牛込日乘

日々の雜記と備忘録

最近の成長

2008-03-31 23:27:39 | Weblog
 娘も保育園に通い出して一年。明日からは、ももぐみからたんぽぽぐみへ進級するそうな。去年の今頃はようやく立てるようになったくらいだったのが、今は公園を走り回り、何かというと

 「やだ。」と言ってはわがままを言い、
 「ミッピ(ミッフィー)ちゃん、みよっかー」「ぞうさん、きこっかー」と自分が好きなDVDやCDをかけるように催促し、

 かと思うといきなり
 「あめにもまけず、かぜにもまけず」
 「くうねるところにすむところ」
……などと言い出したりする。
(これは教育TVの『にほんごであそぼ』で毎朝やっているのを覚えただけで、意味は分かっていないと思われる。)


(近所の公園にて。「ありさんこんにちは」と言ってお辞儀をしていた)


(どこでこんなポーズを覚えたのか……。)


(ぶらんこ その1)


(ぶらんこ その2)


(ぶらんこ その3)

 「レッド・ツェッペリンきこっかー」と尋ねてみると、思いっ切り首を横に振って「やだ。」と答えていた。

Talk in a Cafe

2008-03-27 00:39:51 | Weblog
 喫茶店でコーヒーを飲みながら本を読んでいたら、五十がらみのビジネスマンが二人入ってきた。

 「(奥の席を指して)そちらへどうぞ」
 「いえいえ、○○さんこそ」

 と、どちらが上座に座るかでお約束を繰り広げている。

 ……というのはよくある光景。そのまま聞くともなしに聞いていると、奥の席を勧めていた方が

 「いや、私はゴルゴ13の信奉者でしてね。通路側の席が好きなんですよ、すぐに逃げられるように。あっはっは」

 とのたまった。

 (思わず顔を上げて見てみたら、めがねを掛けた小太りのフツーのおじさんでした)

球春到来

2008-03-25 01:14:35 | Translations

 いつの間にか春のセンバツやプロ野球のパ・リーグが始まっていた。私は全然知らない人たちがやっている草野球でも見ていて飽きない方で、特定のチームの勝ち負けというより、一瞬一瞬のプレイにおもしろさを感じてしまう。

***

ジョン・フォガティ 「中堅手(センターフィールド)」(一九八五年)

さあ、太鼓を打ち鳴らせ、電話はちょっとそのまま待ってくれ――今日は太陽が出てきた
俺たちは生まれ変わった気分 球場には新しい芝生がいっぱいだ
三塁を回ってホームに突っ込んだのは 茶色い目をしたハンサム・マン
こんな気持ち、誰だって分かってくれるよな?

 監督、俺を入れてくれよ プレイの準備はできてるんだ、今日のために
 監督、俺を入れてくれよ プレイの準備はできてるんだ、今日のために
 見てくれよ、俺はセンターだって守れるんだぜ

マドヴィル・ナインの一員として、ベンチから見ていたこともあるんだ
まったく、あのマイティ・ケイシーが三振を食らったときは悔しかったものさ
"セイ・ヘイ"ウィリーにも、タイ・カッブにも知らせなきゃ
おっとジョー・ディマジオも
そいつは違うなんて言うなよ、なあ、今やらなくてどうするんだ

 監督、俺を入れてくれよ プレイの準備はできてるんだ、今日のために
 監督、俺を入れてくれよ プレイの準備はできてるんだ、今日のために
 見てくれよ、俺はセンターだって守れるんだぜ

持っているのはボロボロのグローブにお手製バット、そしておろしたての靴
なあ、そろそろこの試合も片を付けるときだと思うんだ
ただボールを打ち返せ、タッチしろ――太陽の下のひととき
(カーン)入った、すぐに分かるサヨナラホームランだ!

 監督、俺を入れてくれよ プレイの準備はできてるんだ、今日のために
 監督、俺を入れてくれよ プレイの準備はできてるんだ、今日のために
 見てくれよ、俺はセンターだって守れるんだぜ

 監督、俺を入れてくれよ プレイの準備はできてるんだ、今日のために
 監督、俺を入れてくれよ プレイの準備はできてるんだ、今日のために
 見てくれよ、俺はセンターを守ってもいいかな?

***
John Fogerty "Centerfield" (1985)
lyrics is here.

センターフィールド

 「センターフィールド」は元C.C.R.のジョン・フォガティが一九八五年に発表した同名アルバムに収録されている曲で、私が高校二年の頃、MTVでよく流れていた。この手のアメリカン・ロックはあまり好きではなかったのだが、日が少し長くなり寒さに飽きた三月くらいになると、なぜか無性に聴きたくなる。アメリカでは野球に関する歌として定番の地位を確立しているようだが、日本ではほとんどヒットしなかったし、それほど知られていないように思う。私はこの曲を聴くと「若い頃野球が好きだったじいさん(記憶と現実の区別がつかなくなっている)が、無理と知りつつ野球をしに連れていってくれと頼んでいる」というシーンを思い浮かべる。


五年間

2008-03-22 01:14:21 | Weblog

 代休を取り、運転免許の更新のため五年ぶりに都庁まで赴く。いわゆるゴールド免許証の優良ドライバーということになっているのであるが、この十年でたぶん五十キロくらいしか運転していないので、いまやアクセルとクラッチの違いも覚えていない。何が優良なのか分からない。

 この前更新したのは十年間勤めた最初の会社を退職する直前かつ結婚したときで、今思えば人生の岐路にあったのかもしれない。あのときは、少なくとも現在のような仕事や生活をしているとは、まったく想像していなかった。次の免許更新のときには、どこで何をしていることやら。

***
David Bowie "Five Years" (1972)
lyrics is here.


屋形船の夕べ

2008-03-20 00:38:26 | Weblog
 十九日の夜は、課の打上げと送別会を兼ねて屋形船で宴会。屋形船といっても、もんじゃ焼き食べ放題+ビール飲み放題(ただし飲み終わらなければお代わり不可)という微妙な内容で、風情とか高級感とかいったものはまったくない。




(勝どきの桟橋を出発する屋形船の船内)

 屋形船の定員は五十人程度で、二十代から三十代の会社員風の団体が多い。雨のそぼ降る中、勝どきを出発した船は、お台場あたりまで周航し、そこでゆっくり夜景を見ながらもんじゃ焼き、お好み焼き、焼きそばなどを食すというコースである。


(カレー風味もんじゃに群がる人びと)

 もんじゃ焼きはあまり好きではないが、たまにはまあいいか、という感じ。調子に乗って飲んでいたら船が結構揺れていたらしく、途中で気持ちが悪くなってきた。私は三半規管が弱いらしく、長い間乗り物に乗っていると目が回ってくるのだ。口からもんじゃ焼きを出す前に(スマン)、なんとか陸地にたどり着いた。

いわゆる「格差社会」に関する覚え書き

2008-03-08 01:23:30 | Weblog
 安定した社会における社会的格差の代表的なものは、ジェネレーション・ギャップである。一方、IT化によって決定的に進展しつつあるのは、文化資本の蓄積ギャップである。

 これは経済的な格差の更に先にあるもので、時間という不可逆的な要因が大きく作用するため、上位階層に上昇するには時間がかかるが、維持の努力を意識的に行わないと容易に下位階層に転落する。

 同じ文化層の内部では、ジェネレーション・ギャップはむしろ解消の方向に向かっている。この動きはポジティヴ・フィードバック的に働き、更に文化層間のギャップを大きくする。