アタマがよくて体力があってバカな人というのは、本当にいやなものだ。しかし、どこでもいつの時代でも、世の中を支配するのはそういう人たちなのである。むしろ余計なことをしてくれない方が随分ましな世の中になるんじゃないか気もするが、こういう人種はそもそも「積極的に何もしない」「直接的な利益にならないものに意味を見いだす」という選択肢を持たないので(だからバカなのだが)、何を言っても馬耳東風というか、こちらがバカにされるだけである。
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asahi.comより
社会が求める人材とは 経産省と文科省が会議設置
2007年10月03日18時54分
経済産業省と文部科学省は3日、産業界と大学の代表者が集まり、社会が求める人材の育成策について話し合う会議「産学人材育成パートナーシップ」を設置した。日本経団連や経済同友会など経済界の代表と、国立大学協会や私立大学連盟などの大学界の代表が委員に就任。日本経団連副会長の榊原定征・東レ社長と、国立大学協会副会長の梶山千里・九州大学長が共同議長に就いた。
甘利経産相は「人材育成で重視する点が、教育界と産業界とで一致していない。両者の役割分担と協力について議論し、現状を変える場としたい」。渡海文科相は「社会の期待に応えられる人材を育成するには、いっそうの産学連携の推進が必要。会議の議論を踏まえ、産学が有機的に連携した大学教育の充実を図っていく」と述べた。
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上記下線は引用者による。しかし、そもそも、どうして教育界と産業界で育成したい人物像がそこまで一致する必要があるのだろうか。どう考えても産業界が教育界を搾取している、あるいは教育界が産業界にすり寄っているとしか読めないが、こういう短絡的な思考が堂々と実行に移されることの恐ろしさには、もっと敏感になった方がいいだろう。
結果として高等教育を受けた人間の大多数が産業界に身を投じているという現実はあっても(私自身もそうだ)、社会のすべてが産業界によって成り立っているわけではない。高等教育にはむしろこうした枠組みすらも疑うだけの知性を持った人間を育成するというより高度な役割が期待されると思うのだが(もちろん、本当にそれができるのはほんの一部のエリートだけでよい)、そして、長い目で見れば産業界自身にとってもその方がより大きなメリットがありそうなのだが、まあいずれにしてもこれ以上中途半端にアタマのいいバカが増えるのは勘弁してほしい。