牛込日乘

日々の雜記と備忘録

よいお年を。

2006-12-31 13:43:44 | Weblog



 二〇〇六年も暮れていくわけですが、個人的には初めて家を買ったり、親になったり、組合活動をしたりと、新鮮な体験の連続の一年ではありました。さまざまな課題を積み残しつつ、これから極寒の佐久に帰省します。

ともあれ、皆さまよいお年をお迎えください。



おだやかな休日

2006-12-30 23:59:42 | Weblog

 九時半起床。午前中は神楽坂の商店街で帰省土産などを買う。ふらふら歩いていると声を掛けられたので振り向くと、近所に住む同じ会社のMさんとばったり。「よいお年を」と挨拶して別れる。

 午睡後、家に持ち帰った仕事を少し。夕方、新宿に出て紀伊国屋書店へ。カレンダーや新しく出たばかりの『ジーニアス英和辞典<第四版>』を購入、その後「王ろじ」でとんかつ定食。

 帰宅後、岡本綺堂『蜘蛛の夢』(光文社文庫)再読(結局仕事はせず)。物語そのものの面白さだけでなく。時代考証の確かさ、ストーリー展開の舞台設定の適度な巧妙さ、平易かつ論理的な文章など、頭の休息と滋養のためには理想的な作品だろう。

 


訃報の続いた年末

2006-12-29 17:28:48 | Weblog
 十二月中旬からの怒濤のような日々が、昨日でようやく一区切りした(まあ、本質的な解決には程遠く、課題は山積しているのだが)。いつの間にか青島幸男、岸田今日子、そしてジェームズ・ブラウンが死去し、十年ほど前に当時在籍していた会社でお世話になった執筆者の一人、Fさんの訃報に接した。相当な社会的地位の方であったにも関わらず、当時二十代半ばの一介の若造にも「近くまで来たからお茶でも飲みませんか」「インターネットをやってみたいんだけど、どんなパソコンがいいかな」「あなたは私のパソコンの先生だからね」などと気軽に声をかけてくれた。実際は厳しいところもあったのだろうが、私には優しい紳士だったという思い出しかない。ご冥福をお祈りしたい。

 一昨日から妻と娘は佐久の私の実家へ行っているので、久しぶりに一人の時間を過ごす。神楽坂の商店街で服をクリーニングに出したり、正月飾りを買ったり、珈琲を飲んだりしていたらいつの間にか夕方に。

理事会&懇親会

2006-12-16 23:07:35 | Weblog

 午後四時から集会場にて集合住宅の理事会。何とか作成した前回の議事録を配布(なぜか私の役職は書記なのである)。特に変わったこともないが、課題はやはり防犯と防災に集中する。理事には大企業のビジネスマンも多いので、管理費の運用やら修繕のための保険申請やら見積り依頼やらの仕事はやけにスムーズに進んでいる。

 六時から、神楽坂の居酒屋で新旧理事会メンバー十人ほどで懇親会。お堅い会社に勤めている人が多いが、フリーでなかなか面白いことをしている人もいる。それほど突っ込んだ話はしないが、会話の内容から、半分くらいは私と年代も近そうな印象を受ける。妻も子連れで参加したが、、娘が眠くなってきたので先に帰す。

 まだ築六、七年ほどの建物だが、皆それなりに自分の住んでいる場所に愛着を持っているようで、こういう価値観が共有されているのは自治組織としてはよいことだろう。食べるのが好きな人が多く、ほとんど神楽坂周辺のうまい店情報交換会と化していた。八時に散会し帰宅。


卒論の思い出

2006-12-13 23:59:13 | Weblog

 いつの間にか一週間経過。仕事もようやく危機的状況を脱する(楽観はできないが)。

 某大学の先生と仕事でメールをやり取りしていたら、「このところ毎晩卒論指導でフラフラです」とのコメント。そういえば、私も今を去ること十数年前の今頃、卒論の仕上げで苦しんでいたのだった。風邪を引いて熱を出し、提出の一週間ほど前からずっと三十八度以下に下がらなかった。まだ下書きの段階で、どうしようもないので夜中に救急で病院にいき、熱ざましを打ってもらった。いろいろな人に清書を頼み、ようやく完成させた原稿を提出締め切り当日に製本。ギリギリで事務室で受理してもらったときの安堵感は忘れられない。大学も六年目で「今年こそ卒業」と決意していたので、もう後がないという切迫感もあった……ような気もする。

 卒論に関する薀蓄。 
 一。
 ちなみに卒論というのは、規定の枚数があって指導教員の判さえ押してあれば、内容は白紙でも構わないらしい。

 二。
 一九八七年の十二月、池袋の某大学に通っていた当時の友人は、 ある学生が卒論提出を巡って事務員と揉めているのを見た。その学生は卒論を鉛筆で書いて出したため受理されなかったのだが、「なんで駄目なんだよ」と食って掛かっていたらしい。「どこの阿呆だろう」と思ってよく見ると、その学生は某ミスター氏のご子息だったので、大いに納得したとのことである。


経験主義的な覚書

2006-12-06 23:59:58 | Weblog

 ・「考えすぎかな?」と思ったときは、実は考えが足りないという場合がほとんど。

 ・人間の行動の九割は習慣や惰性によるもので、そこに理由を求めることはほとんど意味がないどころかかえって有害であるが、それは残りの一割に集中するためなので、行動の十割が習慣と惰性になってしまったら、彼/彼女はもう人間ではない。


スパムメールにみる世代論

2006-12-05 23:59:36 | Weblog

 使っているウェブメールに、いつも二百件くらいのスパムメールがたまっている。最初のうちは律儀にいちいち削除していたのだが、数箇月ほど前から一気に数が増え、面倒くさいのでそのままにしている。送信者の名前を見ても、私の知り合いには「花音」とか「乃愛」とか「翔真」とか、そんな気の効いた名前の人間など一人もいないので、どうせならもう少し工夫して送ってもらいたい。
 私の周りのポピュラーな名前は、男だったら「誠」「健一」「浩」、女だったら「由美子」「陽子」「直美」とかで、クラスに一人や二人は必ずいた。それにしても、こういう名前に同世代を感じることになるとは変なものだ。我々は高度成長期に生まれてバブル時代に二十歳前後だったはずだが、意外に地味な名前が多いのである。派手な格好でクラブで踊ったりしていた彼や彼女の大部分は、「学」とか「恵子」とか、そういう名前だったということになるが――(思い出し中)――まあ、確かにそうだったかもしれない。


システムに取り込まれるサブカルチャー

2006-12-04 23:53:23 | Weblog
 今日も代々木上原で録音。夕方新宿に寄り、現在作っている本の資料として英語化された日本のマンガを探す。島屋の紀伊国屋書店にある洋書コーナーに行ったら、あるわあるわ。知らないうちにフロアの中でも結構な面積を占めていた。単行本のほか「少年ジャンプ」の英語版(千三百円以上!)などを購入してみた。

 mangaという語は英語になっていて、メジャーな英英辞典にも以下の説明がある。

manga: Japanese comic books. The pictures in the stories usually go from right to left in the same way as Japanese writing, and the characters often have very large eyes;-->anime (Longman Dictionary of Comtemporary English)

[マンガ:日本のコミック本。物語の中の絵はふつう日本語の表記と同じように右から左へと流れ、登場人物たちの目はしばしば非常に大きい。(ロングマン現代英語辞典)]


説明になっていないような変な定義だが、なんだか面白い。

 個人的にはマンガをほとんど読まなくなって久しいので(以前はずいぶん読んだ)、「日本のマンガが世界で大流行」と聞いてもあまりピンと来ない。文化的にはむしろ、すでに爛熟期をとうに過ぎているような気もする。とはいえ、海外にまだほとんど未開拓のマーケットが残されているし、ITによって新たな配信手段が一般化してくれば、まだまだ富を生み出すコンテンツとしてのマンガの価値は高いだろう。

 ……ということを考えるのはビジネスマン的発想であって、「何か面白い作品を作ろう」「新しいマンガで世間を驚かしてやろう」という創造者の熱気や純粋な動機というものは、私にはあまり感じられない。

 別のフロアの雑誌コーナーに行ったら「大人のロック!」というムックが平積みになっていた。版元は大手ビジネス出版社で、お金もかかっているのでそこそこよくできている。しかしまあ、こういう世界に背を向けるのがロックなんじゃないのか! とは必ずしも思わないが、「ロックも安くなったものよ」という気はする。著作権の切れた廉価版の名画のDVDが最近よく出回っているが、それと同じような感じ。

最近の成長

2006-12-03 22:18:21 | Weblog

 昼過ぎ、子供を連れて外へ。写真データをDPEに出し、その後一人で早稲田の理容店まで歩き、二箇月ぶりに散髪。帰宅後、家で少し仕事をする。

 娘は、名前を呼ぶとこちらを向いてニコニコするようになってきた。また、先週から少しずつ離乳食を開始。昨日も妻に言われて見よう見まねで冷凍しておいたおかゆや、すりつぶしたカボチャなどをスプーンですくって口に入れたりしてみたが、初めてのものでも嫌がらないで食べている。両親に似て食い意地が張っているようだ。

 また、ここ数日は、なぜかずっと野太い声を出して唸ったりしている。柄の悪いオッサンのようである。まあ、特段心配することではなかろうとは思いつつも、「のどに異変でもあるのか」と少し気になっていた。妻が助産師会館の米澤てる先生に聞いてみたところ、「声帯を震わせて変な声を出すのが楽しいし、周囲の反応もあるから面白がってやっている」んだそうで。意外とお調子者的性格なのか。