球形ダイスの目

90%の空想と10%の事実

癒しへのテンプレート

2013-04-06 | 悪口・ストレス対策
※読み返すと、単に不満を書いている

こないだの続きみたいなこと言ってるけど。

ドビュッシーの原稿の肥やしにしようと"西洋音楽史"岡田暁生著 中公新書 ISBN4-12-101816-8
を読んでいたら、この間の話といい感じにリンクする記述が見つかったので引用したい。
但し、ロマン派の章なので直接原稿には関係ない。

(交響曲のような「真面目な」音楽とサロン音楽のような通俗的な音楽に対して)
"しかしながら、表面的な対立にもかかわらず、この二つの音楽文化の間には
 一つの共通項があることを見落としてはならない。
 それは、―(中略)― 「市民を感動させる」ということである。
 コンサートホールで目を閉じてブルックナーの交響曲のアダージョに真剣に耳を傾ける
 聴衆も、シャンデリアきらめくサロンでショパンを目にしながらセレブリティになった
 気分に浸る社交界の人々も、ともに煩わしい世事と労働の垢にまみれた日常からの解放を求めた。
 何か心を洗い流してくれる清らかなものを、夢と感動とファンタジーを、
 今風に言えば「癒し」を、魂を揺さぶる何かを、音楽の中に見出したのである。"

これ、ちょっといじれば"コピペ"化しちゃうんじゃないかというくらい汎用性の高い表現。

 △△な人々も、□□な人々も、ともに煩わしい◎◎にまみれた日常からの解放を求めた。
 何か心を洗い流してくれる清らかなものを、夢と感動とファンタジーを、
 今風に言えば「癒し」を、魂を揺さぶる何かを、※※の中に見出したのである。

※※の部分に自分の好きな芸術やフィクションものを入れればいくらでも対象が増えそう。

偏った宣伝とか、事実を伝えない報道とか、曲自体は特に良くもない流行歌とか、
質の低い創作物を垂れ流すWebサイトの嵐とか、世の中がそんななので、
実物より汚い夢と、興醒めと、見てて苛々する"幻想"。お笑いだ。
そんなものを盛り付けた皿は円盤投げよろしくどこかに放り投げたいのである。

今も昔も人の望みはそんなに変わらない。
差し出されるもの、放り投げたいもの、欲しいものは違っていると思うけれど。



19世紀は音楽の大衆化が始まり、その結果、アマチュアとプロという二分化の概念が生まれ、
避けられぬ現象として、聴衆の質の少なからぬ低下をもたらした。
そしてそういった聴衆を相手にするための曲作りの方法が開発されていった。

…これってどこかで聞いた話のような気がしませんか。

21世紀初頭では情報通信技術の大衆化が急速に進み、
その結果、一般市民にも世間に声を届ける環境が整備され、
あらゆる創作に対してアマチュアが介入し、避けられぬ現象として、
質の低い創作物が無数に出回るようになった。
そしてそういった民衆を相手にするためのコンテンツが開発されていった。

昔出てきたIT革命というもので、様々なもののマス化が進んだ。
その結果、とるにたらないものを良いものだとひたすら言われて押し付けられることも増えた。
音楽の歩んだ道と、これからの我々の歩む道。ある程度、似た道を歩むはず。




久々にゲームした(109-0)
コメント
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