牛込日乘

日々の雜記と備忘録

カム・トゥ・マイ・エイド(シンプリー・レッド)

2017-10-12 23:48:26 | Translations
Simply Red - Come to My Aid (1986)

僕を助けに来てくれ
君はあらゆるものと同じようにスウィートだ
僕を助けに来てくれ
君になら僕は何だってあげられるだろう
僕は愛する人たちからすっかり裏切られたように感じているんだ
僕を助けに来てくれ
君こそが僕が思っていることなんだ

自棄を起こさないほどのプライドはあるし
悲しみでいっぱいでも歌うことはできる
僕を助けに来てくれ
そして社会の中で生きるということを考えてほしいんだ

どうして僕たちは生きることのために
死ぬような思いを強いられなければいけないんだろう
どうして僕たちの国は
引き裂かれなくてはいけないんだろう

僕を助けに来てくれ
僕を助けに来てくれ
僕を助けに来てくれ
僕を助けに来てくれ

貧困の炎の中で焼かれながら
それがつまりどういうことなのかを見てくれ
最低限の幸福さえ許されないときは
君は仲間たちのことを大切にしなけりゃいけない

どうして僕たちは生きることのために
死ぬような思いを強いられなければいけないんだろう
どうして僕たちの国は
引き裂かれなくてはいけないんだろう

僕を助けに来てくれ
僕を助けに来てくれ
僕を助けに来てくれ
僕を助けに来てくれ

一緒にやろうぜ!

ラッセル「なぜ我々は災難を楽しむのか」

2011-04-03 22:13:32 | Translations

 小さな災難に会ったときに十中八九の人がより幸せになるというのは、奇妙な事実である。三十五年前にはじめてアメリカを訪問したときの話であるが、私が旅行していた列車が雪だまりで立ち往生してしまい、列車に積んであった食料を全部食い尽くしてしまったあと何時間もニューヨークに到着しなかった。私は乗客の中の誰が食われるのか、くじ引きでも始まるのではないかと思いはじめていたが、実際はそれどころか、みんなが意気軒昂なのであった。普通の状態ではお互いに嫌い合っていたであろう人々がお互いに好意を持ち合い、みんなが明らかに例外的なレベルの幸福に達していたのである。

 同様のことを、私は本当に霧がひどいときのロンドンで見たことがある。普通の霧であればちょっと厄介という程度のものだが、自分の足すらも見えないというひどい霧は、陰鬱そのものといった人にさえ慰めをもたらす。人々は全然知らない人にさえ話しかけはじめる――ロンドンではほとんどあり得ないことだ。彼らは忘れないでいる若い頃のもっとひどい霧を思い出す。そして、ハイド・パーク・コーナーで迷子になり、全然違う街の警察官にたまたま出会ったために発見された友人たちのことを話すのだ。

 みんなが楽しみ、みんなが陽気だ――霧が晴れ、再び彼らが素面で重々しく、責任ある市民に戻るまでは。
 残念なことだが、避けようのない小さな災難についてなら十分妥当と思われるこの気分は、避けられたであろう大きな不幸に対しても当てはまってしまいがちである。私は難破や噴火や深刻な地震に遭遇したことはなく、こうした経験がすべて楽しいわけではないと思う覚悟はある。しかし、私は世界大戦〔第一次世界大戦〕の始まりを、そのときのみんなの気分が、ほとんどひどい霧のときと同じだったということを――ひとつの浮かれて興奮した親密さを忘れはしない。最初の頃は、来るべき恐怖を予想して悲しんだものはきわめて少数であった。お気楽な自信というのが、関連するすべての国々における状況であった。

 正反対の方が自然に思われるような状況での、この奇妙な幸福の過剰には、二つの理由がある。一つには、人間は興奮を愛するということである。我々のほとんどは、退屈に押しつぶされそうな世界を動き回っている。もし象が石炭貯蔵庫の中に落ちてしまったり、ガラス窓に木がぶつかって応接間の一番いい家具をたたき壊してしまったりするとして、事故それ自体はもちろん残念なものであるが、ただそれが非日常的であるという事実がその埋め合わせをする。近所の人に対する話の種があり、二十四時間くらいは話題の中心になることを望むかもしれない。興奮というものはそれ自体において気分のよいものだ。もちろん百万長者の伯父から遺産を相続するとか、そういった愉快なことがその興奮の元になっているとしたらもっと愉快にだっただろうとしても。

 しかしながら、雪だまりや霧や戦争の場合においては、もう一つの要素があった――すなわち、みんなが同じように感じていたということである。通常は、我々一人ひとりはそれぞれのことにかかり切りになっている。他の人々は我々の邪魔をするかもしれないし、うんざりさせるかもしれないし、すっかり失敗して我々の気を引くかもしれない。しかし、どうということのない感情が群衆全体を駆り立てるような場合があるものだ。もしそれが起こると、その感情はそれ自体において愉快なものではないとしても、それが共有されているという事実が、他の方法では得られないようなおかしな幸福をもたらすのである。

 もし我々がみないつでも集合的感情の状態になりうるとしたら、我々すべてはいつも幸せで、いつも協力的で、いつも退屈とは無縁だろう。おそらく、将来の政府の心理学者はこの成果を手にするだろう。休日は空に書かれた巨大な文字で始まるのだ。曰く、「火星人が君たちを侵略しようとしている。すべての男、女、そして子供は各々その本分を全うせよ。」夕方までには、攻撃は撃退されたとアナウンスされるだろう。こうして、みんなが幸福な休日を実感するだろう。これらは科学の勝利の中にあるが、世界はまだそこまで熟していない。

一九三二年二月一〇日

***
Why We Enjoy Mishaps

Bertrand Russell Mortals and Others –American Essays 1931-1935  Routridge, 1996





ラッセル「長期的視野に立つこと」

2010-12-14 01:01:31 | Translations

 自分が死んだ後に世界に何が起ころうが、何の関心もないと言う人たちがいる。私個人についていえば、こういう感じ方はしない。私は、現在の行いが将来に実を結ぶかもしれないと考えるのが好きである。たとえ私個人がその将来に参画することはないだろうとしても。私は文明はよい方向に向かっていく考えるのが好きだし、もしその考えとは反対のことが起これば、またそういうことが起こることもあるだろうが、そのときは気が滅入る。このところ、目下の状況はどうも陰鬱であるが、ずっと遠い未来のことを考えるというのは気が晴れるものである。

 

 十九世紀において、人類は進歩を自明のものととらえていた。そして、特に人々が進化を信じるようになってからは、未来は過去よりよいものでなければならないということは自然の理のように考えられた。こういう明るい思考の枠組みの中では、人間はわざわざ遠い将来のことなど考えたりしないものだ。ユートピアも一、二世紀のうちには実現するのではないかと期待されていたのだ。一九一四年以降、こうした楽観主義は自信を失ってしまった。そして現在の不況の中では、非常に多くの人々の心の中で悲観主義に服従させられてしまっている。

<続く>


ラッセル「協調について」(1/2)

2009-07-09 00:16:42 | Translations

 近年では、民主主義の影響下にあって、協調の美徳というのは、かつて服従がそれに位置していたのと同じ場所を占めてきた。時代遅れの校長であれば、ある少年に対して、従わないということを言い立てるだろう。現代の女性教師であれば、ある子供に対して、彼は協調性がないと言い立てる。その意味するところは同じことである――その子供は、どちらの場合でも、教師が望むことが出来なかったのであるが、前者のケースにおいては教師は政府のように振る舞い、後者のケースでは人民、つまりほかの子供たちの代表のように振る舞う。新しい合い言葉〔協調〕は、古い合い言葉〔服従〕と同じように、従順さとか、被暗示性とか、群衆本能とか、前例踏襲とかを推奨するという結果になる。それによってもたらされるのは、独自性、自発性、超越的な知性といったものを妨害するという結果である。およそ価値あることを成し遂げてきた大人が「協調的」だったためしはなかった。通例、こうした人間は孤独を好んできた。また、本を持って隅っこに隠れようと努めてきたし、同世代の野蛮人たちの注目から逃れられることが一番幸せだったのだ。芸術家や作家、科学者として際だっていた人間のほとんどすべては、少年時代に嘲笑の的になったり学校仲間の軽蔑の対象になったりしていた。残念ながら教師たちは群衆の側につくのがほとんどであったが、それは変わった少年がいるというのは彼らを悩ませることになるからである。

 子供たちの中にある、飛び抜けた知性の徴に気づくことと、何か普通でないことによってもたらされるイライラを抑制することは、すべての教師が身に付けるべき訓練の一つでなければならない。これが成されないとすれば、アメリカにおける最良の才能を持つ人間たちの多くは、十五歳になるまでに迫害されつまはじきにされるだろう。協調的であるということは、理想として掲げるのには問題がある。自分一人だけで生きるのではなく共同体と関わりながら生きるということは正しい。しかし、共同体のために生きるというのは、共同体〔の全員〕がすることであれば〔個人も〕しなければならないということではない。劇場の中にいて火事に遭い、集団パニックが発生したとしよう。いわゆる「協調」といわれる以上の道徳性を身に付けていなかった人間は、パニックの集団に加わってしまうだろう。彼は群衆になびかずに自立できるだけの、いかなる内的な力をも持ち得ないからである。戦争に突入しようとしている国家の心理というのは、あらゆる点でそっくりである。


ラッセル「手段から目的へ」(2/2)

2009-06-17 21:37:03 | Translations

 行き過ぎてしまった場合、倹約に対しては二つの異論がある。一つは将来に対して普通に考えられる不確実性である。もう一つは、我々の志向性や欲望というものの移ろいやすさである。このうち最初のものについてはあまりにも明白なので、説明の必要もないだろう。二つ目のものは、一般的には認識されていない。ほとんどの人間は、中年に至るまでに、完全に習慣の支配下に置かれてしまう。彼らがそれまでにしてきたことがいかなることであろうとも、続けることを望むのだ。シヨンの囚人*でさえ、牢獄を「ため息とともに」去った。習慣の強制力がもたらす結果は、もしあなたが何か別のもののために何かを始めるとすると、そのこと自体のためにずっとそれをし続けることになるだろう、というものである。

 目的のかわりに手段のために生きるということの度が過ぎてしまうと、それが楽しみのおおらかさを殺してしまい、またそうすることによって審美的な感覚を破壊してしまうという結果に帰着する。倹約する国家は醜悪な町を作るし、そして彼らの楽しみというものは金勘定をするか飲んだくれるかのどちらかになりがちである。文明的な楽しみというものは、行き過ぎた倹約とは相容れない。しかし、文明的な楽しみがなければ人間は野蛮になる傾向がある。戦前〔第一次世界大戦前〕のドイツは、ある種のヒステリーを生み出すような集中力をもって国家としての偉大さという目的に賭けていたが、それは彼ら自身の目的を無にするような行動につながっている。視野の狭い目的というのは精神のバランスにとっては致命的なものであり、そして時にはおおらかであったり衝動的であったりすることもなければ、我々はなかなか正気を保ってはいられないのである。


一九三三年八月三〇日

***
Means to Ends
Bertrand Russell Mortals and Others Volume II American Essays 1931-1935, Routledge, 1998

* シヨンの囚人=The Prisoner of ChillonバイロンGeorge Gordon Byron, 1788-1824)が1816年に発表した詩とのこと(私は全く未読)。原文はこちらにあったが、最後に

My very chains and I grew friends,
So much a long communion tends
To make us what we are: - even I
Regain'd my freedom with a sigh.


私はこの鎖と既に友となり、
交ることもながいので
この境遇に深く馴れてしまつた。
獄舍の苦しみを味つた私は、自由の身となつたときは嘆息を洩して獄舍を去つた。
(幡谷正雄訳)

というのがあるので、これを指していると思われる。


ラッセル「手段から目的へ」(1/2)

2009-06-16 00:53:07 | Translations

 文明人と野蛮人の大きな違いの一つは、前者は、それ自体は楽しくはないことであっても、将来の楽しみを確保するために、あるいは将来の苦労を避けるために、多くのことをするということである。この習慣は、人類が冬の間の飢餓を避けるために農耕という手段を採り入れたことに始まる。それ以前は、人間は空腹なときにだけ食物を探していたのだが、彼らが食物を探すのは追跡という方法によってであり、それはそれ自体が娯楽になるものである。人間が原始的状態から遠く離れた道のりを歩むにつれて、最終的な利益のためには面白くないこともするという実践は広がってきた。現在では、ほとんどの人がその日の仕事を終えるまで本質的に楽しめることは何一つしない。仕事が終わったときでさえ、倹約的な性格の人であれば、思ったより全然楽しもうとしない。それは、彼らはお金を節約するのが賢いと感じているからである。彼らは自分たちの蓄えを銀行に貸し付け、銀行は企業家に貸し付けるのだが、その企業家は皆が節約しすぎて自分の会社の製品を買ってくれないので、破産することになる。だから銀行も破産し、かくて節約家たちは自分の貯蓄を失うことになる。だから彼らは損失を穴埋めするために以前にも増して節約するようになり、このサイクル全体が繰り返されることになる。

 この例が示すように、目的よりも手段を追求することに行きすぎてしまうというのは、ありがちなことである。けちな人や健康を気にしすぎる人というのは、やり方は違えど、この過ちの犠牲者といえる。ときどき、ある程度の資産を作って引退して非商業的な文化に身を捧げるまではビジネスの世界に身を投じようと考える、芸術や文学への志向を持った若者にお目にかかることがある。この計画は成功することもあるにはあるが、非常に稀である。圧倒的多数の場合において、その若者がある程度の資産を確保したときには、彼は金儲けのゲームに興味を持つようになっており、自分をもっとリッチにしようと考えるようになってしまっている。たとえば六十歳で最終的に引退するときには、彼の芸術的志向というのは死んでしまっているのである。

 同様のことは国家においても発生する。フランス革命軍は外敵から自由を守るための手段として創設されたが、結局この軍隊は自由に反対するようになりフランスはナポレオンの犠牲となった。これと同じ過ちのより現代的な形のものが、ロシア〔旧ソ連〕においてなされている。五カ年計画の下、すべては重機械工業の犠牲となり、ついには驚嘆すべき機械はあっても食べるものがほとんど何もないという結果を生んだ。


ラッセル「知的水準の低下」(2/2)

2009-04-08 00:09:50 | Translations

<承前>
 ある簡単な実験によって、読者も友人の正確性を判断することができるだろう。彼らにここ数か月の間に読んだ本のタイトルを尋ねてみよう。ほとんど必ずといっていいほど、彼らが間違えるのがわかるだろう。本当によく知っている人をのぞけば、知人の名前や住所についても間違えるのである。ある事実がただそれだけのことであって感情や評価の問題ではない場合はいつでも、それが正確に思い出されないことがわかるだろう。これは現代の教育の「ソフト」な特徴と関連している。以前教えられていたことのほとんどはそれ自体としては役に立たないものだったが、正確性を教えるという利点があった。最先端の学校で教えられていることはそれだけ見ればたいていは知る価値のあるものだが、そうしたやり方で教えられるために、結局は生徒たちには分からないのである。その結果、大人たちは精神的にだらしないのが常態になり、邪な動機を持つ事実の歪曲に注意することをやめてしまう。

 手に職を持とうとする現代の若者たちは学校では怠けて、技術的な訓練を始めるときになって一所懸命勉強し始めるという傾向がある。法学部や医学部でそうした若者は知識を得ようと懸命に努力するのだが、それはその知識が彼にとっては明らかに経済的な効用があるからなのだ。しかし、彼のそれ以前のいわゆる教育の期間においては、彼は何とか無教養であろうと努めてきたのである。知識を獲得するのが好きな少年少女たちも少ないながら存在するが、例外的である。

 思うに、教育改革者たちは、過去のばかばかしいほどの過酷さに対する反動の中で、懸命に取り組むことがあらゆる人間の義務であり、若い時代というのが全くの遊びのための時間として扱われることは許されず、大人としての仕事の準備のための重大な側面があるはずだということを、たぶん見過ごしてきてしまったのである。若い時代に遊んでばかりなら、後になって働くことは唾棄すべきものになるだろう。そしてとりわけ、現代社会は以前の時代よりも複雑になっているため、市民によるより知的な訓練を必要としている。それゆえ、知的水準の低下は二重の意味で不幸であり、確実に現在の世界の悪い状態の原因の一つになっているのである。

一九三二年一〇月一九日

 


ラッセル「知的水準の低下」(1/2)

2009-04-07 01:22:52 | Translations

 現代の生活は、労働を省力化するための道具に順応させられている。我々は馬の筋肉によるものの代わりに、機械的な牽引力によって移動する。我々は自分たちの足の代わりに、エレベーターやエスカレーターを利用する。コックは粉末を缶から出して使い、昔ながらの方法でスープを作ってくれといわれればわざわざそれに注目させたりする。以前は鍬を引いたり刈り入れをしたりするのは非常に過酷であり、実直な骨折り仕事を免除されている詩人によって詩の中で嘉せられた。最近では、農作業に従事する人たちは機械の上に楽々と座っている。こうした空間上にあるものを移動させることで成り立っている人間の労働のすべての要素は、うんざりするようなものではなくなった。それは以前とは比べものにならないほどである。過去と比較すると、現代の生活は、筋肉労働という観点から見れば、長い休暇のようなものだ。

 知的な問題についても、同じように骨折り仕事が減ることを期待するような傾向がある。以前であれば学校における厳しい勉強(ワーク)は当然のものを見なされていたのだが、それはすべての仕事(ワーク)は厳しいものであると考えられていたからである。最近では、すべての仕事は楽ちんなものであるべきだという、それとは反対の気分がある。学校における勉強の非常に多くが、かつては悪い教え方によって不必要に難しいものにさせられていたというのは事実である。しかし、教えるための方法がどれだけ優れたものであろうとも、生徒の側の厳しい努力がなければ学ぶことのできないことは大量に存在する。現代の教育者には、この事実を不当なものと考え、このような簡単にすませることのできない学問的な訓練の部分を過小評価しがちな者が多い。アメリカではどうなっているのか私は知らないが、視学官たちの報告するところによれば、イングランドにおいては例えば計算の課題では三十年前に比べて正確性が劣っている。イングランドの小学校は計算に常に重きを置きすぎてきた傾向があるので、この特定の変化を残念に思うべきではない。しかし、他の方面では正確性の低下はより深刻である。


球春到来

2008-03-25 01:14:35 | Translations

 いつの間にか春のセンバツやプロ野球のパ・リーグが始まっていた。私は全然知らない人たちがやっている草野球でも見ていて飽きない方で、特定のチームの勝ち負けというより、一瞬一瞬のプレイにおもしろさを感じてしまう。

***

ジョン・フォガティ 「中堅手(センターフィールド)」(一九八五年)

さあ、太鼓を打ち鳴らせ、電話はちょっとそのまま待ってくれ――今日は太陽が出てきた
俺たちは生まれ変わった気分 球場には新しい芝生がいっぱいだ
三塁を回ってホームに突っ込んだのは 茶色い目をしたハンサム・マン
こんな気持ち、誰だって分かってくれるよな?

 監督、俺を入れてくれよ プレイの準備はできてるんだ、今日のために
 監督、俺を入れてくれよ プレイの準備はできてるんだ、今日のために
 見てくれよ、俺はセンターだって守れるんだぜ

マドヴィル・ナインの一員として、ベンチから見ていたこともあるんだ
まったく、あのマイティ・ケイシーが三振を食らったときは悔しかったものさ
"セイ・ヘイ"ウィリーにも、タイ・カッブにも知らせなきゃ
おっとジョー・ディマジオも
そいつは違うなんて言うなよ、なあ、今やらなくてどうするんだ

 監督、俺を入れてくれよ プレイの準備はできてるんだ、今日のために
 監督、俺を入れてくれよ プレイの準備はできてるんだ、今日のために
 見てくれよ、俺はセンターだって守れるんだぜ

持っているのはボロボロのグローブにお手製バット、そしておろしたての靴
なあ、そろそろこの試合も片を付けるときだと思うんだ
ただボールを打ち返せ、タッチしろ――太陽の下のひととき
(カーン)入った、すぐに分かるサヨナラホームランだ!

 監督、俺を入れてくれよ プレイの準備はできてるんだ、今日のために
 監督、俺を入れてくれよ プレイの準備はできてるんだ、今日のために
 見てくれよ、俺はセンターだって守れるんだぜ

 監督、俺を入れてくれよ プレイの準備はできてるんだ、今日のために
 監督、俺を入れてくれよ プレイの準備はできてるんだ、今日のために
 見てくれよ、俺はセンターを守ってもいいかな?

***
John Fogerty "Centerfield" (1985)
lyrics is here.

センターフィールド

 「センターフィールド」は元C.C.R.のジョン・フォガティが一九八五年に発表した同名アルバムに収録されている曲で、私が高校二年の頃、MTVでよく流れていた。この手のアメリカン・ロックはあまり好きではなかったのだが、日が少し長くなり寒さに飽きた三月くらいになると、なぜか無性に聴きたくなる。アメリカでは野球に関する歌として定番の地位を確立しているようだが、日本ではほとんどヒットしなかったし、それほど知られていないように思う。私はこの曲を聴くと「若い頃野球が好きだったじいさん(記憶と現実の区別がつかなくなっている)が、無理と知りつつ野球をしに連れていってくれと頼んでいる」というシーンを思い浮かべる。


ヘンリー・ミラー『マルーシの巨像』より

2007-10-31 23:59:50 | Translations
 僕は、いちばん成功したアメリカの製造業の社長なんかよりも、むしろボロを着てうろつき回りながら来年のトウモロコシの収穫を待っている、明確な良心を持った殺人者になりたい。……
――そのギリシャ人はただ一人を殺したに過ぎなかった。そして、それは正当な怒りに基づいたものだったのである。しかるに、その成功者たるアメリカの経営者は、彼の人生の毎日の中で、罪なき何千人もの男たち、女たち、そして子供たちを眠りながら殺しているのだ。ここでは誰も明確な良心など持つことができない――我々はみな連結された巨大な殺人機械の一部なのだ。そこでは、殺人者は高貴で聖なる存在として見なされ得るのである。たとえ彼が犬のような生活を送っているのだとしても。