牛込日乘

日々の雜記と備忘録

東京の夏

2006-07-30 22:56:08 | Weblog
 今週末は神楽坂も夏祭りで、昨晩は阿波踊り大会が開催されていた(本日は不明)。
 本日関東地方も梅雨明け。長い雨の日々が終わったあとの七月末というのは、私にとっては一年で一番心躍る時季である。が、そんな日々も今年は二日だけしか存在しないのであった。ともあれ今日はその貴重な一日に相応しい、夏の東京では珍しいカラッとした晴天。午後は新宿伊勢丹に赴き、懸案だった内祝の手配をする。

 今年は浴衣を着た若い男女、あるいは外国人の姿を目にすることがやけに多い。一種の流行なのかもしれないが、若い女性はともかく茶髪の哥いの浴衣姿というのはどうもいけない。何か企んでいそうな、いや別に企んだっていいのだが、性急な浮き足立った立居振舞にその企みを台無しにしかねない危うさが漂っていて、見ていて辛くなるのである。まあ、はっきり言って余計なお世話である。

粕谷一希著『中央公論社と私』(文藝春秋、1999)

2006-07-29 23:42:41 | Book Review

 著者は1930年東京生れ、舊制一高を經て1955年東大法學部卒、同年中央公論社に入社。「思想の科學」「婦人公論」編輯部を經て「中央公論」「歴史と人物」編輯長を勤め、1978年退社してゐる。著書に『二十にして心朽ちたり』『面白きこともなき世を面白く』などがあるほか、「アスティオン」「外交フォーラム」「東京人」編輯長の經驗もある。戰後の出版、雜誌ジャーナリズムの王道を歩んだ言論人と言へるだらう。


 中央公論社が經營危機の爲に讀賣新聞社の資本傘下に入つたのは1999年2月、本書は同年11月の發行。<第一部 囘想>は1997年秋號から翌98年秋號まで季刊「アスティオン」に連載されたものに書下ろしが加はつてゐる。<第二部 修羅と哀惜>は中公の讀賣への身賣り後に「諸君!」に掲載された。


 超一流の言論誌、綜合雜誌だった中央公論の編輯者として、著者はアカデミズム、ジャーナリズム、文壇、そして政治經濟の世界を駈け囘る。和辻哲郎、幸田文、鶴見俊輔、吉田茂、梅棹忠夫、田中美知太郎、今西錦司等々錚々たる人物たちに歴史に殘る論文や作品の執筆を依頼。一方で高坂正堯、山崎正和ら後のオピニオン・リーダーたちをデビューさせている。


 この戰後出版ジャーナリズムの狂言廻しによる囘顧録は、そのまま戰後日本の論壇史、文壇史、政治史の一側面を總覽するダイジェストと言つても良いだらう。著者の中公在籍の時代は、戰後のどん底を脱した高度經濟成長の助走期から軟着陸期までをカバーしてゐる。基本的に安定成長を續ける經濟状況と、55年體制と言ふ大きな政治的・思想的な枠組の中で、アカデミズム、ジャーナリズム、文壇、政治經濟がそれぞれの領域で確たる世界を構成していたことに、改めて感慨を持つた。明快なる激動の時代――昭和は遠くなりにけり。


 最終的に語られるのは、中央公論社というひとつの組織が内部から崩潰していく過程である。日本の出版社のほとんどは大手版元といへども一族經營による中小企業であり(一部例外もあるが)、トップダウンがうまく機能してゐるときは良いが、一度狂ひ始めると齒止めがきかない。中央公論にとつて不幸だつたのは、1960年の「風流夢譚」事件でテロリズムの標的になつたこと、これを機に言論機關としての軸足がぐらつき、社員の多くが浮足立ち、勞使關係がガタガタになつたこと、有能な後繼者を育成出來なかつたこと等々。冷靜な語り口ゆゑに、行間から浸み出す著者の憤り、徒勞感、あるいは仕事や關係者に對する愛の深さがより生々しく感じられる。

***
粕谷一希著 中央公論社と私 (文藝春秋、1999)

※本日三読したので昨年正字体で書いたものを残す。

 


保健師訪問

2006-07-26 23:58:28 | Weblog
 久しぶりの晴天。九州では梅雨明け。
 日中、新宿区派遣の保健師の方の訪問ありきとの由。低体重だった赤ん坊を診て助言するという制度があるらしい。帰宅後その内容を聞いてみると、成長度合いは順調で問題なし。目もよく見え始め、手足の運動も普通以上にできるようになっているとのことで、一安心。

ビアガーデン@your own risk

2006-07-25 23:59:35 | Weblog
 友人A氏、フリー校正者のKさんと、新宿のビアガーデンで飲む。

 ・「ルミネのビアガーデン」ということで出掛けたら、全然見つからない。案内所で尋ねたところ、MY CITYだったところがLUMINE ESTと名前が変わっており、そこの屋上ということだった。三人ともそうとは知らず、全員迷って到着。
 ・エレベーターに乗ろうとしたら、「ビアガーデンへはアルタ側のエレベーターをご利用ください」という張り紙が。エレベーターがいくつあるのか、またどれが“アルタ側”なのかを来る人全員が把握しているとはとても思えないが、文句を言う人はいないのだろうか。
 ・先払いで入場するときに、「飲み放題で制限時間は二時間。途中で雨が降った場合は責任持ちません」と言われる。幸い降りはしなかったが、ビアガーデンというものはどこでもこういうものなのだろうか。

 それはともかく飲み会自体は楽しく終了。

水晶の尖塔の雨

2006-07-24 23:55:24 | Weblog

 東京では、しばらく太陽を見ていないような気がする。
 昔よく聴いたこんな曲を思い出す。

seven brothers on their way from avalon seven sisters shooting skyways for the sun homer's iliad lay burning in the fire i was pleased just then 'till you said that the sun will never shine a desert town to the west of idaho leads to valleys shading vineyards from the snow messiah in the sky puts flames upon the sea i was mesmerized 'till you said i was positively free and the sun won't shine on me no the sun won't shine on me come on sun please shine on me seven brothers on their way from avalon seven sisters shooting skyways for the sun you always said to me don't walk the straightest line so i took heed of that 'till you said the sun will never shine
(felt rain of crystal spires )

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Felt Bubblegum Perfume (Creation, 1990)


20 Years After

2006-07-23 23:57:17 | Weblog

 妻の二十年来の親友Mさんが、婚約者のNさんを連れて来宅。このまま順調に進めば、近くめでたく結婚を迎えることになるかもしれない。Mさんは私も何度も会っているのでよく分かっているつもりだが、Nさんも非常に真面目で優しい努力家という印象(実際、相当に固い公務の専門職に任官している)。これから両家の間で細かい話が詰められるようだが、うまくいくことを祈りたい。

 ネット上で、「ウドー・ミュージック・フェスティバル2006」というイベントが昨日、今日と開催されていたことを知る。サンタナ、ジェフ・ベック、ドゥービー・ブラザーズ、プリテンダーズ、バディ・ガイなどが出演したとのこと。ジェフ・ベックといえば私には格別の思い入れがある。高校三年生のときに初めて体験した「外タレ」のコンサートが、サンタナ、ベック、スティーヴ・ルカサー(TOTO)が出演した軽井沢の野外ライブだったのである。確か友人数名と一緒に行ったのだと思うが、飲めもしないビールを飲んでふらふらになり、大音響で一週間くらい耳がおかしくなった(80年代の田舎の高校生の微笑ましい思い出)。あれからもう二十年経ったのだね。

 今も昔もサンタナの良さは私にはよく分からないのだが、黄色いストラトキャスターを持ったベックの印象は強烈だった(ルカサーもまあよかったけど)。ベックという人は特別にセックスアピールがある人ではない(=女性ファンに訴える要素はそれほどない)と思うが、なんというか、ギターが好きで上手くて常に研究していていつも何か新しい試みをしている職人という感じが、私には男としてカッコよく思えるのである。ルックスも当時からあまり変わっていないように見えるが、それは昔からそこで勝負してはいなかったためだろうと思われる。

 今思い出したが、今日はその高校三年生の頃に好きだった女の子の誕生日だった。二十年近く会っていないので現在の見た目は想像もつかないが、何だかすごい教育ママになっていそうな気がする。


麦茶にみるQOL

2006-07-23 02:21:57 | Weblog

 金曜日は子供の一箇月検診があったが、私はどうしても外せない仕事があったため同行できず、結局妻に任せることに。病院まで徒歩五分程度とはいえ、退院後初めての外出で、雨のそぼ降る中ひとり行かせなければならなかったのは少し可哀想な気もしたのだが。とにかく診断自体は問題なかったとのことでひと安心。まだ約3,200gと少し小さめなので、大事をとって来月末に二個月目の検診も受けることにする。

 土曜は雨は降らなかったが、昼寝したり写真データを整理したり、一日中家で過ごす。娘は声も大きくなり、泣き声も一段と激しくなってきた。特によく泣く方ではないとは思うが、泣いている理由がよくわからないときは大変。「おなかすいた」とか「オムツ替えて」とかだけでなく、単純に運動不足解消のために泣いている場合もあるらしいので、とにかく何かあればできるだけ抱いてあやすことにしようかと思う。

 今日は昔ながらのやり方で麦茶を作ってみた。と言っても、薬缶にお湯を沸かし、昔からある大麦を炒った麦茶のもと(大手メーカーの紙パック製品ではなく、町の茶舗で売っているもの)を煎じただけであるが。冷めてから飲むと、香ばしくて仄かに甘い、小学校の遠足のときに水筒に入れて持ち歩いた麦茶の味がする。普段はスーパーで売っている水出しの紙パック麦茶(あるいは緑茶、烏龍茶)を利用しているのだが、美味しいと思ったことはないのである。

 経済的な効率、つまりスピードや便利さと引き換えに「生活の質」の低下を甘んじて受け容れ(させられ)ていることに気付き、そしてそれを高めるための思考と労力を厭わない――というのが今や滅亡の危機に瀕している人文的(痩我慢的)知性の拠って立つところのような気がするが、例えばそれは麦茶もどきで事足れりとする生活をやめたり、百円ショップで買い物をすることをやめたりすることから始まるのでありましょう。


札幌出張

2006-07-20 23:55:41 | Weblog

 上司Oさんと二人で19日の夜に北海道入りし、札幌駅前のホテルにチェックイン。ちなみに私は札幌に行くのは初めて。普通のビジネスホテルが取れず、「キングス・イエローに彩られたブリティッシュスタイルのホテル」に宿泊。どこがブリティッシュなのかはいまひとつ分からなかったが、「ディケンズ・ホール」とか、そんな名前の施設があった。

 Oさんには、妙に淡白なところがある。以前に北海道へ出張に来たときも食事を喫茶店のスパゲティで済ませてケロリとしていたそうで、流石に地元の営業所の人からも「わざわざ北海道まで来たんだし時間だってあるのに、なんでそんなもの食べるの?」と言われたりしていたが、「ああそうかねえ」で終了していたらしい(といって、普段は味にうるさくないわけでもないのである)。

 チェックイン後、夕食のために外に出る。食い意地の張っている私は事前から警戒していたが、やはり「冷やし中華が食いたいな」とか「それともそこの居酒屋にしようか」とか「何でも食えればいいよ」とかいう話になりかけたので、「いや、北海道はやっぱりカニですよ、カニ!」と主張して強引にホテルから近いかに割烹で食事をすることに。(その前に、「すすきのなら色々あるんじゃないですか? ここから近いんですかねえ?」「そんなこと私が知ってるわけないよ!<終了>」という会話があった。後で調べたらそんなに遠くはなかったようで。)

 かに料理自体はなかなか美味で、Oさんも「おいしいねえ、あ、これも頼もう」とか「これ、おいしかったからもうひとつ頼もう」とか「いやー、私は小心者だから、部のみんなに申し訳ないって思っちゃうね、みんなにも食べさせてあげたいね」とか、むしろ私よりも北海道の味を楽しんでいるかのように思われた。会計もなかなかのものだったが、二人ともとりあえず満足してホテルに帰還。

 今日(20日)は朝から札幌郊外の訪問先へ。度重なっていたトラブルをお詫び。厳しい話をされはしたが、先方も真剣に仕事をしており、我々にもそれだけの期待をしている故の要求であることを改めて痛感。電話や手紙のやりとりだけではどうしてもその「当たりの強さ」あるいは「対応の拙さ」が増幅されてしまうが、実際に会って話をしてみると双方悪い方に誤解していた部分もよくわかった。より質の高い仕事をするためにもこうした意見を寄せてくれる存在は有難く、これからは今まで以上にご教示を仰ぎたい旨お伝えして訪問先をあとにする。

 札幌駅に戻り、空港に行く前に昼食をとることに。レストラン街で物色していたが、

 Oさん:この店はどうだろう?
 私:  Oさん、これ、博多料理って書いてありますよ。
 Oさん:こっちの店には味噌カツなんてのもあるようだけど。
 私:  ……。

結局適当な食堂の鉄火丼で妥協し、「あまりおいしくなかったなあ」と頷きあいながら帰路についたのだった。