神の庭で励め男 励め女。
ともにはたらけ。
ともにうたえ。
コクリが咲けば稲を刈れ。
稲を刈れば干してつけ。
ついて煮て食え。
うれしかろう。
アシメックは自然に新しい歌を歌った。その歌を聞いて、周りにいるものが真似した。節がよかったので、次々にみんなが真似して広がっていった。面白いと感じた子供がすぐにそれを覚えた。そうやって今年も、新しい歌が生まれた。いいことがあったら、人間は自然に歌を作るのだ。いい歌は子供が真っ先に覚えて、ずっと忘れない。そして長い世を伝えられていき、村の財産にもなるのである。
稲刈りは七日ほども続いた。あらかた刈り終わってしまうと、人々は鉄のナイフをエルヅに返し、次の仕事を始めた。エルヅのしごとは、宝蔵で鉄のナイフの手入れをすることだ。
ほかの連中は、稲の乾燥場に行って働いた。広くとられた稲の乾燥場には一面に茣蓙がしかれ、その上に稲の穂先をきれいに並べて稲を干した。馬鹿なやつらや行儀の悪い鳥がきて盗まないように、交代で男が見張りをした。そして七日も干されると、今度は木のへらで稲をたたいて、籾をとる。
アシメックは稲がほどよく乾いてきたところを見計らって、また声をあげた。
「さあみんな、そろそろたたくぞ」
アシメックの声は快い。みんなの体が自然に動いた。家から木のヘラを持って来て、風に起こされた風紋のように、乾燥場で働き始める。籾をとるのは根気がいる仕事だ。熱心にやってくれるものもいるが、集中するのが難しいものもいる。そういうもののために、労働歌が歌われた。歌うのや拍子をとるのがうまいやつが、作業場の隅に陣取って、丸太をたたいたり弓の弦をはじいたりして、威勢のいい歌を歌う。みなも、それに合わせて歌を歌いながら、リズムよく稲をたたき、もみをとっていた。
そうやってとられた籾は、土器の壺に入れられ、稲蔵に保存された。稲がすばらしいのは、毎年信じられないほどたくさんの米がとれることだ。エルヅがきて、ことしとれた米の壺の数を数えた。その数を聞いて、みなが嬉しそうに声をあげた。
「これでまたたくさん米が食えるな」
「米はうまいからな」
涙を流しているやつもいた。苦労をした甲斐があるってのはこういうことか、というやつがいた。うれしいうれしいと何度も叫ぶように言うやつがいた。
アシメックもうれしかった。みなが喜んでいることが何よりうれしかった。