牛込日乘

日々の雜記と備忘録

City of Skyscrapers

2010-06-29 00:01:37 | Weblog
現在仕事で香港滞在中。日曜の一五:五五成田発のキャセイ・パシフィック便に乗り、現地時間一九:三五に到着(時差は一時間)。香港の人には前職を含めかなり仕事上で世話になることが多かったのだが、訪問するのは今回が初めて。商業用ビルから住宅まで、とにかく高いビルの多さは東京の比ではなく、圧倒される。宿泊しているホテルも、ワンフロアは非常に狭いが三十三階建ての建物で、日本なら到底あり得ない形状をしている(写真はホテルの窓からの眺め)。

小雨のぱらつく中、ぶらぶらと町を歩いてみた。ビジネスセンターに近いエリアにもかかわらず、近代的な町並みとアジア的雑踏が混在し、月並みな表現だがある種の混沌を感じさせる。日曜の夜はサッカーのイングランド対ドイツ戦があったため、飲み屋の建ち並ぶ一帯では西洋人を含む数え切れない人々が大声を上げて盛り上がっていた。イングランドの旗を体に巻き付けながら応援している香港人もいるほど圧倒的にイングランド寄りであった(後で聞いたら試合は負けたらしい)。飲み屋はイギリスのパブ風のところも多かったが、本場と違ってビールは基本的に冷えている。


(十八階にあるホテルの部屋から下を見たところ)


(こんなビルの五十九階に通っている)
  

ホーソーン短編集

2010-06-20 23:51:15 | Book Review
定例の読書会で、ホーソーンの短編集Mosses from an Old Manseモダン・ライブラリー版)を読む。分厚い本なので今回は半分まで。The BirthmarkとかYoung Goodman Brownなどの有名な短編小説を初めて読んだが、どうも十七、八世紀の東海岸のピューリタニズムの精神世界というのは読んでいて疲れるというのか、原罪意識と悪魔の世界への誘惑との相克から発生する強迫観念が人間を精神的、肉体的な破滅に追いやるという構図が、観念的には理解できるような気がしても、やっぱりよく分からない。その過程の描写自体はそれなりに面白く読めることも多いのだが……。Kさんが「ローズマリーの赤ちゃん」を引き合いに出してそれが現代のアメリカ人の精神にも脈々と生きていることを示してくれて、少し腑に落ちたような気がした。

決断についてのメモ

2010-06-17 23:27:21 | Weblog

最後にはその人が持つ「美意識」が、その人による決断を支えている。
(「哲学」ではなかろう。)

最初にその人が持つ美意識によって決断する人は、迷惑であることが多い。
(特に軍人の場合。)

美意識のレベルが低い場合も、その人による決断は迷惑であることが多い。
(帝国陸軍末期に無責任に自決した将校の辞世の句はひどいものが多い。)

重要性がある一定レベルまでの決断は、早ければ早いほどよい。

重大な決断を迫られた場合は、他人がベストと考えそうなことは何かを考えるのではなく、自分が考えるベストとは何かをギリギリまで考え、責任を持って選択せよ。たとえ負けても、それは最終的な敗北ではない(かもしれない)。

つまり、それほど重要でない決断を引き延ばすのも、重要な決断を急ぐのも阿呆である可能性が高い。

果断と拙速は紙一重。

決断できる=責任の取り方(俗に言えば、落としどころ)が分かっている。

世の中には結果オーライなまぐれ当たりが存在するのは事実だが、重大なことに関してそれを本気で期待するのはどこかが弱ってるね(頭とか神経とか)。


四歳の誕生日

2010-06-17 00:31:28 | Weblog
一六日で娘が無事に四歳の誕生日を迎えた。このブログを始めたのも娘の成長を記録しておこうと思ったのが発端ではあったが、当然ながら子供がいる生活が日常になるとそうそう記録すべきことが起こるわけでもなく、いや、面白いことは喋れるようになった今の方がむしろ多く起きているのだが、忙しさを言い訳に「当初の高揚感を持続できるわけでもなくなってくるのでね」などと嘯き始める始末なので、やはり少しは自分の身を省みた方がよいのかもしれない。

ゼロ歳児から保育園に通っていると、自分の子供だけでなく同じくらいの子たちの成長を目にする機会も多く、それはそれで微笑ましい。近所を歩いていると、ついこの前までよちよち歩きだった気がしていた子から「○子ちゃんのパパ!」と声を掛けられることが頻繁にあり、悪いことはできませんなあと思ったことである(別にしてませんがね)。

昨日この四年間でいろいろなことが変わってしまったと書いたのは、具体的には娘が生まれたときには邪心もなく物心両面でお祝いをいただいた多くの人の中にも、(鬼籍に入ってしまった方々も含め)すでに何人も自分の生活圏内にはすでにいない、あるいはこれから生涯会うことも連絡を取り合うこともないだろうという人々が結構いることに気づかざるを得なかったということである。ただ単に会っていないがずっとつながっている感覚の人々も多く、あえて慨嘆するつもりもないのだが。ともかくも各方面から色々とお祝いもいただき、有り難い限り。この場を借りて御礼申し上げます。

いつの間にか梅雨入り

2010-06-15 22:03:55 | Weblog
先週は博多から関西へと出張の後、土日とも会議で出社した時点でダウン。久しぶりに三九度台の高熱を発し、家から一歩も出られず。熱はようやく下がってきたが、まだ本調子とは行かない。



神戸というところを訪れたのはほとんど初めてだったのだが、六甲の中腹に至る道のあまりの急峻さと、そこから見える景色のすばらしさにはほとんど絶句。長い間、阪神間というのは日本で一番モダンかつ豊かな地域で、稲垣足穂も手塚治虫もこうした土壌でなければ生まれ得なかっただろう。少なくとも私の生まれ育った信州の盆地などでは、こうした自由な感性は育つ余地がなかろう。……というのはまあ少し大げさだが、高校時代の現国の教師(本職は詩人)が、「こ、こ、こんなチベットみたいな文化果つるところにいちゃ、ダメです」と口癖のように言っていたことを思い出す。



サッカーW杯がいつの間にか始まっていて、日本チームはカメルーン相手に一勝したらしい。サッカーには興味がないのでよくわからないが、たまに見ていても日本チームはスピードは遅いし、ちっとも攻めている気がしないし、その割にずっと走り回っていて疲れそうだし、あれでどうして勝てるのか不思議だ。前回W杯のときは、ちょうど娘が生まれる頃だった。この四年間は割と激動で、私も転職こそしていないものの、良くも悪くもいろいろなことが変わってしまった。