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mt77のblog

信州松本からの投稿(2004年11月11日~)

松本城 2016/1/12

2016-01-12 | 松本城
松本城 2016/1/12
今日はほぼ一日中、雲が薄っすらとかかったような空が広がっていました。
本日の最低気温は氷点下2.0度でしたが、視覚的にはもっと寒かったように感じました。
明日の最低気温は氷点下6度が予報されています。



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飛行機雲

2016-01-11 | 松本の景色
飛行機雲

飛行機雲

夕方4時半頃、西から東に向かって一機の飛行機が飛んでいました。
空中湿度が高いのか、奇麗に飛行機雲ができていました。



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松くい虫の被害

2016-01-11 | 松本の話題・情報
松本市近辺では松くい虫の被害が広がっていますが、

松くい虫の被害

松くい虫の被害

被害拡散を防ぐために被害木を切り倒した後にビニールシートで包み、薬剤によりくん蒸し、マツノザイセンチュウに感染しているマツノマダラカミキリの幼虫を駆除しています。
(写真は岡田地区で撮影)

その作業が被害に追いついていないのではないかと思うくらい、枯れている松が目立ちます。




※過去の松枯れに関するblog
  松本城 2015/12/16
  マツ枯れ
  松くい虫
  松本城公園の松くい虫防除
  







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馬場家住宅の「松本平の御柱展」

2016-01-11 | 松本の話題・情報
重文馬場家住宅で、今年も「松本平の御柱展」が平成28年1月17日まで開催されていて、松本平の29カ所の御柱(飾り御柱・御幣)がパネルで紹介されています。
行ってきました。

馬場家住宅の「松本平の御柱展」
梓川横沢地区の御柱が、松本市無形民族文化財に指定されたようです。

横沢東村地区の御柱
横沢東村地区の御柱(2014/1/4 撮影)。

横沢西村地区の御柱
横沢西村地区の御柱(2014/1/4 撮影)。


馬場家住宅の「松本平の御柱展」
御幣なども展示されています。








松本市内田横山地区の御柱
松本市内田北花見地区の御柱
松本市内田荒井地区の御柱
松本市梓川花見の御柱
松本市波田支所管内の御柱
塩尻市原村地区の御柱
塩尻市立小路地区の御柱
塩尻市赤津地区の御柱
塩尻市中村地区の御柱
塩尻市鍛冶屋久保在家地区の御柱
塩尻市山ノ神地区の御柱
塩尻市南原上手地区の御柱
安曇野市穂高柏原倉平の御柱
安曇野市穂高塚原中部の御柱
安曇野市三郷上町の御柱
安曇野市堀金田尻南木戸の御柱
安曇野市三郷一日市場東村の御柱
安曇野市三郷北小倉中村の御柱
安曇野市三郷北小倉上手村の御柱
安曇野市三郷北小倉下村の御柱



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大岡 芦ノ尻道祖神

2016-01-10 | 県内市町村
今日は長野市大岡にある芦ノ尻道祖神を見に行ってきました。
松本から高速に乗り、麻績インターで下道に下り、長野県道12号丸子信州新線を大岡芦ノ尻地区へ向かって進みます。



20分程走ると道路にこんな感じで5台ほどの駐車スペースがある場所が見えてきます。
ここに目的の芦ノ尻道祖神があります。
※写真は通り過ごしてから駐車スペースに駐車してから撮影しています。
初めて行っても見落とす事は無いとおもいます。

2016年 大岡 芦ノ尻道祖神

2016年 大岡 芦ノ尻道祖神

2016年 大岡 芦ノ尻道祖神

2016年 大岡 芦ノ尻道祖神



芦ノ尻の道祖神が見詰めている北アルプスの山並み。
今日は雲がかかっていて綺麗に見る事が出来ませんでした。

芦ノ尻道祖神の説明板
芦ノ尻道祖神の説明板。

芦ノ尻道祖神の説明板
芦ノ尻道祖神の説明板。



芦ノ尻道祖神の前に供えられている御神酒樽。


芦ノ尻道祖神の前に供えられている肴(鯛)。


芦ノ尻道祖神の前に供えられている三つ重ねの酒杯。




コメント (2)
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紅梅

2016-01-10 | 松本の植物
テレビのニュース等で、暖冬の影響のためか梅や桜や皐月が季節はずれの開花と報じられています。
松本市も例外でなく『rwのつれづれ』様信大の梅の写真を1月4日にblogに掲載されています。



私も、とある民家の庭に紅梅が咲いているのを見つける事ができました。



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三九郎いろいろ

2016-01-09 | 松本の話題・情報
今日はあちこちで三九郎がたてられたようです。

三九郎

三九郎

三九郎

三九郎

三九郎

地区によって使われる材料も様々のようです。


今日、明日、明々後日の三日間で、この松本平では400~500程の三九郎に火が点けけられます。


コメント (6)
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降雪 2016/1/9

2016-01-09 | 松本の話題・情報
雪道のタイヤの跡
夜間に少し雪が舞い降りたようで、道路が薄っすらと白くなっていました。
写真は7時頃に撮影しましたが、車のタイヤの跡が沢山ついていました。
我が家に新聞を届けてくれた配達員の方の車の後もあると思います。



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松本城 2016/1/8

2016-01-08 | 松本城
霧の松本城 2016/1/8

霧の松本城 2016/1/8

霧の松本城 2016/1/8



霧の松本城 2016/1/8

霧に霞む松本城です。


氷点下4.8度の朝、お堀の水面からは水蒸気が上がっていました。
撮影した時間は午前8時頃ですが、すでにアジア系外国人の一行40人程が観光をしていました。





そんなアジア系外国人には一切関心を示さずに、コガモ(小鴨)が朝食をとっていました。

松本城のコガモ(小鴨)

松本城のコガモ(小鴨)



コメント (4)
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氷点下4.8度の朝

2016-01-08 | 松本の話題・情報

今朝の最低気温は沢村のアメダスのデータで氷点下4.8度。
ちょっと冷え込みました。
田川の土手のシナダレスズメガヤ(撓垂雀茅)の枯葉にもびっしりと霜がついていました。
出勤前の自家用車にも霜がたくさんついていましたので、今朝は暖気運転を5分程行いました。




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第30回国宝松本城氷彫フェステバルの立て看板

2016-01-08 | 松本の話題・情報
第30回国宝松本城氷彫フェステバルの立て看板

松本城公園に第30回国宝松本城氷彫フェスティバルの立て看板が立てられていました。


日程は、平成28年1月23日(土)~24日(日)で開催されるようです。


現在のような気温では、開催が危ぶまれます。
この時だけは冷え込んでほしいものです。











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細い月と金星と土星

2016-01-07 | 松本の景色
細い月と金星と土星

七草粥を食べる今日1月7日、未明から明け方にかけて南東の空に月齢26の細い月と金星と土星が接近するという情報をいただきましたので、撮影してみました。
東山のちょっと上部に見えていたため、昨年のクリスマスの時の満月を撮った時のように物干し竿にカメラを固定する事が出来ず手持ち撮影でしたのでぼけてしまいましたが、位置関係だけはわかる写真が撮れました。
上から月、金星、土星と言う事のようです。
星座はオリオン星座しか分からない(知らない)私ですが、他の方のblogを拝見させていただいて情報を得、分からないなりに楽しませていただいています。







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和蘭「初音」

2016-01-07 | 我が家の植物
和蘭「初音」

2011年の12月31 日にその年の頑張りに対して自分達へのご褒美として、正月に相応しい「初音」という品種の和蘭を購入しました。
その後、2012年、2013年、2014年と毎年蕾を付けて花を咲かせてくれました。
2014年の春に鉢が小さくなってしまいましたので大きな鉢に入れ、用土を足し入れ管理しましたが2015年の正月には残念ながら花をつけてくれませんでした。
今期一年振りに花を咲かせてくれました。(2015年の12月から咲いています。)
和蘭は、㈱向山蘭園が洋蘭と東洋蘭を交配し作出したもので、落ち着いた雰囲気を持つ蘭です。
我が家で育てた感じでは、東洋蘭の遺伝子が入っていますので、管理がしやすく、結構ほったらかしでも花芽を沢山つけてくれます。





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常念岳 2016/1/6

2016-01-06 | 常念岳
常念岳 216/1/6
朝8時頃の常念岳です。
シャッターを押した時に目の前をカラスが横切って行きました。

北アルプスの山並み
北アルプスの山並み。



≪ちょいと情報≫

昨年12月15日の信濃毎日新聞の記事に、『「信濃の国」30代は歌えない? 県歌50周年を前に県調査 』という記事があり、へえーーと感じていたのですが、 1月5日付の毎日新聞でもこれについての記事が配信されたようです。

以下記事の抜粋です。 
信濃の国は十州に--。
長野県が「県民は全員歌える」と誇ってきた県歌「信濃の国」を、県民の1割近くが全く歌えないことが、県のアンケート調査で初めて明らかになった。
30代に歌えない人が目立った。ほとんどの小学校で県歌を教えることが県民への高い浸透率を支えているが、県によると学校で県歌を教えない時期があったとみられる。
調査は長野県在住の1202人を対象に実施。
794人が回答した。
全部または1番を歌える」と答えたのは79.4%、「部分的に歌える」を含めると90.7%に及んだ。
「メロディーは知っているが歌えない」は7.4%、「メロディーも知らないので歌えない」は1.4%で、「信濃の国」を歌えない人は1割弱となった。
「信濃の国」は1900年に教材として制作された。県の北部と南部が対立し「分県論」が噴出した40年代後半、県議会で傍聴席などから合唱が起きて対立を鎮めたという実話が残る。
68年に県民意識を高めようと、県歌となった。
と言う事でした。


長野県のホームページには、県歌「信濃の国」についてのページがあります。
(以下は長野県のご了承をいただきホームページの内容を転載させていただきました。)

県歌「信濃の国」について(出典 長野県ホームページ)
「信濃の国」は、1899年(明治32年)に長野県師範学校教諭の浅井洌(きよし)が作詞、翌1900年(明治33年)に同校教諭の北村季晴(すえはる)が作曲しました。
「信濃の国」はもともと信濃教育会(注)が作った唱歌です。
当時は教育の場にも日清戦争の影響が及んでおり、これを心配した同会が戦争とは離れたテーマを教材とすることを目的に長野師範学校の教諭に作成を依頼したもので、「地理歴史唱歌」6作品の中の1つでした。
1900年(明治33年)10月に行われた師範学校の運動会で女子部生徒の遊戯(今でいえばダンス)に使われたのが、「信濃の国」が初めて披露された場であるといわれています。
その後「信濃の国」は、師範学校の卒業生が県内の学校で生徒に教えたことにより各地に広がり、歳月を経て、親から子へ、子から孫へという形で歌い継がれてきました。

昭和41年に県章やシンボルを決定した際、「信濃の国」を県民意識の高揚のために県歌に制定してはどうかという気運が盛り上がり、昭和43年5月20日に「信濃の国」が県歌として制定されました。こうして「長野県民のほとんどが歌える」と言われる県歌が誕生したのです。
(注)信濃教育会:現在の公益社団法人信濃教育会。長野県の教育向上を図る目的で設立された、県下の小・中・高・特別支援等学校及び大学の教職員等教員による団体。研修や教育・学術図書の研究などを実施。

以上です。

県歌「信濃の国」を、9割もの長野県民が歌えるととらえるか、長野県民の1割が歌えないととらえるか、ですかね。
過去を振り返って、私が最後に県歌「信濃の国」を歌ったのは、昨年4月に沖縄を旅行した際に夕食をとった料亭那覇ででした。

私自身、「信濃の国」を歌う機会が減っているのは確かです。



国際宇宙ステーションに滞在した、長野県出身の宇宙飛行士である油井亀美也さんは、ISS到着後の通信回線で結んだ約20分間の東京事務所との記者会見の中で、「信濃の国は十州に」と県歌の「信濃の国」を歌う場面もあったそうです。
宇宙でも信濃の国が歌われていたのですね。







第一章 信濃の国は十州に 境連ぬる国にして
      聳ゆる山はいや高く 流るる川はいや通し
      松本伊那佐久善光寺 四つの平は肥沃の地
      海こそなけれ物さわに 万ず足らわぬ事ぞなき

第二章 四方に聳ゆる山々は 御嶽乗鞍駒ヶ岳
      浅間は殊に活火山 いずれも国の鎮めなり
      流れ淀まずゆく水は 北に犀川千曲川
      南に木曽川天竜川 これまた国の固めなり

第三章 木曽の谷には真木茂り 諏訪の湖には魚多し
      民のかせぎも豊かにて 五穀の実らぬ里やある
      しかのみならず桑とりて 蚕飼いの業の打ちひらけ
      細きよすがも軽からぬ 国の命を繋ぐなり

第四章 尋ねまほしき園原や 旅のやどりの寝覚の床
      木曽の棧かけし世も 心してゆけ久米路橋
      くる人多き筑摩の湯 月の名にたつ姨捨山
      しるき名所と風雅士が 詩歌に詠てぞ伝えたる

第五章 旭将軍義仲も 仁科の五郎信盛も
      春台太宰先生も 象山佐久間先生も
      皆此国の人にして 文武の誉たぐいなく
      山と聳えて世に仰ぎ 川と流れて名は尽ず

第六章 吾妻はやとし日本武 嘆き給いし碓氷山
      穿つ隧道二十六 夢にもこゆる汽車の道
      みち一筋に学びなば 昔の人にや劣るべき
      古来山河の秀でたる 国は偉人のある習い



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我が家の松本弁 「うでゆ」

2016-01-06 | 我が家の松本弁
我が家の松本弁 「うでゆ」

「うでゆ」は「茹で湯」や「蕎麦湯」の意。

※写真は蕎麦猪口に注いだ蕎麦の「うでゆ」です。


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