娘が小学校に入って半年ほど経過。小規模で面倒見も良く、学校そのものはまあ今のところ大きな問題はない。ところが、先月「学校公開日」というのに行ってみたところ、娘の授業態度が悪いのなんの。先生に反抗するようなことはないが、すぐ後ろを向いたりぼーっと教科書の全然関係ないところを読んでいたり。忘れ物も毎日のようにしていて、酷いときには上履きを履いたまま帰ってきてしまうという体たらく。叱ってみても、そのときは神妙な顔をしてみたりするものの次の日には同じことの繰り返しで、全然身に染みた様子がない。宿題も言われるまではほとんどやらないし、一方でままごとをしたり絵を描いたり本を読んだり、好きなことは声を掛けても返事をしないくらい没頭している。いったい誰に似たんだろう…と思ったら、まあ、私の子供の頃とそっくりである。私も決められたことをルール通りにしっかりこなすというのが大の苦手で、というか、守らなければならないルールがあるということ自体は何となく理解していたものの、その理解度がかなりあやふやというか、ぼんやりしていて、「ああ、みんなもっとしっかり言われたことを守っているんだ、言うことを聞いているんだ、少なくともそういう振りはすべきなんだ」ということが分かったのは、かなり後になってからだったような気がする。
(で、分かったからといって張り切って実行するわけでもなかったのであるが。)
まあ、言われたことを言われたとおりマジメにこなすことだけが重要なわけでもないさ、でも、世の中そんなに甘くもないからある程度適応することも覚えておいた方がいいぞ、という親心で公文だのピアノだの色々やらせてみてはいるものの、どうも腑に落ちないことはやっぱりあまり身につかないらしい。今日も「やりたくなーい!」と泣き叫んでいるのを見て(決して「できない」というわけではないのだが)、やはり何か自分で面白いと思えないことはできないんだよな、でもここでやめていいよというのも良くないよな、と結論のない凡庸な親の悩みに悩まされるのであった。
私は十年ほど英語教材を作るという仕事をしているため、何かと日本の日常生活を英語で表現するという必要に駆られることがあるのだが、先輩・後輩という人間関係とか、部活動とか、どうにも英語にしにくい表現がある。部活動などは club でいいのではないかと思うかも知れないが、日本の中学校や高等学校で半ば強制的にどこかに所属させられるような、あの「部活動」というようなものは、どうも英米文化圏にはないようなのである。先輩・後輩という極めてじっとりした人間関係――これはなぜか中学校以降に発生するものである――というのも、文化的コンテクストが違うというか、英語で説明することを試みても徒労感に襲われるだけである。何でも英米圏の文化や習慣が日本のそれより全面的に優れているとは全然思わないが、どうもこの“一つでも年が上の人間が言うことであれば、明らかに反論することが憚られる”とか、“いちいち敬語を使って話さなければ気が引ける”というような習慣は、まあ、それが大好きな人がかなり多いということはもちろん分かってはいるのだが、大げさに言えばこの国が正しい選択をしたり合理的な判断をしたりするための大きな障害、ひいては損害になっているのではないか。言うまでもなく、一定の年齢(極端に言えば十歳くらい)以上になれば、バカや利口に年齢はあまり関係がないからである。年が上だから無条件にエライとか年下には横柄な態度で接するのが当然というような態度を見せつけられると、こういう人間が当たり前に存在する限りこの国に未来はないだろうと暗然たらざるを得ない。
現在の組織では基本的に定年は六〇歳、最近は年金支給までのギャップを埋めるため、実質的には六五歳までは余程のことがなければ首にもならず働くことができる。組織によって、六〇歳で一旦定年を迎えて雇用が延長された人の扱いは異なるのだろうが、その人でないとできないというような専門性がない限り、あまり出しゃばらない方が組織にとっても本人にとってもよいだろう。六〇歳というのは私の感覚ではかなり絶妙な線引きで、若い頃はカミソリのように切れる存在だった人でも、六〇を超えるとどうも一様に箍が外れるというか、自分を変えて新しい発想を重視することよりも、過去の栄光(そんなものがあればの話だが)に縋ることが多い。実は四〇くらいですでに過去に生きている人も珍しくないが、逆に七〇を超えても若々しく新しい知識を吸収することに貪欲な人も希にではあるが確実に存在する。やはり、戦争を知っている世代は強いと言うことか。以前仕事でお世話になったある先生は、八〇近くなった今でも新しい研究テーマについてうれしそうにメールで教えてくれるような人で、私も尊敬しているのだが、戦争末期の旧制中学(!)時代に勉強そっちのけで松根油を毎日毎日掘っていて、「こんなんで戦争に勝てるのかなあ?」と友人たちと話していたそうである。