牛込日乘

日々の雜記と備忘録

三箇月検診

2006-09-29 23:01:01 | Weblog
 東京厚生年金病院で三箇月検診。体重は約4,500g強と、まだまだ小さいとはいえ、出生時から比べると約二倍に。手足も活発に動かし、首もかなり据わってきているので、成長の程度はまず順調。

牛込の地場産業

2006-09-25 23:57:26 | Weblog
 日曜日、「神楽坂まちの手帖」の最新号が出ていたので購入。神楽坂出身の、元講談社の編集者だった人が発行している季刊誌。東京の地域密着雑誌としては森まゆみさんの「駄木」などが有名だが、「まちの手帖」も根っからの出版人らしい誌面づくりが私にとっては妙に楽しい。ちなみの今号の特集は“神楽坂と本 明治から平成へ―神楽坂は日本有数の出版と作家と編集者の町”というもの。

 私の住まいの周りは大手取次会社やさまざまな出版社だけでなく、印刷、製本、紙工などの中小零細企業がひしめいている。昼間は印刷の終わった大判の紙を運ぶフォークリフトやら、製本・梱包の終わった本を運ぶトラックやらが頻繁に往来している。前に住んでいた市ヶ谷には大日本印刷、大通りをはさんだ文京区側には凸版印刷や共同印刷の本社があり、大小の工場はその下請け、孫受け、曾孫受けということなのだろう。

 大田区あたりの町工場地帯は世界的水準で有名だが、すぐそこに本郷・神保町あたりの出版街を控えた牛込・小石川周辺は、印刷関連会社と取次が集積する街。さらに板橋などの郊外に出ると、大手印刷会社の大規模な工場がある。コンテンツ(ソフト)のデジタル化が急激に進展していく中で、工場というハードを基盤とした典型的な設備産業である印刷業は、大きく変化していかざるを得ないだろう。そのとき、私の住む町はどのように変貌を遂げるのだろうか。

住民懇親会

2006-09-23 23:56:41 | Weblog
 住んでいる集合住宅の防災の集いと懇親会に出席。六月下旬に同じフロアに空き巣が入ったことがあり、不安に感じていた。このビルは一三〇世帯もあるとはいえ、普段は人の姿を見かけることもあまりない。近所づきあいもほとんどなかったので、どんな人が住んでいるのかもよく分からなかった。近所が親戚だらけでオープンな近所付き合いの中で育ってきた私のような人間は、こういうところで家族を持つということについてはあまり考えたことがなかった。

 懇親会ではビンゴゲームなどで盛り上がりつつ、他のお宅ともある程度顔見知りになることができた。現在の理事長さんは若いながらもやり手の印象だったが、某メガバンクに勤務とのこと。越してきて半年の私も、来月から理事の一人になることが確定的で、どうしたらよいものか(他の人々は数年前に新規分譲されたときからの住人)。

 よかったなあと思うのは、様々な年代の人が暮らしているということ。四〇代から五〇代のご夫婦が多いような気もするが、私と同じくらいの年の人も結構いる。子供が育つには、ある程度多様性がある環境のほうがいいと思っているので、こういう場に積極的に顔を出すことも悪くないような気がした――というのはビンゴゲームで強力防災ライトと泡盛を当ててしまったからだろうか。こんなところで運を使っている場合じゃないのだが……。


高円寺の改札で…

2006-09-21 23:41:25 | Weblog
 十時過ぎに仕事を終えて帰ろうとしたところ、高円寺の改札で以前勤務していた会社の先輩S木さんにばったり遭遇。そのまま「きよ香」へ飲みにいく。価値観やライフスタイルは私と全然違う人ではあるが、たまたま同じ高校のちょうど十年先輩、さらに妻の大学の先輩でもあり、夫婦ともども在職中は何かとお世話になった。ちなみに今年大学に入学した娘さんが一人おられるので、父親としてもアドバイスを仰ぐことに。

きかんしゃやえもん

2006-09-20 00:37:10 | Weblog
 京都の昇叔父から『きかんしゃやえもん』ほか三冊の絵本が届く。『やえもん』は阿川弘之一九五八年の作。氏は一九二〇年生まれというから、これを書いたのはちょうど今の私と同じくらいの年。文藝春秋の巻頭随筆をずっと旧仮名遣いで掲載している代表的な保守派作家というのがまず思い浮かぶ印象だが、五十年近くにわたる絵本のベストセラーを残しているというのは微笑ましいというか、作家としては逆に凄みを感じる。

正しい現状認識の先にあるものは…

2006-09-19 23:44:03 | Weblog
 午後、社内研修で某著名社会教育学者の先生を招いての研修あり。最近何かと喧しい格差社会論の先駆的著作(厳密に言えば少し違うのかもしれないが)でも有名で、個人的には伝説的な国語教育者・大村はま先生とその教え子でもあるご夫人との共著も読んだことがあったため、期待をもって出席。

 内外の教育政策の変遷から現状、そしてこれから向かいつつある方向性について、国家予算における教育関係支出や自治体の教育費負担など、具体的な数字を交えつつ簡潔に概観する手腕は鮮やかで、「さすが」という感じ。結論的には、日本の教育界の今後は、教えられる側、教える側ともにあまり明るい展望はないということになる。

 先生の言っていることは多分正しい。しかし、現状を冷徹に分析した上で、さあこれからどうするのか、どうしたいのか、どうすべきだと考えるのか――そうった肝心な話を聞く前に時間切れ。社会学者である先生としては教育をめぐる社会システムをいかに精確に分析するかということが重要なのだと思うし、その仕事には敬意を払うべきだろうと思うものの、優等生的に言えば学者ではない我々にはもっと具体的かつ泥臭い試行錯誤が必要なのだろう、というのが感想。

コガネムシ

2006-09-18 22:36:36 | Weblog

 玄関を出たところで、緑色のコガネムシがうずくまっているのを発見。きれいな金属光沢で、カナブンかとも思ったが、詳しいことはよく分からない。それにしてもどこから飛んできたのやら……。弱っていたようだったので、植え込みの木に放した。

(カナブンにしてはちょっと小さい?)


複製技術時代の縁日

2006-09-17 23:02:23 | Weblog
 赤城神社の例大祭ということで、昨日、今日と神楽坂駅周辺は露店が出て賑わっている。

 子供の頃によく行った祭りの露店といえば、絶対に当たらない籤引きや衛生観念皆無のりんご飴やらたこ焼きやら、あるいは粗相をして店の陰で刺青をした兄貴分に殴られているテキヤのあんちゃん――そういういかがわしい部分を含めてワクワクしたものだった。

 今でも小さい子供が露店のお面やスーパーボールなど、今のおもちゃの水準からしたら問題にならないようなものを一生懸命にねだったりしているのを見ると、あの暗がりや白熱灯、テキヤのおじさんたちが醸し出す奇妙なオーラというものは、未だに健在なのだろう。Amazonや楽天がどれだけ進化しようとも、この雰囲気までコピーすることはできない。

 露店はどこからともなくやってきて、今日だけ、遅くとも明日の夜にはすべてどこかへ去っていってしまう。つまらないものでも、「いま、ここでしか味わえない(買えない)」という感覚は、人に何か根源的な懐かしい感情を起こさせるようである。