何か新しいことを早急に学ばなくてはいけないときに、
僕の運動神経が最低であることがいつも障害になります。
例えば楽器。
ゴーシュの某ページで色々参考になることが書いてあったりするのですが、擬音語が出てくると僕はもうダメ。
「ぐにゃぐにゃにする」「ペコペコにする」
…意味わからん。そしてできない。
色々苛々してしまいますが、まずは日本語から擬音語をなくしてぇなぁと思う七夕前日。
めるめるめる。
僕の運動神経が最低であることがいつも障害になります。
例えば楽器。
ゴーシュの某ページで色々参考になることが書いてあったりするのですが、擬音語が出てくると僕はもうダメ。
「ぐにゃぐにゃにする」「ペコペコにする」
…意味わからん。そしてできない。
色々苛々してしまいますが、まずは日本語から擬音語をなくしてぇなぁと思う七夕前日。
めるめるめる。
でも、良い点もあるってことは認識しないといけないかもね。
「衝ーーー突」 「爆発!」 「火」
↑ちなみにアメリカの漫画を訳すとこうなる。
言語以外の音を意味のある信号として捉える能力が高いのが日本人てことじゃないすかね。
しっかし擬音語を使って説明するのって
タブーな気がしますけど・・。
いやマクロな視点でわかれば良い時はいいんですけど(明らかに素人な人に概要を教えるときとか)
具体性が要求されてるときに擬音語が出されると
よくわからないですよねぇ・・。
某ミスター終身雇用監督(シュウマイ)
みたいですね。
擬態語や擬音語については昔から考えるところがあって、使われる場やその言葉をなんとなくチェックしています。
しかし、昨今では何かを説明するときに、圧倒的に擬音語が使われているような気がしますね、やはり。
それが許せなかった…
やわらかい表現手段として、
詩人が大事にすべき文化ではあるのですね。
説明時ではありませんが、
数年前メトロノームに合わせることを
「ぴっぴに合わせる」と呼ぶ習慣なんかに僕は脳みそをとろとろにしていました。
とろとろ。
わかる?