自分が死んだ後に世界に何が起ころうが、何の関心もないと言う人たちがいる。私個人についていえば、こういう感じ方はしない。私は、現在の行いが将来に実を結ぶかもしれないと考えるのが好きである。たとえ私個人がその将来に参画することはないだろうとしても。私は文明はよい方向に向かっていく考えるのが好きだし、もしその考えとは反対のことが起これば、またそういうことが起こることもあるだろうが、そのときは気が滅入る。このところ、目下の状況はどうも陰鬱であるが、ずっと遠い未来のことを考えるというのは気が晴れるものである。
十九世紀において、人類は進歩を自明のものととらえていた。そして、特に人々が進化を信じるようになってからは、未来は過去よりよいものでなければならないということは自然の理のように考えられた。こういう明るい思考の枠組みの中では、人間はわざわざ遠い将来のことなど考えたりしないものだ。ユートピアも一、二世紀のうちには実現するのではないかと期待されていたのだ。一九一四年以降、こうした楽観主義は自信を失ってしまった。そして現在の不況の中では、非常に多くの人々の心の中で悲観主義に服従させられてしまっている。
<続く>