球形ダイスの目

90%の空想と10%の事実

自然と共に生きるin漫画喫茶

2009-04-06 | 技術
今日は先日ちょっと話題にした釣りキチ三平を読みに近場のpopeyeに出かけた。

 ワイド版で全部で37巻(普通ので65巻)という結構なボリュームと
1日でそこまで読みきる時間がないため今日は3時間で6巻までの読み込みとなったけれど、
読んでいてここまで人生を切り売りした作風は
最近見ないなーと感じるくらい、作者の愛がそこかしこに詰まっていて
非常に面白かった。

 コミックの途中で"何故ここでこの話を書いたか"というネタバレなんかが
書いてあって、大体彼が自分の体験をヒントに思ったことを形にしている。
こういうときにどう考えたらいいのか。子供の感受性みたいなのを保ったまま
それを漫画に昇華させている感じで、非常に共感が持てる。
生の人間の心の動き、時代は変わっても変わらないと
僕は思っているものが、次のページをたぐりたい気持ちにさせる。
別に今時の漫画を批判するつもりはないけれど、
今巷にあるものは現実感に乏しいものが相当ある。
それは"フィクションに現実感を持たせる必要はない"という
割り切りもあり表現の可能性の追求の意味で別な良さがあるけれど、
好みで言えば人(作者)の悩みや考えがはっきり刻まれている作品の方が僕は好きだ。

 ところでうちの職場には釣りを趣味としている印象の人が少なくとも二人いる。
今日読んだ内容では、釣りキチ的な釣りの魅力は釣り糸を垂らして
魚が来るのを待つようなゆったりしたものではなく、
季節、天気、水温などからどのような場所で、やり方で釣るかあたりをつけ、
それが正しいかどうかを考えることが挙げられていた。
なんだか仕事でやっている設計作業にきわめて近い内容を含んでおり、
偶然とは言い切れないような気がした。
あまり職場の人とプライベートな話はしないのでよくはわからないが、
あるいはやっぱり漫画に書いてあった内容のごとく、設計を行うように
釣りを行うのかもしれないなー、なんてことを思った。
本気でやろうとすると何をやろうとしてもその辺のことが肝になり、
場合によっては壁になることを思った。
何をやっても壁にぶち当たっている自分のことを思った。



 帰宅してからちょっと別なことを考える。よく"趣味はなんですか?"
という質問が存在するが、その時の気持ちでやることは随分違う。
状況(つまり冷静に見た優先順位)によってやることが違うと表現しないのは、
それは当然だからってのが一つあるが、その優先順位も我知らず変動することが
実感としてわかってきたからということがある。
だから、趣味を訊かれたときはそれがどんなに聴き手に鬱陶しくても
"…なときはこうで、…なときはこう"と答えるのが正確で誠実な
受け答えになるはずで、そういう答えを用意しなくてはいけないなと思った。





コメント
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