくっきりと見ることができる
わたしたちのために
世界がどのように傷の痛みに耐えていたかを
ようやく知りえたのは
すべてが去っていってしまった後だった

彼方から吹いてくる風が
かすかな銀の砂をわたしの目に運んでくる
涙は止まらない

わたしは忘れられているわけではないのだ
遠い彼方にいる人たちは
わたしを忘れてはいないのだ
わたしは砂の手を虚空にあげ
天上の月を指さし
地に立てた足を踏みしめ
深々と頭を下げる
神よ
人々よ

わたしは今日も
愛するものの姿を
月下の砂で織りあげる












この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« キリストの磔刑 | トップ | がんばろうな »
最新の画像もっと見る

珈琲の海」カテゴリの最新記事