球形ダイスの目

90%の空想と10%の事実

あおしまめぐをめぐる議論

2017-06-07 | 日常
昨日書いた記事の中で、
せっかく三重に観光に行くなら昨年に一部の話題をさらった志摩にでも行ってみようかと思う。

それと並行して、どういう場所に行くと自分がどんな気持ちになりやすいかということを整理してみたいとも思う。

自分の場合は…風景毎にどのように感じるのかというのは
ある程度はパターンがある。五感的アプローチ。


〇充実感を得やすいパターン
 船に乗ること
船の上というのは何か気持ちが不安定になる。水の音、モーターの音、潮の香り、代わり映えのしない光景、海から海。音や匂い、閉じた世界に閉じ込められたような感覚。それらに意識を委ねて、埋もれていくような感覚を僕は愛している。
世界遺産クラスの風景を眺めること
先日?見に行ったアンコール・ワットなんかがこれ。世界遺産は人の営みと共にある。建物であればこの建物が何故できたのか、建てた人は何を考えていたのか、それは今となってはどんな意味に見えるのか、なんて疑問がホテルに帰ってからじわじわと湧いてくる。それが多いほど、良い遺産と出会えたなどと自画自賛をしたりもする。   

△イマイチ記憶に残らないパターン
 展望台から風景を眺めること。
   地上とは違った視点でものが見えるわけで新鮮さや美しさは感じるのだが、旅行の思い出として後々まで印象に残ることはとても少ない。
心が休まっていると思うが、他のノイズに対しては結構無防備で、案外邪魔されることに対するストレスを感じやすい状態。勝手に面倒事を思い出して気分が重くなることも...って占いみたいだな。意外に風呂に入っているときに近い心境。船に乗っているときと違うのは、耳が空いているのが原因なんだろうか。
食事
それ自体は楽しいのだが、とかくあっという間に忘れる。その場を楽しむことに意識的に集中した方が良いと常々思う。

総じて、視覚情報頼りの場合はよほどのものを見ないとあまり印象に残らないようである。そんなわけで展望台に行くのは微妙かなと思う。やはり遊覧船が良いだろう。

例のごとく、タイトルを考えているときはあおしまめぐについての思いの丈をぶちまけようとしていたのに、途中で他に書きたいことがあることに気付いて内容をガラポンしてしまった例。

ちなみに題名のあおしまめぐ殿については、地元の海女さんに良く思われていない模様。イラストの性的な描写が不愉快なのだと。海女という地元の職をダシに萌え絵を書いているだけだろ、ということのようである。
キャラ付けは「一人前の海女を目指すドジっ子」というあってないようなキャラなので、そこは取りざたされない。

勝手な推測。地元の海女という職をモデルに可愛いイラストで書いている人がいたので、あまり難しいことは考えずに公認キャラにしようと思ったら反発が来て、市としても熱い気持ちで推す気もないし、周りの反応がヤバいし、公認取り下げました、感がかなりある。中途半端に世に出たために不遇な感じも受ける。よって僕はメグを少し応援している。


で、志摩のどこに行きたいんだっけ、結局良くわからん...(冒頭へ)
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 黄色くなったバラは昨日枯れて | トップ | 螺心院青斑霞大洋居士 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿