牛込日乘

日々の雜記と備忘録

二十年間を駆け足で

2011-02-20 23:06:22 | Weblog
 金曜の夜は、十年ほど前にある仕事でつきあいのあったオーストラリア人M氏が夫婦でプライベートで来日したのを機会に、当時勤務していた会社のプロジェクトメンバーたちも交えて飲み会。場所は赤坂だったのだが、その頃は勤務先が青山にあったので「庭」のように使っていた街がすっかり変貌していて、会場になっていた店にたどり着くのも一苦労だった。M氏は年齢的にも同年代で結構趣味が合い、音楽や映画の話でよく盛り上がっていた。初対面の奥さんも感じのよい方だった。M氏は十年前に私が連れて行ったジャズバーのことがとても印象に残っていたとのことで、奥さんも何度もその話を聞かされたと言っていた。

 そして、件のジャズバーボロンテールが土曜日に最後の日を迎える。そのことをM氏に伝えると、非常に残念がっていた。赤坂での飲み会が終わると、千代田線に乗って一人で原宿へ。予想通り、ただでさえ狭い店内が立ち飲み客も含めて大盛況。何とか場所を確保し、しばし感慨にふける。思えば一九九二年頃から断続的に、特に神宮前に住んでいた一九九七年から四年間くらいは何回かボトルも入れたりして通った店である(私がこういうことをしたのはこの店しかない)。コースターが和田誠さんが描いたレスター・ヤングとビリー・ホリデイのイラストで、この夜はご本人も来店していた。

 

 深刻な顔をしてマニアックにモダンジャズやフリージャズに没頭するような店ではなく、あくまでも音楽を楽しみながら初対面の人々とも気軽に交流できるというリラックスできるバーだった。ここ八年くらいは港区や渋谷区とはほとんど縁のない生活だったので、この前最後に行ったのは三年くらい前だったかもしれない。当時から道路拡張などで立ち退かなければいけないかもしれないとは聞いていたが、「実は閉店するんです」という寒中見舞いハガキをもらい、ああ、とうとうこの日がやって来てしまったかと思ったが是非もない。赤坂でまた店を開く計画があるとのことだったので、「決まったら連絡してください」と伝えて店を出る。午前二時。



 日曜日は、妻と娘に連れられ吉祥寺に「100かいだてのいえ」という絵本の展覧会を観に行く。場所は昨年まで伊勢丹があったところで、吉祥寺にも何年かぶりに来たので変貌ぶりに少しとまどう。近鉄百貨店もよく行っていた古本屋もなくなっていたが、有名な羊羹屋は相変わらず人が並んでいた。展覧会を見た後は吉祥寺からタクシーで北上し、西武新宿線武蔵関駅近くのとんかつ屋、高尾へ。武蔵関は大学生になって上京してからの四年間住んでいた街で、この店には数え切れないほど通った。当時は「この店のとんかつが日本で一番うまいに違いない」と思っていたものだが、まあ、年を重ねると世の中もっと広いものだということが(当然ながら)わかる。

 とはいえ、良心的な価格設定や店主の気遣い、定食屋に求められる程度の清潔さをしっかり保っているところなど、ああ、やっぱりいい店だったなあと思う。「実は二十年くらい前によく来ていた」という話を店主にすると、開店から二十五年になるという返事。ということは、私が通っていた頃はまだ新しい店だったということになる。駅前商店街を歩くと当時あった店はほとんどなくなっていたのにも関わらず、何気ない普通のとんかつ屋が健在だったというのは嬉しいものだ。子供連れでこの店に来るとは想像もしていなかったが、娘も喜んでエビフライ(私は学生時代には高くて頼んだことがなかったのに)にかじりついていた。

淡雪の消えてしまへば東京都(加藤楸邨)

2011-02-15 01:09:03 | Weblog

 久々に会社に出て夜遅くまで仕事をしていたら、いつの間にか結構な積雪。高円寺駅に着いたら中央線も総武線も止まっていて、いつ来るのかもわからない状態だったので思い切ってタクシーで中野まで行き、何とか終電に間に合った(東西線はほとんど通常運転だった)。街全体が光を反射して妙に明るく、高円寺でも神楽坂でも何となく浮き足立ってハイになっている集団もいくつか見かけた。時々行くバーのマスターの話だと、雪の日は意外と客足が絶えないそうな。何だか一杯引っかけなければ気が済まなくなる人が結構いるらしい。



 最近少しずつfacebookを使っているのだが、どうやら勝手にメールアドレスのデータから知り合い候補を検索してくれる機能があるようで、会社の同僚やら仕事上でつきあいのある人々を「知り合いかも?」と表示してくる。どうもいつも仕事でつきあっていて近すぎる人とfacebook上で交流するというのは居心地が悪いというか、お互いプライベートな部分のことを必要以上に知ってしまうのはあまりよろしくないような感じもして、そのまま放ってある(多分お互いにそうなのだろう)。

 で、試しに私の本名を入れて検索してみると、何だか怖い顔をした(失礼)DJのお兄さんが出てくる。自分と同姓同名の人のプロファイルや交友関係をのぞき見るというのも変な気持ちがするものだが、多分、このお兄さんも私のページを見てそう思っていることでせう。


またまた…

2011-02-14 00:17:12 | Weblog

 今度は水曜の夜から急に発熱し、土曜までの三日間ほどほとんど寝て過ごす。診断の結果インフルではなかったものの、抵抗力が落ちていたのが原因のようだ。三週間の間に二回も三九度台の熱を出すというのは前代未聞で、さすがに日々の生活態度や仕事のやり方を見直さなければという気になっている。

 現在の私の仕事を抽象的に整理すると

 1)全体方針に従って部門目標を設定し、成果目標を設定する。
 2)各構成メンバーが目標を達成するために業務を進行しているかをモニターする。
 3)各構成メンバーの業務達成状況を評価し、必要な人事政策を実施する。
 4)上記のために社内外の人々と連絡を取り、必要な意思決定を行う。
 5)非常事態が発生した場合にバックアップ体制を取る。

 というようなことになるのだが(つまり典型的な中間管理職ということ)、このところ一年以上、ずっと5)ばかりが続いていた。最前線で切った張ったの毎日というのもそれなりに刺激的ではあるのだが、体をこわしては元も子もない。ようやく状況も安定しつつあるので、何とかしたいところ。


どこまで続く…。

2011-02-03 00:37:38 | Weblog

 冬の寒さも底を打ったの感あり。
 土曜から娘がインフルに感染し、ようやく元気になったと思ったら今夜から妻が高熱を発してダウン。まあ、狭い部屋の中にいて感染しない方が不思議ではある。



 ここ数か月ほど我が家では東京新聞を購読しているのだが、昨日と今日は金正男の独占インタビューが掲載されていて驚く(記事の一部)。もっとびっくりするのは記者に対する受け答えが非常にしっかりしていて、言葉の選び方からうかがわれる「ここまでは言っていいだろう」という判断が絶妙というか、非常に<賢い>ことである。正直に言って、十年ほど前に日本への不法入国で報道されたときの写真などからは、とてもそんな人間には見えなかった。私は北朝鮮の政治状況については通り一遍のことしか知らず、金正男の立場がどういうものなのかよくわからないのだが、

-社会主義理念と世襲は矛盾しないか。
 「中国の毛沢東主席でさえ世襲をしなかった。そのため中国は発展したと言ってもいいだろう」
-世襲のため、逆に北朝鮮は国力が落ちてしまうのでは。
 「(祖父、父に次ぐ)三代世襲は社会主義理念とは合わないと、私は以前も指摘した。父もそう言って反対していた。なぜ世襲になったかは分からない。そういう選択をしたのは、北韓としても内部要因があったと思う。体制の安全と円滑な権力継承を実現するため、三代世襲を行うしかなかったのではないか。何よりも重要なのは北韓内部の安全だろう。北韓の不安定は周辺の不安定につながる」

というようなやりとりを読むと、かの国のことをステレオタイプな独裁者が支配する単純な国と決めてかかるのは危険なように思われる(誤解のないように言うが、別にこれは誉めているわけではない)。